2章8話(26話)
広場に集合したあと、今回は濃霧のかかった森で魔物を討伐するのだと通達があった。そして今回のペアが発表されたとき、アダムは息を呑んだ。
「G4区域はアキリーズ・ストームヴェラー・アマツとアダム・ノーデンス・エルダーゴッドが担当する!」
アダムは深いため息をつく。クリフの采配だろう。ガイアの事前予測で濃霧のかかった森の繭が破れるとわかっていたはず。暗殺がしやすいように、そこまで考えて……?
「どうした、行くぞ。アダム」
アキリーズが気づくと背後に立って声をかけた。
「あ、ああ……」
濃霧に覆われた森、『ウェスダリア樹海』はルルイエ東南部にある。アザトースの侵攻前までは通常の森だったが、彼が最初に発した瘴気の影響で常に霧が充満し、酷く迷いこみやすい地形となってしまった。
エリアマップが機能しているのに、霧の影響で精神的な方向感覚が奪われ、案内の声も下手をすると届かなくなると事前に説明があり、何があろうともマリアの声を聞くこと、ペア相手とはぐれないように注意しろとのことだった。
「はぐれないようにって言ってもなぁ……」
アダムはアキリーズの後ろを歩きながらつぶやく。討伐に備えているから、槍を構えていることに違和感はないだろう。
アキリーズを殺すと決めたわけではない。だが、まさに決断しなくてはならないときが近づいている。
でも……魔物の討伐が先だ。指定エリアでの討伐をまずは終わらせないと。
アキリーズはアダムの迷いにも気づかぬようにただ前を歩いている。
深い霧の中では、互いの存在さえもあやふやだ。
……いつでも、背後を狙える。ガイアの幸せな未来のためには……。
だが、強いアキリーズに勝てる保証はない。霧の深さを利用してうまく立ち回れたとしても、失敗して自分が死ぬ可能性が高い。
むしろ、そうなったほうがいいのかもしれない……。
やめろ! 頭の中の思考を止めようとアダムは自分に戒める。
俺は、自分の気を楽にしようとしているだけだ。そうなったら、本当に誰も救えない。煮え切らない自分にただひたすら苛立った。
「迷いがあるようだな」
「え?」
「何についてかは知らんが、完全な答えはないぞ。欠けがあるなかでも最善の道を選ぶしかない」
アダムはうつむく。ガイアを忘れたアキリーズは何のために戦い、世界をどう見ているのだろう、とふと思った。
「上から来るものは俺が倒す。お前はその間、周囲を」
それだけ言い、アキリーズは大剣『布都御魂』を抜刀した。
「わかった!」
アダムはふと上を見ると空を飛ぶワイバーンが十体ほどこちらに向かって飛来してきていた。そして四方からは巨大なトカゲ型の魔物が迫ってくる。
槍を構え、アダムはまず近距離にいるものに向かって言った。
ギシャアアアア!!
それと同時に、激しい叫び声と共に飛来し接近してくるワイバーンに向かい、アキリーズは勢いよく、天を切り裂くように剣を振るう。
「我が深奥なる建御雷の名において命ずる! 雷剣の神威にひれ伏せ!」
その瞬間に布都御魂は雷を帯びた剣と化し、天から飛んできたワイバーン十体を一気に切り裂いた。
凄い……。
アダムは思わず目を奪われる。アキリーズの実力をこんなにも近くで見たのは初めてだった。
我に返り、数体のトカゲと向き合う。アダムの正面にいるトカゲがグワッと口を開く。そのトカゲの口は縦に割れていき、その様相の恐ろしさからアダムは後ずさる。
でも、止まるわけにはいかない! 槍の先端部をその隙を見て勢いよく喉奥に突き刺した。
断末魔を上げ、トカゲが灰となって消える。別個体が再びアダムに向かってくる。
今は目の前のことからだ。一人でも多くの人を助けなくてはならない!
