2章4話(21話)
クリフに従えば、ガイアの死の運命だけは回避してくれる……?
アダムの脳裏に、ガイアの美しい笑顔、そして死ぬ間際の悲しい顔が焼き付くように激しくよぎった。その様子をどこか面白そうに見ならクリフは言った。
「へえ……記憶を取り戻したら取り戻したで、いいこともあるものだね。大体は愛する者を喪えば使い物にならなくなるから記憶を消してるんだけど」
「でも、ガイアだけを助けるのなんて……ダメだ……ほかの人たちはどうなる?」
「まだそんなきれいごとを言うのかい? いいじゃないか、どのみち半神になったらみんな魔物に殺されるか、受肉結晶の海に溶けておしまいなんだ。でも、ガイアだけにその運命を背負わせないことならば可能だ。彼女の母親が生きていれば、そんなことにはならなかったはずだ」
半神でなければ、死なずに済む……。
「大地の神ガイアと運命の女神であるモイラの適合候補はほかにもいた。かわりはいくらでもいるさ」
「じゃあ誰か、別の女の子が同じ目に遭うのか? そんなのはだめだ!」
「彼女が助かるか、助からないかだ。余計なことはナシにもう少しシンプルに考えたら答えは明確じゃないかい?」
アダムは思わず、拳を握り締めて黙りこくった。
「肯定か否かはアダム、君の仕事ぶりで判断しよう。ちなみに「否」ならばガイアは助からない」
どのみち、従わせる気なのだろう。
「俺に何をさせる気なんだ、クリフ」
「神食係数が高まったアキリーズを殺してくれ」
「なんで!?」
クリフは操作盤の数字を指さして淡々と答える。
「97。これはここまで沈めた半神の数じゃない。目標とする受肉結晶の培養パーセンテージだ。大して魔物を殺せず神食が進んでいないポーンなら0,05程度。さっきの子たちは0.1。まあまあ頑張った方だね。アキリーズクラスでようやく1進む。彼がここに沈めば98になる」
では一体、何人の半神がここで犠牲になったんだ……? アダムのその疑問で背筋が寒くなる。この海は、死海だ。数多の半神と共に沈んだ神々の嘆きが封じ込められている。
「ただ、厄介なことが一つある。彼は魔物の討伐に『使える』んだ。彼の『聖遺物』(レガシー)であり、宿主の神でもある大剣、布都御魂は一気に200の魔物を屠る剣だ。彼がいないと死者数はおよそ一日百人は跳ね上がる。僕は王だからね。この目的があるとはいっても、一応は国民のために働く必要がある」
「それが、アキリーズを殺す事と何の関係があるんだ!? じゃあぎりぎりまで半神として働いてもらったらいいじゃないか! どうせ、いつかは暴走前に粛清されるのに……」
クリフは口元にどこか嗜虐的な笑みを浮かべて言った。
「能力および受肉結晶の継承……。半神は『神殺し』によってそれができるんだよ」
「神殺し……?」
ヴァルトロが人の能力を奪おうとしていたことを思い出す。だが、一体なぜアキリーズの能力を自分が奪う必要があるかはわからない。
「ある実験でわかったことだ。聖遺物に残った神々の『嘆きの残滓』は互いを殺し合うことでより深く感応し合い、殺されたほうの神の聖遺物と受肉結晶は、殺した半神に吸収され、能力が継承される。細かい理由はわからないけれど、受肉結晶が二つの神の時を一緒くたにまとめてしまうらしい。ちなみに神食係数もね。だからたいていは、半神が同族殺しをすると神食係数がはね上がって殺した方が壊れてしまう。君はヨグ・ソトースの鍵を持ってる。いったんは持つだろう。死ぬような思いをするかもしれないが」
アキリーズを殺すなんていやだ。でも……そうしないと。
ガイアの澄んだ緑の目が問いかけるように、責めるわけでも、微笑むわけでもなく……ただ見ている。
「こんなことをやらせようとする理由が知りたいかい? それは『神殺し』で神食された受肉結晶を引き継いだら、神食が通常の倍進む個体ができる。正確に言えば、倍のスピードで神食が進み、君は受肉結晶の培養によりよい個体となるんだ」
……ガイアを作った理由と同じだ。アダムは思わず問い詰める。
「受肉結晶の培養パーセンテージを手早く上げたいからといっても、なぜそうまでして急ぐ?」
クリフはアダムの耳の近くに触手を近づける。思わずびくりとしたアダムを見て笑った。
