2章9話(27話)
「あーあ、チンタラしてるからだぜ?」
ブシュッ!!
その音と共に刃が引き抜かれる。アキリーズの流した血とともに、ヴァルトロの赤い髪が風に揺れた。
アキリーズの体が前に倒れてくる。アダムは思わず、その体を支えた。
アキリーズの息が絶え絶えになっていく。そして一瞬振り返り、自分を貫いた刃の持ち主……ヴァルトロを見上げた。ヴァルトロはひどく落ち着きはらった表情をしている……違和感を覚えるまでに。
その顔からは戦いへの高揚も、戸惑いも一切感じることができなかった。
「そうか……全部……」
アキリーズはそう呟き、続きの言葉を失う。
ともかく血を止めないと! アダムはとっさに自分の服を破り、アキリーズの心臓に当てようとする。
だが、アダムの腕をアキリーズが強く掴む。まるで、何かを拒むように。
「アダム……頼んだぞ、ガイアを……みらい、を……」
その言葉と同時にアキリーズは目を閉じた。驚愕のあまり、アダムの唇はひとりでにわなわなと震えた。
「はっはっはっ! 涙がちょちょぎれるなぁ!?」
アダムは後ずさる事も出来ず、ただただ、目の前で笑う赤毛の残虐な剣士を見上げるしかなかった。
「ヴァルトロ、お前、いったいなぜ……」
ヴァルトロはせせら笑って言う。
「なぜだと? 笑わせんな。いつオレが能力を奪うのを諦めたと言った!」
ヴァルトロの目が赤く染まる。瞬間、アダムは自分の体が動かなくなるのを感じた。
「お前がほんとうのバカで助かったぜ。一体オレがなんのためにしばらく石化を使わなかったと思う?」
アダムはその理由を直感する。
……そうだ、完全に油断していた。ルームメイトとして過ごすうちに、親近感まで覚えていた。
ヴァルトロはアキリーズの首輪を三回押し、宣言する。
「ヴァルトロ・マドゥーサ・マイス! 『緊急事態』により、今ここにアキリーズ・ストームヴェラー・アマツの能力と布都御魂を継承する!」
瞬間、アキリーズの首の後ろが発光する。そして全身を激しく雷を纏った。
バチバチイッ! と激しい音を立て、雷はアキリーズの体を覆い続ける。
「はっ、建御雷、宿主を殺されてお怒りか? 悪いが、オレは適合した
こいつの受肉結晶をそのまま引き継ぐ。いやでも従ってもらうぜ!」
雷はしばらく抵抗していたが、アキリーズの首の後ろが光る。そこから虹色に輝きながら雷光をまとった光がヴァルトロの首輪に向かって放たれた。
どうなったか、一瞬でわかった。あの光こそが、アキリーズの戦績、そして受肉結晶によって繋げた全ての時を共に重ねてきた、建御雷の『嘆きの残滓』なのだ。
東方の緑の鎧をまとい、激しく、重々しく、痛みまでをも背負う……震えるほどに猛々しくも、遠い時代に失われたその神の幻影が一瞬見えた気がした。
聖遺物と受肉結晶が一体となった光の塊はあたりを激しく照らし、一瞬眩しすぎて何も見えなくなる。
「ぐっ……体の奥に入ってくる……! 脳みそ、かき混ぜられてるみたいだ……。こいつの中の神が、神食された受肉結晶が!! ああああああ!!」
光が徐々に弱まっていく……いや、ヴァルトロの体に吸収されていく。
ヴァルトロの首輪の電子盤を見ると『72』と表記された数字が『99』に変わる。神食度が一気に跳ね上がったのだ。
元々、神食度が多いからだろう……そう、アダムは直感する。
ぐぽり。激しい音を立て、ヴァルトロの頬からいくつも触手が這い出てきた。
その情景は見るにも恐ろしかったが、ヴァルトロは「けっ」と言ってそれを自分のソードブレイカーで断ち切った。
「アイツが仮面をしてたのはこのせいかよ。油断すりゃ、体から触手が這い出てきそうになる。これが神食の末期ってことか」