「うおおおおおお!」
槍を固く握りしめ、アダムは戦いに身を投じていった。
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「ふぅ……少し片付いたね」
一体一体がしぶとく、消耗したが、どうにか今現れた者たちは処理した。
アキリーズはアダムに背を向けたまま、少し呆然として動かない。
「……アキリーズ?」
「どうした? これほどまでにいい機会はないと思うが」
「……なんのこと?」
「俺を殺すつもりなのだろう?」
「……なっ、そんなわけないじゃないか!」
いや。見抜かれている。昨日と同じだ。隙をあえて作ったのは試すためだろう。
「機会を逃したな。馬鹿な奴だ」
そう言ってアキリーズはまた先に進んでいった。
「あっ、待って!」
濃霧の中を進みながら、アダムは何度かアキリーズに真意を聞こうとした。だが、代わりに別の言葉が口から出る。
「ガイアを、本当に覚えていないの?」
「ああ。お前の反応を見る限り、あの娘と俺は関わりがあったようだな」
アダムは答えに迷う。あんな辛いことを、思い出させていいのか?
「俺には未来は見えない。そして過去もきっと消された。だが、不思議とわかる。俺を殺そうとするのは、あの娘のためだろう」
「それは……そう、だ」
アダムは素直に答えた。
「覚えてはいない。だが、胸の奥に残っているものはある」
ふと、アダムはガイアが『思いは残る』と言った言葉を思い出す。
「思い出そうとするたびに、頭が割れるように痛くなる。だが、声は聞こえ続けている」
「声?」
アキリーズは立ち止まる。樹林のなかにひときわ大きな樹が立っていた。特にこのあたりの樹は深く、暗い色をしていた。
「あの娘が俺を呼ぶ声だ。それがいつまでも頭の中に反響し、心をかき乱してくる……。今も……あの娘のためであるならば死ぬべきではないか? そんな思考が襲ってくる。ろくに覚えてもいない、ただ一人の娘のために」
次の瞬間、アキリーズはアダムに向かって容赦なく斬りかかってくる。
「くっ……!」
アダムはギリギリに回避したが、わずかに布都御魂が頬を掠った。瞬間、血が噴き出る。
「俺と戦え、アダム。お前が俺を殺すに値する人間かを判断しよう。そして……俺の頭に浮かぶ衝動の正体を確かめる!」
アキリーズは間髪入れず、斬り込んでくる。避けられない!
だが、自分が殺されれば、時の改変は……? 誰の未来も救えない!
アダムは槍でその一振りを受け止め、どうにか踏ん張った。
だが、かつて受け止めたヴァルトロのソードブレイカーと布都御魂の深い重みは桁外れだった。ぎりぎりと槍に食い込み、アダムは体が沈み込むのを感じた。
「踏ん張っても、時間の問題だ。この程度で俺を殺そうと思ったとは甘いぞ」
ヴァルトロとつばぜりあったときのことを思い出す。あの時と同じように、回避し、下に潜り込めば!
だが、先に剣を離したのはアキリーズだった。勢いよく、剣を振り払い、アダムの腹部を斬りつける。激しく血が噴き出す。
「やめろ……俺が殺されたら、時を戻せない……」
「そう……確かお前はその異能を持っていたな。そして全てを救うと、荒唐無稽な夢を描いた」
アダムはハッとする。そして出血の割に傷が浅いと気づく。アキリーズの記憶はガイアに関する部分以外は残っているようだ。クリフが言うように、記憶改変は完璧ではない。
「しかし、お前の想いは真実なのか? お前は一体、なんのために……誰を救おうとしている?」
アダムはそう問われ、答えを失った。
救いたいのは、誰なのか。
その問いで瞬時に頭に浮かんだのは、大勢の国民ではなく、ただ一人、銀髪の少女だけだった。
アダムは衝動のままに槍を構え、アキリーズに向かって行く。
「無駄だ!」
アキリーズが肉薄してきたアダムを大剣で斬りつける。だが、アダムは斬られて後ろに倒れながら、槍を勢いよく投げた。
アキリーズの肩にアダムの槍が刺さる。
「ぐっ! これが狙いか!」
「君相手じゃ……近接戦闘に勝てない、からね!」
だが、アキリーズによって斬りつけられた傷は深く入った。アダムは後ろに倒れる。
腹からまた、血が噴き出る。やっぱり、ダメか……。実力差がありすぎる。立ちあがろうにも意識が朦朧とする。
ノーデンスの槍を引き抜き、アキリーズは傍らに投げ捨てた。そして大剣を携え、近づいてくる。
「甘いぞ、アダム・ノーデンス・エルダーゴッド。次こそトドメを指す。お前如きを殺そうが、俺の神食度は変わらない。お前にも殺されるわけにも、こんな記憶の亡霊などに左右されるわけにいかん!」
ダメだ、どうにか、どうにかしないと……。
ノーデンス、どうすればいい?