「君の命も半神たちの命も、完全に僕が掌握している。だが、一つどうにもならないものがあるんだよ。時の流れだ。このパーセンテージを速く埋めるためにあらゆる手を尽くしてきたのは、時間を戻せたとしても『間に合わなくなってしまう』からだ」
アダムはふと思い出す。前に時が戻った瞬間はわずかな一瞬だった。それは、受肉結晶の量や神食係数のためなのかもしれない。
「戻せる時間を稼いでも、時が流れてしまったら意味がないんだな」
「その通り。さすがはヨグ・ソトースに愛された者だ」
どこかクリフは皮肉るように言った。
「でも、あまりにむごい。なんでそうまでしようとするんだ……! 人の記憶までいじって王に成り代わり、俺に……大切な人を守るために仲間を殺させようとする」
「記憶を消すのは優しさだ。忘れた方が幸せなこともある……いや、でも少し違うかな」
クリフはそう答えてから、打って変わって悲しい目をして言った。
「僕は羨ましいんだ。誰かに愛されて、永遠に記憶の中に生きられる人が。誰からも忘れ去られて、永遠に闇の中でしか生きられない人間もいるんだよ。アダム、君が全部忘れたっていい。そう僕が望んだからね。……でも、どうしてかな。これだけは忘れてほしくない」
クリフの目がわずかにうるむ。冷徹な偽りの王が一気にはがれたような、複雑な顔だった。思わずアダムはクリフの片手を両手で握った。クリフは振り払おうとしたが、力を込めて強く握った。
「何をするんだ、やめろ!」
「だって、君があまりにも悲しそうだったから。何か俺にできることはないのか? こんなことじゃなくて、もっと……君の本当の望みを叶えるために」
そのとき、クリフの背中から触手が瞬時に這い出て、アダムの手を激しく殴打した。あまりの痛みにアダムは思わず、手を抱え、地面に倒れ込む。
「だから嫌なんだ……。僕に優しくするな!!!」
「友達、なんだろ。なんで優しくしちゃダメなんだ」
「そんな言葉をどうしていまだに信じられるんだ? 僕は、君のガイアを半神にした張本人なのに!」
アダムはその問いを受け取って、静かに答えた。
「わからない。『衝動』だ。俺は、もう決して誰の手も放しちゃいけない。自分の記憶が完全に戻ったわけじゃないけど、俺にそう教えてくれた人がいるから」
クリフは憎しみなのか悲しみなのか、口元を一瞬歪めたが、冷酷な顔を張り付けた。
そしてアダムを鞭状の触手で何度も繰り返して殴打する。
「うぐっ……!」
体にいくつも傷がつき、血が噴き出した。だがアダムはやめてと懇願しなかった。
何も覚えていないが、気が済むまで、痛みを受け入れる必要がある気がしたのだ。
しばらくすると、攻撃は止まった。頬からも血を流していると気づいたアダムは手で軽く拭った。その様子を見下ろすクリフはどこかやるせない顔をしていたが、背を向けた。マントで隠れた背中に触手が一瞬で吸い込まれる。
「……取り乱してすまない。今のは明らかに、非効率かつ感情的で無駄な暴力だった。王にも、父上の子としてもふさわしくないね……。治療キットを部屋に届けさせる。だからそれで手当をしてくれ」
彼は、父アーサーの息子ではあるのだろうか? 謎が広がるが、これ以上は踏み込ませないという強い意志がクリフから感じられた。
「いや、これぐらい討伐で慣れてる。でも……いつか、俺に話してくれないか? 君と俺に何があったのか」
「立場をわきまえろ! 君は僕に従うしかない半神なんだ。命令に背くことは許さない。君が僕にできることはこの海を培養し、『銀の鍵』を僕に引き渡すことだけだ」
クリフはアダムと一切目を合わさずに後ろを向いて言った。声がわずかに震えている。まるで泣いているように。アダムは思わず、クリフに駆け寄ろうとする。
「クリフ……」
「もう、行ってくれ。アキリーズの殺害は3日以内に行え。どんな機会を利用しても構わない。討伐中を狙うのもいい」
こぽり。溶鉱炉が波打つ音がして、アダムはふと、半神たちが沈むヨグ・ソトースの海を見下ろす。熱に溶かされた、不気味なまでに美しく輝く虹。
この虹はいつまでも自分を待っている……。深淵の中、一つになるために。
その直感が走る。元は一柱の神の肉体であった受肉結晶が放つ本能の声であるのかもしれない。陰鬱な思いに支配されながらも、アダムはその場を後にした。




