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1章1話

 二年後――神話都市ルルイエ、王立魔脳技術研究所。

 白い研究室のベッドで眠る栗色の髪の少年は、久遠のように感じる時の中で長い長い夢を見ている。

 彼は闇の中、誰かがひたすら泣いていると気づいた。

 ああ、あの子を早く助けてあげなきゃ。名前も顔も思い出せないけれど……誰かがいつも俺に言ってたじゃないか。

『見返りなんか期待せず、ただ誰かのために善きことをしなさい。そうすれば必ず、お前が困ったとき、別の誰かがほんの少しだけ返してくれる』

 だが、前に進もうとするたび、何か蛇のようなものが足に絡み付いて動けなくなる。やがて、虹色に輝く鋭利な無数の触手が前から心臓に向かってきた。

「!!!!」

 恐ろしさに息を呑む。

 だが、金色の眩しい光が一気に周囲を包んだかと思えば、その触手が消え去っていった。

 丸く、こぶし大に収縮していった金色の光は漂いながら少年の周りをぐるっと回り、そして彼の目の前で落ち着いたように静止した。

「えらく変わった魂の形を持つ人間かと思えば。そなたが――……、そして、わしの――……か。はあ、厄介厄介。隠居後の老体には堪える気苦労じゃ」

 とぎれとぎれに、金色の光は声を発している。老人のような喋り方に反して、若々しく透き通るような声だ。

「まあとりあえず、一つ質問をしよう。面倒じゃが、聖遺物レガシーとなったわしは半神の器であるそなたと面倒な問答をせにゃならんルールなんじゃ。本当に面倒じゃが……わし脳筋タイプじゃから謎解きとか嫌いなんじゃよ。スフィンクスでもあるまいし」

「半神の器? どういうこと?」

「つーわけで、簡単な一問一答にしよう。そなた、ここから出たいか?」

「えっ……ダメだよ! 俺、あの子を助けなきゃ! ここで泣いてるんだ」

「あの子? ああ、それなら幻じゃ。心配せんでもここはそなたが見ている、長い長い夢じゃ。夢というのはこれまで会った者やら後悔やら幸せ、愛や憎しみがごった煮のぐちゃぐちゃに混じって見えるものじゃからな」

「でも、あんなに泣いてるじゃないか! ほっとけないよ! きっと、すごく悲しんでて、困ってる。俺はもう、誰も見捨てちゃいけないのに……」

 「あの時」? ふと、口にしながら少年は戸惑った。何も覚えていないのに。「あの時」がいつ、どんなものを指すかもわからないのに。口から自然に出た言葉が、まるで意識を持った残り香のように頭にこべりついていく。

 金色の光がわずかに弱まったかと思えばぱっと明るくなり、周囲を落ち着きなく飛び回った。まるで哄笑するように。

「カッカッカッ! 愉快愉快! 記憶を失ってなお、「善」に固執するとはのう! いったん合格じゃ。魂に妙な「しこり」があるが、これまた一興」

「いったん……?」

「仮免みたいなもんじゃ。これから儂はお前の中で目を光らせて確かめさせてもらう。そなたが善神ノーデンスの現身にふさわしいかどうかな」

 瞬間、金の光が強まり、全てを覆いつくす。あまりの眩しさに闇の全てが溶溶かされていった。急激な光に包まれて戸惑う少年の肩に、大きな拳でごつんと小突かれたような、軽い痛みが襲った。

「生き残れ、若造。少なくとも、儂がそなたを認めるまでは。さあ……目覚めるがいい」

 待って、どうすればいいのか教えてくれ。

 その言葉すらもが、絶える事のない光の洪水に飲み込まていった。

************

 ――ぴちょん、ぴちょん……。少年は水滴の音で目覚め、ぱちっと青い色の目を開けた。呼吸を普通にしている……それだけでも不思議な感覚だった。まともに空気を吸ったのが、ひどく久しぶりのような気がする。

 ぼんやりとした視界が、徐々にはっきりと像を形作っていく。ここは……なんだろう? 無機質な真っ白い部屋だ。綺麗に片付いており、いくつかある棚には医療器具や、「聖遺物レガシー」の入ったケースが並べられている。

 ぴちょん、ぴちょん……。水音のありかを探して頭上を見れば、点滴パックがあった。それは自分の腕に繋がっている。

 不思議で、長い夢だった……。でも、目覚めたのに記憶は何もないままだ。自分が何なのかも、名前も、これまでやってきたことも、家族や友達もわからない。

激しい不安が襲う。自分がとても長く眠っていたことだけはわかるが、自分のこれまでを構成する記憶モノが何一つ存在しない。

 そうだ、さっき夢で見た男の子は? おじいさんみたいな喋り方の金色の光は?一体みんな、どこに行ってしまったんだろう。

「全部、夢だったのか……?」

 身を起そうとすると、全身が鉛のようにだるくて重い。どこに行けばいいのかもわからないが、とりあえず、起きないと……。

 きゅるる!!