能力を奪うためだけにこんなことをしたとしたら、あまりにリスキーだ。
ヴァルトロの命だって脅かされるのに、なぜそうまでして? 問いかけたいことが山ほどあるのに、石化で口が動かない。
ヴァルトロはこちらに近づいてきながら、ゆっくりと話す。
「あの王が言うには、お前の『時の改変』能力だけは継承できないらしいな……」
アダムは思わず、それを聞いてはっとした。同じ部屋に住むヴァルトロが何度も能力を奪うチャンスはあったはずなのに、奪おうとしなかったのは、油断させるためだけではなく、そういうことだったのか……。
「あいつにとっちゃ、神食の進んだ個体は誰でもいいんだ。アキリーズだろうが、オレだろうが、『銀の鍵』を持つお前本人だろうが。『時の改変』に必要なヨグ・ソトースの受肉結晶の培養体を育てられりゃあな」
クリフは、アダムが成し得なかったときのためにヴァルトロにも同じことを頼んでいた。その慎重さと半神への不信はクリフらしいと言える。
「オレにとっては好機だ。もし俺がアキリーズを殺し、能力の継承を行って神食の進んだ個体となれば、 お前の力で過去を変えるときに要望を叶えるって話だからなぁ?」
そんな約束をクリフが守るわけがない。きっと、自分にした約束も嘘だ……。アダムはそう確信する。
だが同時に、その細い糸にすがる以外に、未来に関わる手段がないことも事実だった。
ヴァルトロの立場は……自分と同じなのだ。
ヴァルトロは布都御魂を拾った。ソードブレイカーを右手に、布都御魂を左手に持つ。布都御魂は完全に輝きを失っていたが、徐々に再び雷を纏いだした。
バチバチ……バチィ! 重々しく、それでいて恐怖を思わせる音が響いていく。
「不思議と重くねえな。これが、建御雷の力か。どうりでアキリーズが何時間も大剣で戦えたわけだ……ただの能力だよりのチートじゃねえか」
そのままヴァルトロは二振りの剣でアダムに斬りかかる。
アダムは石化のため、動くことができない。抵抗できぬまま、二本の剣が交差しながらアダムの首の横に突き立てられる。
「はっ、あっけねえ。油断して石化させられて……こんな体たらくでアキリーズ殺しがうまくいくとでも思ったか」
……違う。アキリーズを殺したくなんかなかった。ヴァルトロはアダムの言葉を代弁するように言った。
「『殺したくなかった』……とでも言いたげだな。そんなんだからあの女も死んだ。お前がどっちつかずだからだ!」
アダムはぐっと胸が痛むのを感じた。言われた通りだ。弱く、そして決断に迷うせいで、自分は何も守れず、救えないのだ。
「オレはお前とは違うぜ、新入り。自分の欲しいものに、叶えたいものに嘘はつかない!」
アキリーズもみんなも助けなければ……でも、ガイアも助けたい。
そんな思いで、自分は一体何が守れるのだろう? 目の前で起きた犠牲と喪失だけが、自分の行動が招いた結果なのだ。
「お前、ほんと中途半端でムカつくな。ほら、俺の目を見ろ……」
石化のせいで目をそらすことができないアダムの髪を掴み上げ、ヴァルトロは赤い目でぎろりと睨みつけた。
「『時の改変』のために殺すわけにはいかねえ……だが、心臓と脳みそさえ動いてりゃいいだろ。ヴァルトロ・マドゥーサ・マイスの異能により、石化を解除!」
瞬間、石化から解き放たれたアダムの体は動くようになった。
そのとき、アダムの体は自然と動く。選択を、迷いを……どうこう考えることもなくなっていた。
瞬時にヴァルトロから飛んで離れ、地面に落ちた槍を拾って構えた。感傷に襲われている暇などもはやない。何より……。
「君の言う通りだ、ヴァルトロ。俺は自分の甘さと迷いで、守りたいものを守れなかった。全部、中途半端だった!」
