2章3話(20話)
カツン、カツン……。
階段を下りていきながら、アダムは少し呼吸が荒くなるのを感じる。地下は空気がよどんでおり、薄くてやや息苦しい。
永久に続くかと思われた階段だが、降りきったところに二つ扉があった。
右側にある扉は鉄格子の窓がある。そこから覗き込むと、牢獄になっている。
「マリア。この牢獄は一体?」
「こちらは非干渉区域。回答は不可能となります」
でも、ここに誰かが囚われているとしたら? アダムはふと、ドアノブに触れようとする。だが、その瞬間、激しい電流が走った。
「痛っ……!」
手が激しくしびれ、火傷を負った。ここに入ることは難しそうだ。
アダムはもう一つのほうの扉を開くことにした。
ギィィ……用心しながら扉を開くと、そこは虹色の洪水だった。
「……! なんだ、ここは……?」
細い橋のような通路、周囲には虹色に輝く液体が大量に貯水されている。熱された空気から、これが熱で溶かされたものだとわかる。
ここは溶鉱炉なのだ。そして……。虹色の輝きを放っている。それを見てふとアダムはひらめく。
「これは、受肉結晶……?」
「ご名答。すぐわかるなんて察しがいいじゃないか」
クリフだ。声がした上の方を見ると、彼はここよりも高い足場に設えられた操作盤の傍に立っていた。
「悪いけれど、仕事がある。僕からも話があるが、ちょっと待っていてくれ」
周囲には研究員らしき、防護服を着た者がいる。クリフはなぜかいつも通りの姿だ。
「こ、ここは一体なんなんだ!?」
アダムが聞いても、クリフは答えない。さっき言った通り、待っていろと言うことなのだろう。
そしてクリフの周りには目隠しをした半神たちが集まっていた。みんな、わなわなと怯えて震えている。
「こ、ここはどこだ……? 俺たちは、討伐限界数に至る前に半神用のサナトリウムに行けるって聞いたぞ!」
「お、俺もだ……!」
クリフは彼らの首輪の操作盤をいじって確認していく。
「討伐で貢献してくれたようだね。神食度は悪くない塩梅だ。だが戦場で『使う』にはミスが多い個体たち。このままいつ魔物に殺されるやもわからない。無駄な軍用コストをかけ続けるよりはこの処理が最適だな。もう時間もないことだ」
「お、王!? 一体何を……!」
クリフは研究員に「というわけで、全個体、処理可能だ」と声をかける。
すると研究員が操作盤の近くにあるゴンドラに乗り込み、彼らを無理やり乗せた。
「な、なんだ! やめろ!!!」
「いやだ、俺は地方に残してきた妻と娘がいるんだ!!」
クリフはたんたんと、下りていくゴンドラを見下ろしてよく通る声で言った。
「最初の契約時に言ったよね。半神になった以上、君たちは国家の占有軍事資産となり、命の保証はできかねる。そして、遺体に関する占有権利までが国に帰属すると。さあ、頼んだよ」
彼ら半神を乗せたゴンドラは激しく下降していく。そして、虹色の液体のすぐ上まで来た。
アダムはそれを見て、嫌な予感を覚える。彼ら半神をこの溶鉱炉に突き落とす気だ。
「やめろクリフ!」
すると、クリフの背から触手が生え、瞬時にアダムの首に巻き付いた。首輪の上部の頸動脈を圧迫される。
「がはっ……!」
「うるさいな、少し黙っててくれ。そうでないと、力を強めるぞ」
「やめろ、やめるんだ……!」
防護服の研究員たちはゴンドラの出口となっている鉄格子を外す。
そしてためらいなく、彼らを溶鉱炉に突き落とした。
「ぐわああああああ!!」
「ひっ……! なんで!!!」
悲鳴がとどろき、人間が溶鉱炉の中に落ち、あっけなく溶けていく。溶けると言うよりも、吸い込まれるといったことに近かった。跡形もなく虹色の海に沈んで……何も見えなくなる。
なんてことを! そう思いながらも、苦しく、何も言うことができない。
クリフは操作盤を見る。そこには現れていた数字「97」は先ほどと変わっていない。
「変わらず97%か……。まあまあ働いてくれた個体だが、所詮はポーンだな。受肉結晶の培養度はまずまずだが……最後のピースが揃いさえすればいいだろう」
そしてアダムを見下ろし、思い出したように首に巻き付けた触手の拘束を解きながら言う。