 ふと、何かが上の方で飛来する音が聞こえて頭上を見ると、拳ほどの大きさの、人間の目玉を思わせる形をした機械が再び、きゅるる!と回転しながら音を立てる。思わずびくりとして彼は叫んでしまった。

「なっ、なんだ!?」

 だが、予想外に機械はおじぎのような動きをして、どこからか、柔らかな声を出した。

「驚かせてしまい申し訳ありません。わたくしは魔脳医術AI、マリアN100と申します。半神被検体ナンバーツーの覚醒を確認……ノーデンスの遺物レガシーとの適合成功とみなします。すみやかに王に報告」

  目玉……マリアN100が言った言葉のどれもが理解しがたかった。

「ま、待って。どういうこと。半神ひけん……っていうのが、俺のこと?」

 夢の中で出会った金色の光も同じようなことを言っていた。半神……おそらく半分神様、ということか? そういえば、あの光は『現身にふさわしいかどうかを俺の中で見ている』と言ったっけ。

少し遅れて目玉が応答した。

「申し訳ありません。貴方様の質問にお答えする権限は与えられておりません。待機モードに入ります」

 そう言って、魔脳医術AIという目玉はまぶたのようになったフィルターをかぶせ、空中をただよったまま沈黙した。

 俺は一体、誰なんだ? ここはどこ? 半神というものは一体なんだ?

疑問ばかりが頭に浮かび、いいようもない不安が襲ってきて、少年はぎゅっと手元のシーツを握り締める。自分が何者かわからないということは、こんなにも心もとないものなのか。

 自分が誰であっても、少なくとも、家族や友達はせめて一人ぐらいいたはず。思い出そうとすれば、何かが見つかるかもしれない。夢の中のあの男の子は友達だったのかも。

思考を巡らせるが、その時、ばたん! と音がしてベッドの傍らに立てかけてあった棒が地面に倒れた。

 点滴がつながったまま、ベッドを降りてその柄に触れると、なぜか既視感を覚えた。

 そうだ……この棒は夢で見たあの金色の光に似ているんだ。棒をよく観察すると、先の方が折れてしまっているようだった。槍? それともただの棒か?

 その時、頭の奥がぐらりと痛み、「槍じゃ、馬鹿者」、と脳裏に言葉がよぎった。

 ついでに何かにポカリと頭を叩かれたような痛みも走る。

「あいたっ……」

 思わず頭をさすりながら、ともかくこれは「槍」だと考えることにした。痛々しく折れた先端には、かつて刃先があったのだろう。 

 でも、これがなぜ夢の中で見た金色の光に似ていると思ったのだろう? 元の場所に立てかけようと持ってみたら、かなり重量があって驚く。よいしょ……と思わず唸りながら彼は槍を置いた。

その時だった。

「被検体安置室、ロックを解除します」

 機械的な声と共にウィーン、と部屋の自動扉が開いた。思わず、その方向を見たらゆっくりと白い軍礼装のような服と長い外套を纏った金髪の少年が歩いてきた。

 女性と見紛う程に整った美しい顔立ちに、少しウェーブがかかった金糸のような髪をハーフアップに結っている。美しいがどこか冷たげな淡い紫の瞳が、淡く揺れてうるんだ。

「ああ……僕のアダム。やっと目覚めたんだね!」

「アダム? もしかして、それが俺の名前なのか? きみは一体……」

 彼はゆっくりとこちらへ近づいてきながら言った。

「そう、君の名はアダムだ。僕は君が目覚めるのをずっと待っていたんだよ」

「待っていた? じゃあ、君は俺を知っているの?」

「立ってないで、そこに座ってくれ。目覚めてすぐは安静にした方がいい」

 表向きは気づかいの言葉だが、その口調にはどこか有無を言わさない圧が含まれている。アダムはうなずき、ベッドに腰掛けた。

 瞬間、ふと傍らに立てかけたばかりの棒が光った気がした。何か、警戒をするような……。気づくと金髪の少年は、ベッドで自分の隣に腰掛ける。アダムは戸惑いながらも尋ねた。

「あの……もしかして、君は俺の友達なの? じゃあよかったよ。すごく不安だったんだ。その、俺……名前も何も覚えてなくて」

 金髪の少年はアダムの頬に触れた。

「何も? じゃあ、僕が誰かも忘れてしまっているんだね」

 その声の響きには明らかな悲しみが含まれており、大きく繊細そうな紫の瞳が複雑に曇る。この子はなんて悲しい目をするんだろう。アダムはそう思い、少しでも彼を励ましたくなった。