思わず助けを求めようとした自分を叱咤する。
違う……そんなことは自分で考えろ! 一番大事なことは、自分でどうにかしなきゃいけないんだ!
アダムは頭の中で自分を叱りつけ、できるだけ冷静に思考を巡らせる。
ガイアはアキリーズを殺してまで、時を変えてくれと望むのか? 誰かの犠牲で人を救うのは、本当に正しいのか?
『たす……けて……×××』
瞬間、誰かの声が響く。それはヨグ・ソトースでも、ノーデンスでも、ガイアでもない。誰、だ……?
そうだ、最初に半神として目覚める前、頭の中で泣いていたあの子だ……。
もう、俺は誰も見捨てちゃいけない……。
アキリーズが近づいてくる。そして大剣の切っ先をアダムの喉元に突き付けた。
「抵抗しないのか」
「……やっぱり、ダメだ。俺たちは、同じだから」
「同じ? 何がだ」
「俺達は同じ、大事な人を亡くした。だから俺は君を殺せない……いや、殺さない。犠牲になんか、しちゃいけないんだ!」
切っ先が少しずつ、皮膚に入っていく。アダムは心臓が激しく脈打つのを感じた。アキリーズはやっぱり殺せない。
他の方法が何か、あるはずだ……。誰も殺さず、みなを救う方法が。
「同じ? あの娘のことなど、俺は知らん……! だが、記憶の一部が欠けてから、仮面の奥がひどく冷える……お前を屠ろうとしている今もな」
「本当のことを教えるよ。アキリーズ……だから俺を信じて、待ってくれないか? 違う方法を探すから!」
「何のことだ? 俺は知らん!」
「君は誰よりもガイアを大切にしていた! まるで、妹みたいに、娘みたいに。彼女の最期の願いを叶えるために、彼女を手にかけたんだ……」
「な……に……!?」
アキリーズの目が大きく見開かれ、半分しか見えない口元が激しく揺らいだ。
「だけどクリフは、君を使える駒にしておきたいがために、彼女の記憶を奪った。だって、あまりにも辛い事実だから!」
「嘘だ……。俺は孤独に生きてきた。娘を亡くしてから、どこまでも、独りだった。半神となってからも、なる前も……」
「違う! 君はあの子の父親であり、兄だったんだ。俺も、彼女を忘れかけてた。その方が痛くない、苦しくない。だから……逃げてしまおうかと思った! でも、ノーデンスが教えてくれたんだ。それじゃダメだって。痛くても、忘れちゃいけない……彼女が俺たちと一緒にいてくれたことを! 俺たちさえ覚えてれば、ガイアは存在し続けるんだ!」
アキリーズはしばらく静止していた。
「ああ……そうだった。俺の仮面の奥を、いつも温めてくれていたのは……あの娘だ」
だがその時、アキリーズの心臓を背後から何かが素早く貫いた。アキリーズは瞳孔を見開く。
それはあまりにも見覚えのある形状の、溝がある刃だった……。