欲しいもの、叶えたいもの……。
そう考えたとき、やはり頭に浮かぶ姿は一つだけだった。
脳裏に耐えず浮かび、頭から永遠に消え去ることのない銀色の髪の少女。ガイアは悲し気に、だがまっすぐにこちらを見つめている。
ガイア。俺はもう逃げるわけにはいかない……。
「君を殺したくなんかない……でも、立ちはだかるなら、戦わざるを得ない。未来を変えるために!」
ヴァルトロは冷酷にせせら笑う。
「正気かよ。どうにも虫の居所がわるいもんで、腕一本でも残れば御の字かもしれないぜ?」
「わかってる! だけど、俺が勝てば未来への望みは俺が叶える! ガイアを絶対に助けるんだ!」
誰かを犠牲にしていいのかという答えが出たわけではない。誰にも、死んでほしくない。
だが、負けてガイアを救えないことだけは許容できない。そう強く感じた。
ああ、本当に嫌になる……。はっきり、決断できればいいのに。
『それでいいんだよ。メルジューヌ。矛盾を内包し続けるからこそ、君はずっと、僕が大好きな君のままなんだ』
ヨグ・ソトースの声が、どこからか聞こえる。俺の過去現在未来の全てを知る異形の神は、俺の中から、この物語の行方をただひたすら見ているのだ。
ヴァルトロはなぜか楽しそうに笑った。そして二振りの剣を構えなおす。
「来いよ。ごっこ遊びはもう終わりだ!」
アダムは槍を構え、ヴァルトロに向かっていった。先の折れた槍が痛々しく、鈍く輝いた――。
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光が、永遠に止むことのない雷光と嵐が……消えた。
朦朧とする意識の中、アキリーズはいつも脳の奥底に感じていた雷光が絶えたのを感じた。共に数えきれないほどの討伐を重ねてきた雷神の、嘆きの残滓がヴァルトロに移ったからだろう。
建御雷……。それは強く荒々しい御魂を持つ神だった。
初めて彼と対話した時の記憶はほとんどない。だが、その姿ははっきりと思いだせる。建御雷は髭に覆われた力強い顔つきに、緑の鎧、有神時代の東方の猛者をそのまま具現化したような、勇ましく厳かな姿でありながらも、腰から下の体がなかった。
嘆きの残滓は神そのものではなく、残った一部の意識。自分同様、大切な何かを失い、嘆き続ける存在だ。
その姿を始めて見た時、アキリーズの目から不思議と涙があふれてきた。
地方の街で教師として働きながら暮らしていたアキリーズは、妻と娘を魔物の襲撃で失った。武装用具も何もない地方では避難場所も抵抗のすべもなく、大切な二人も、学校の子ども達もみな魔物に殺されてしまった。目の前で殺されていく命をどうすることもできず、見ていることしかできなかった。
あのときに、守るものをすべて失ったと感じた。
その喪失感が、あろうことか失われた神と重なったのだ。
半神生成手術を受けたのは、表向きはわずかな生き残りの生徒を王都に移住させる資金を作るためだったが、その真意は激しい喪失感と罪の意識を拭うための、自殺行為に過ぎなかった。
雷をまとった神は低く……だが雷鳴そのもののように大きく通る声で言葉少なに問う。
「破壊か、救済か」
その問いにアキリーズはどう答えるべきか迷った。心のどこかに、自分を含めた全てを壊してしまいたい気持ちがなかったわけではない。
もう、守る者も何も世界には残っていないのだ。どうなったところで構わないだろう……。
「答えろ。汝はどちらを望む」
そのとき、同じく教師だった妻が自分の身を顧みずに避難させて守った子どもたちの顔が浮かんだ。
気づくとアキリーズは、自分の子であろうと人の子であろうと分け隔てなく慈しんだ妻ならば、必ず答えたであろう言葉をつぶやいていた。