「ごめん、なんで忘れちゃったかわからないけど、頑張って思い出すよ。その、何回も話をしたりすればきっと、ね? そうだ、君の名前は?」

 金髪の少年の曇った紫の瞳が少しだけ吊り上がる。怒って、いるのか……?だが、すぐに元の冷たげな表情に戻った。

「僕はクリフ。この神話国家ルルイエの王であり、半神特殊部隊の最高司令官だ。正式な名は、クリフ・クトゥルー・オールドワン」

 クリフ、クトゥル―……? 長い名前だ。覚えられるかな。アダムは思わずそう感じながらもできるだけ「クリフ」に親しげに話しかけた。

「半神? さっきあの目玉みたいなのにもそんなことを言われたし、夢の中でも神様みたいな人が言ってたな。でも、わからない……半神って一体何?」

 すると金髪の少年は身を乗り出し、突然アダムを抱きしめた。

「わっ、いきなり何するんだ!?」

「嬉しくてたまらないんだよ。また君に会えたから。これまでずっと、寂しかったんだ」

 アダムは突然の抱擁に戸惑いながらも、クリフという少年を哀れに思った。彼の言葉からは嘘偽りのない、果てしない寂しさがにじみ出ていたからだ。

「そうなの? それは悪かったね。大丈夫だよ。これからは……」

アダムがそう言いかけた時、カチャリ……。と、金属のこすれる音が響いた。

 首の後ろにひやりと冷たいものをつけられたと気づいたアダムはばっとクリフから身をはがす。

「なっ、何!?」

 続けて自動的にウィーンという音がし、「それ」が首を激しく締め付けた。

「うっ……」

 息苦しさを感じながら見下ろせば、首に銀色の輪がつけられており、小さな電子盤には「INSTALE」と表記されている。

「な、なんだよ!? この首輪は!」

「半神生命体を確認。データをスキャンします。ノーデンスの遺物レガシーである三叉槍との適合率は5パーセント」

 クリフが答える代わりに、首輪から機械的な音声が流れる。 クリフはベッドから立ち上がりながら、落胆したように冷たく言い放った。

「なんだ、たったの5パーセントか。何度も聖遺物レガシーの適合テストを行って、唯一反応を示したのが、ノーデンスだったのに。まあいい。初めは微弱な繭潰しからやってもらおう」

「な、なにを言っているんだ!? この首輪……締め付けて痛い! 外してくれ……!」

 アダムは息苦しさに呻き、ベッドに四つん這いになり、激しく息をついた。のたうち回るほどの苦しさだったが、体にその力が入らない。クリフは苦しむアダムの様子を見下ろしながら淡々と告げた。

「それはできない。最初は苦しく感じるだろうけど、直に慣れるさ」

「お願い、外して……! 俺達、友達なんだろ!」

 クリフはアダムの顎をつかみ、顔を上げさせる。

「これも君の為なんだよ。安心して……君は僕の大切な友であり、『プロモーション(昇格)』の可能性を秘めた、代わりのきかないポーン(駒)だ。そう簡単に死なせはしない。王として、君の生命には責任を持とう」

「友達に……こんなことをする奴がいるもんか!」

 クリフはぐっと顎を握る手をわずかに強め、美しい眉を寄せた。その表情はまるで何かに苦悶するようなものだった。

「……その言葉を、君が言うのかい?」

 アダムはなぜ、と聞き返しそうになったが言葉を飲む。あまりにもクリフの顔が悲しげに見えたためだ。

「まあいい、善神ノーデンスと適合して目覚めた君はすでに神の聖遺物レガシーを体内に取り入れた『半神』。つまり、この世界を蹂躙する宇宙の支配者、邪神アザトースの軍勢に対抗しうる神の現身となったということ」

 クリフが目を閉じていた天井の目玉――魔脳マリアと名乗った球体に、「ブラインドを開けてくれ」と声をかけると、マリアの目玉がかっと開いた。

 するとほどなくしてゴゴゴ……と音がして、部屋の壁が上にせりあがっていき、かわりに透明なガラス窓が現れる。そこから見得たのは地上ではなく、空中に浮かんだ景色。遠くの山や空が見える……ここはどこかの建物の上階であったなんて。そして壁は全部ブラインドだったのか? そんな感慨に答えるようにクリフは言った。

「外の世界を注視し過ぎると、まともな研究員ならば気が狂うからね。窓は基本的に閉めてるんだ」

「気が狂うって、なんで?」

 だが、アダムは空中に浮かぶ無数の青紫の巨大な繭に気づいた。

 繭は天からどこからともなくぶら下がっており、無数に並んでいる。高いところにあるもの、低いところにあるもの……様々だが、一番窓の近くにある繭の薄皮の中には昆虫のようなものや爬虫類のようなものが入っており、目がぎょろりと透けて見えた。

「ひっ……! ば、化け物があんなに……!?」

「これがこの国、そして世界全体の現状だ。だから、あの繭から生まれでる魔物を唯一倒せるのが、神の聖遺物を体内に受け入れた半神というわけさ」

 あまりの恐ろしさに気を失いそうになるアダムに、クリフはただ、冷たく、だがどこか愛情深い様子で告げた。

「改めて君の目覚めを祝おう。そして歓迎するよ。この無神なる時代とルルイエへようこそ……我らが友であり半神、アダム・ノーデンス・エルダーゴッド」


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