「アダム。お待たせ。ダメじゃないか、勝手に入ってきちゃ。まあいいや、こっちに上がってきてもらおう。彼を上に運んでくれ。この触手で持ち上げてもいいけど、あまり悪い負担をかけたくなくてね」
ゴンドラが上昇し、アダムがいる鉄橋の足場に接着する。そして研究員たちに促され、アダムはクリフのいる操作盤の近くまで来た。「ご苦労様」と研究員に声をかけると、彼らは去って行った。
「アダム。ここに入れたということは何かを思い出したんだね」
「ガイアの遺体をどこへやった!? そして、君はなぜ……偽っている!? この国の王だと!」
その瞬間、クリフの美しい顔がゆがんだ。
「冷静さを失った会話は嫌いだな。僕は君と違って、きちんとマナーは守る。まずは質問に、結論から答えておこう。一つ目の質問に対する答えは、今君が見たことと同じだと思ってほしい」
「じゃあ、ガイアを溶かしたのか!? この溶鉱炉のなかに!」
クリフは悪魔のように可愛らしく笑って言う。
「あはっ、人聞きが悪い言い方はやめてくれないかなぁ? ここは『時の改変』に必要不可欠な一柱である受肉結晶の集積場……時の神ヨグ・ソトースの心臓であり肉体そのものだ。遺体になった半神や使えない個体をここで溶かせば、失われた時の神の肉体は培養され、再び鼓動を始める」
「まさか、ヨグ・ソトースを蘇らせるために……?」
「バラバラになった神を蘇らせはできない。だが、その力を満たさなくては『時の改変』は可能とならないんだ。ねえアダム。君は愛する人やその他大勢のために時を戻したい。……そうだろう?」
「ああ! そのためならなんだってするつもりだ」
「僕も同じ夢を抱いている。夢を叶えるためには半神が魔物と戦い、聖遺物と共に神食によって育てた受肉結晶が必要なんだ」
「だから、みんなをあの中に?」
「早い話が、資源の活用だ。半神は貴重な軍用資産。遺体まで無駄にすることなく使うのが敬意と言ったものだよ。ガイアに関しては神食度も高く、女神二人を宿した半神。活用しない選択肢以外はない」
活用。物のような言い方だ。いや、クリフは半神を最初から物としてしか見ていない。
「だからってひどすぎる! 神食が進んで死ぬまでこき使って、使えなくなったらこんなところに沈めるなんて!」
「ひどい? みんな、事の大小は異なれど、自分以外の他人を利用して生きてるじゃないか。それよりも冷静に考えてくれ。時を戻すのには、これも必要なんだよ。君と言う最後の鍵を活用するために最高の環境を作っているのに」
アダムははっとする。そしてクリフの目を見て言った。
「クリフ、君の狙いは国を守る事でも何でもない。半神に魔物たちを倒させているのは全部、分散したヨグ・ソトースの肉体を繋ぎ合わせるためだったのか……最初から、時を戻すことが目的で」
クリフは特に驚きもせずに答える。
「そう……。種明かしが少し早くなりすぎはしたけど、特に問題はない。これも計算しなかったわけじゃないからね」
「クリフ。君はなぜ、時を戻したいと思っている?」
彼の目的が『国の為に世界を元に戻す』ことでないことは明らかだ。クリフは虹色の熱風に包まれた海を眺めながら言った。
「それは答えかねる。友であってもプライバシーは尊重してくれ。いずれにせよ、受肉結晶を培養しなくては、ヨグ・ソトースの銀の鍵を深層意識に内包しているだけの君には時を戻せないからね」
アダムはこれまでを振り返ってみる。確かにヨグ・ソトースが語り掛けてくることや銀の鍵を幻視したことはある。だが、その力を使えたのはわずかな時間だけだ。
「努力すればヨグ・ソトースの異能として『銀の鍵』を使える。まさかそんな風に考えてないだろうね? 残念だが、人にバラバラに切り刻まれて殺された時の神ヨグ・ソトースの力はそう簡単に発動できない。君がこれまで実感したヨグ・ソトースの力はあくまでも『神の気まぐれ』程度だよ。だから大きく時を戻すことも、完全に願いを叶えることもできない」
思わず戸惑う。じゃあこれまで、時折力を使えていたのは、単なる神の気まぐれだったのか?