「救済……」
「天津神、建御雷。汝と我の時は今ここに繋がれた。汝を永遠に赦し、わが器とすることを認めよう」
胴体までの神が意識下で溶けていく。そして、アキリーズは目覚めると、雷を纏う剣、布都御魂と運命を共にする半神となっていた。
そして……毎日魔物を殺し続ける日々の中、一人の少女と出会った。
「アキリーズ、あなたはいずれ死ぬわ。私と関わったことが原因で」
まだ幼さを残した、銀髪の少女……二重神性のガイアにそう予言されたとき、アキリーズは不思議と納得がいった。
それが運命であろうと逆らおうとは思わなかった。
彼女は、亡くした妻と娘に少し似た儚さと寂しげな目を持っていたからだ。
だからか、その寂しさに触れることはできなくとも、せめて望むことはしてやりたいと思ったのだ。
「……ほんとうに、よかったの?」
頭の中に描いた幻か、ガイアがそっと暗闇の中から現れ、声をかけてくる。
死ぬ間際と寸分も変わらない、儚く透明な美しさが闇の中に浮かび上がり、光り輝いた。風に吹き飛ばされてしまいそうだといつも思っていた、か細い腕と華奢な体格も、全部……。
ただひとつ、自分を支え続けた唯一の希望のままであるかのように。
「ああ。後悔はない。お前を守れはしなかったがな」
ガイアはいたずらっぽく、だが悲し気に微笑んで言う。
「ほら。やっぱり関わらない方がよかった。あなたには、辛い思いをたくさんさせた」
「それは違う……。結果ではなく、『過程』が大事なのだろう? ならば、俺にとっては悪くなかった」
「私も……。最後までずっと、わがまま聞いてくれて、ありがとう」
「もっと聞きたかった。生きてさえいてくれれば……どんなことでも思うままにしてやれたのに」
生まれつき天涯孤独で、大切な養い親までも奪われた少女にとって、自分は一体どういった存在になれたのかわからない。父親か、兄か……。
ただお互いの寂しさを埋め合う共依存的な関係だったともいえるかもしれない。
「お前はどうなんだ。俺は少しでもお前の役に立てたのか?」
幻のガイアは何も言わずに、ただそっとアキリーズの胸によりかかる。
所詮は願望だ……そう思いながらも、それがもう会えないガイアの答えだと信じたかった。
だがもう、体にも魂にも力が入らず、抱きしめてやることができない。
――神という存在は、本当に死んだのだろうか?
ガイアに出会って以来、アキリーズは何度もそう自問自答することがあった。
すべてを失った自分に与えられた、唯一の守るべき存在。
何をするでもなく、いつもそばに居続けてくれた。誰かに頼られることなどもう二度とないと思っていたのに、自分を無条件に信用して頼ってくれた。
仮面の裏の神食が進んだ顔を恐れることなく、いたわってくれた。
彼女の予言通り、あの若者……ガイアにとっての「王子」が現れたとき、大人気もなく嫉妬するほどに。
救われていたのは、自分のほうだった。彼女こそがきっと、はるか昔に失われた女神だったのだ。
ふと、体の感覚がさらに軽くなっていく。受肉結晶の情報がヴァルトロに引き継がれたからだろう。体が浮かび上がるような感覚が襲う。ああ、いよいよ……すべてを明け渡す時が来たのだ。死は有神時代より形容される通り、義務からの解放でもあるのだと、はっきりわかる。
これほどまでに鮮やかな『自由』を感じたことはなかった。
だからなのか、薄れゆく自意識のなか、初めて神に祈りたくなる。
どうか……あの若者が、時を戻して彼女が救われることを。
闇がゆっくりと光に包まれ、そしてアキリーズの意識はどこかへ溶けだし……完全に消え去った。