「だったら、鍵はどうやって使えばいいんだ?」
「僕に預けてくれたら、きちんと使ってあげよう。大切な鍵を提供してくれる以上、君の要望はある程度聞き入れるよ」
「なら……僕は、時を戻してこんな惨状になる前に世界を戻したい。そのためなら、なんでもするから!」
クリフはそれを聞いて満面の笑みを浮かべて言った。
「いいね! 誰をも等しく愛す、君らしく素晴らしい意見だ」
しかし、すぐに冷酷な顔に戻って告げる。
「でも悪いけど却下。それは聞き入れられない」
「なぜだ? みんなが救われるのに!」
クリフはアダムの首の後ろに自分の触手を這わせた。
「ひっ……!」
この触手が脳髄を這った記憶が蘇り、アダムは身構えた。
「これまでの会話でわかっただろうけど、一応わかりやすく説明しよう。『時の改変』に必要なのは、極限まで神食現象によって培養されたヨグ・ソトースの受肉結晶。そして……君の魂、深層意識の中にはなぜか、ヨグ・ソトースの残した銀の鍵。この二つだ。ただし、この銀の鍵は「取り出す」必要がある」
「鍵を取り出す……?」
「ああ、そうだ。『時の改変』に必要な、君の中にある銀の鍵は、僕が現身となった創生神クトゥルー……ヨグ・ソトースと魂の元を同じくする彼以外には取り出せないんだよ」
「なんだって……?」
クリフは面白そうに触手でアダムの首をそっと撫であげた。
「クトゥルーは人間のすべての記憶に干渉する権限を持つ。銀の鍵は意識の底……深層よりもさらに奥深くにある記憶の奥底から鍵を取り出すには、彼の力を借りるほかない。彼も……『鍵』がほしいそうだからね」
記憶の奥底にある鍵。それを聞いたとき、不思議とアダムは納得がいくのを感じた。時折聞こえるヨグ・ソトースの声はきっと、その奥深くにある、思い出せもしない記憶の底に呼び掛けているのだ。きっと、鍵がある場所に……。
「だから取引だ。僕はクトゥルーと自らを繋いだ身。彼を呼び出し、君の『時の改変』の元となった銀の鍵を取り出してあげよう。ああ……もちろん受肉結晶の海に沈む前に、深層意識から取り出した鍵に願いをかけるのは僕だよ? そして……銀の鍵を取り出したあとに抜け殻となった君をこの虹の海の中に沈め、ヨグ・ソトースの受肉結晶を完成に近く育てれば、『時の改変』は可能となるはずだ」
「願い? だが、『銀の鍵』の持ち主は俺だ。俺が願いさえすれば、そうなるんじゃないのか?」
クリフはふん、と気高い顔でせせら笑う。
「バカだね。創生神クトゥルーと僕がそんなことを許すわけがないじゃないか。クトゥルーと僕はある約定を交わしている。君が『時の改変』の権利を得ようとするものなら一瞬で君を殺すね。『銀の鍵』を得た瞬間、君はもう用済みだもの。ああ、もちろん君の遺体には用があるよ? 虹の海に沈める受肉結晶としてね」
アダムは恐れのあまり、体が震えるのを感じた。時を戻せたとしても、それはクリフとクトゥルーの力がなければ成し得ない。そして、『時の改変』の叡智を開いたところで自分の願い……みんなの救済を叶えることさえできはしないのだ。
虹の海を眺める。ここが時の神ヨグ・ソトースの心臓。半神がすべてをなくし、かの神に吸収される場所。ガイアも、この中にいる。
クリフとクトゥルーに従って、みんなを救えるかは思えない。でも、仕方ないのか……?
『メルジューヌ……君らしくないね』
誰かの声がする。ヨグ・ソトースだ。この海からきっと聞こえている。そうだ、ずっと聞こえていたのはこの声だったのだ。
「アダム。また『声』が聞こえたのかい? 選ばれし者は大変だね」
……そうだ、確かに俺らしくない。
「……救う」
「ん? 何か言った」
「もし君が思う通りに過去を変えたとしても、俺は諦めない。ガイアも、この世界のみんなも救う! どんな状況になっても、その想いは変わらない!」
そう言い放ったアダムを見て、クリフは冷たい瞳の中に悲しみと動揺を浮かべた。
「そう。君が守りたいのは『それ』だけか……」
クリフは表情を変えずに言った。
「クリフ?」
「不可能だ。悪いけど、この対話に割いている時間が勿体ないから手短に話すよ。君には一仕事頼みたい。それに成功すれば、時を戻すとき、ガイアの死の運命だけは回避すると約束しよう」
「……!!」
アダムは思わず、息を呑む。




