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2章1話(18話)

 静寂と沈黙が支配する白い世界の中……アダムは意識を取り戻した。

 帰ってきた……やっと自分が、自分に。

 なぜかそう感じた。

 おそらく、さっきまで何者かが自分の中に、脳内をかき乱れ続けているような感覚に侵されていたからだろう。

 見渡す限り、周囲が真っ白だ……。これは、俺の頭の中だろうか?

 最初に半神として目覚めた時に感覚が似ている。頭の中が白く、全て塗りつぶされているような感じ。 

 でも、一つ大きく違うところがある。

 ノーデンスの声が聞こえない。そしてあちこちに粉々に割れたガラスの破片が積み重なっている。鋭利にとがったそれはまるで剣の山のようだ。体に刺さると、きっと痛いだろう。

 どうにもこの輝く破片の瓦礫が恐ろしくて、触れたくない。まず、なぜ俺はここにいるんだ?

 ぼんやりと、絡まった糸をほどくように思い出していく。

 そう、俺は神の聖遺物レガシーを体内に取り込んだ半神、アダム・ノーデンス・エルダーゴッドとなって、国のために戦っていた。蛇のような亀のような、魔物……あいつとさっきまで必死で戦っていた 気がする。

 そして……最後に大事な物をなくしてしまった。

 だが、何をなくしたのかまったく思い出せない。

 キラン……。

 ガラスの破片が輝いた。自分のなくしたものを知っているのは、あれだけ。そんな気がした。

『『記憶の刃』なんて見なくていい、触れなくていいんだよ』

 ふと……どこからから、優しく澄んだ、『あの声』がした。俺を太陽の王国の巫女の名で呼ぶ、ヨグ・ソトース。

「ヨグ・ソトース……? 君なのか?」

『そうだよ。僕はずっと君のそばにいる。片時だって離れることはない。過去、現在、未来。すべての時間軸と次元において君を見つめ続けている』

 声のありかを探るが、見当たらない。表現するなら、鼓膜に流れ込んでくるのでなく、脳の奥の方に直接語り掛けられているようだった。

「でも、俺は君のことを知らない。ごめん……」

『ううん……それでいいよ、メルジューヌ。僕と君は、その方がいいんだ』

 姿が見えないまま、声は少し寂しそうに言う。

「どうして? 忘れたままじゃ、さびしくないの? きっと俺達、友達だったんだろう?」

『……だからだよ』

 声はひどく失望したように言った。

『覚えていたとしても、そうやってざっくりと大きな『友達』の袋に入れられて、時折ぼんやり思い出されるだけ。それがどれだけつらいか、君には想像できる?』

「そんなことしないよ。みんな、大切だ。それに……」

 アダムは胸騒ぎを覚え、胸のあたりを思わず抑える。

「あのガラスの破片に触らなきゃ。きっと、すごく大事だったものが、あの中にはあるんだ。ちゃんと思い出さなきゃ」

「ダメだよ。そんなこと、させない。そんなの、ずるい」

「え……?」

 不思議な声が一気に低くなる。さっきまで少女のように高く澄んだ声だったのが、低い声に変わる。

「一万年の歳月をかけて、やっと君の魂に辿り着いた。もう君を苦しませたくないんだ。ねえ、メルジューヌ……『それ』は確実に君を悲しませてしまうよ。だから、決して触らないで」

 悲しませる……? じゃあ、あのガラスの欠片にはやっぱり、悲しい記憶が隠れているのか? だが、確かに脳の裏側に空洞ができたような感覚があった。

 その時、背筋が凍るように冷たくなる。そうだ、脳髄の中に入り込んできた触手……あれが容赦なく這っていき、自分の中の『何か』を蹂躙し、大切なものを侵していった。

 今浮かんだ考えに答えるように、ヨグ・ソトースが言う。

『クトゥルーの半神の異能をもってしても、人の『記憶』を完全抹消することはできない。代わりに粉々に壊して、意識の隅に置いておくんだ。痛くて、決して触れられないような形にしてね』

 そうか……ならば、やっぱりあの虹色の破片は今感じている空洞そのものなのだ。

「確かに、あの虹色の破片を見ているとすごく悲しい気持ちになる。胸がざわついて、すごく不安だ。でも、このままにしておいたらどうなる?」

『だんだん、欠片は風化していく。僕は記憶に干渉することはできない。でも、壊れた記憶は僕……ヨグ・ソトースの受肉結晶の糧となるんだ。実際に、君が持っていた最初の記憶は『糧』となって殆ど残っていないよ』

 だから、何も覚えていないのか?

 だが、俺が最初に持っていた記憶をまるごと消す理由はどこにあった?

 そのとき、ザザっと頭にある映像がザッピングする。血を流しながら、微笑む銀髪の美しい少女の姿。彼女の冷たい唇の感触……。

 だが、『それ』を思い出そうとした瞬間、青紫の触手が足元から出現し、体の動きを止める。

「うぐっ……! どうして……!」

『辛いことは忘れた方が楽になれるよ……ほら、頭をもう一度真っ白にして。何も思い出さなくていいから』

「おい、アダム!! ごまかされるでない!」

 閃光が走るように力強くて、よく知った声が響く……。そう思うやいなや、カッと目の前が金色に光った。

 まん丸い小さな光の球。それが怒っているかのようにあたりを飛び回る。

「ノ、ノーデンス!?」

 驚いたアダムに比べ、ヨグ・ソトースの声はひどく落胆をにじませて言う。

『おかしいな。邪魔だから、意識下で眠らせておいたのに』

「ヨグ・ソトースの受肉結晶の一部でしかないそなたになんぞ、いいようにされん!」

『クトゥルーとの闘いで利き腕を奪われた君が? まだ懲りないの?』

「はっ、『じゃない腕』にはもう慣れっこじゃ。儂らはな……どこまで行っても、ありもんで勝負するしかないんじゃ!」

 金の光はアダムの目の前に近づいた。

「わっノーデンス近い近い! 眩しいって!」

「安心せえ! キスの距離よりは遠い。知らんけど~!」

「ふざけてる場合か! ねえ。一体どうなってるの? ここ、俺の頭の中だよな?」

『ノーデンス。邪魔するようなら、お前を排除する!』

 パキリ。パキリ……パキリパキリパキリ!!!

 その音とともに、虹色の鋭利な破片がふわりと浮かび上がる。ノーデンスはあおるようにふよふよと漂いながら言った。

「おーおー。『記憶の刃』でぶっつぶそうってやつか? そなた、いかにも不思議ちゃんヤンデレ人外ポジなのにやることが暴力的で困るのう」

『茶化すのはその辺にしておいたらどう? 僕の『片割れ』に負けたことが怖くて仕方がないんだろう?』

 ノーデンスの光がわずかに弱まる。そして少し小さな声で彼は言った。

「ああ……怖くてたまらんわい。どんな怪物も槍の錆に変えてきた儂の血を震え上がらせたのは、後にも先にもあの『触手のぼうや』だけじゃ」

 虹色の破片が一気に金色の光……ノーデンスに向かってくる。

「や、やめろ!! ノーデンス、危ない!」

「ええんじゃよ。儂は善神、常にこの心は人のためにある。儂の犠牲でそなたが救われるのであれば満足じゃ。怖くて悲しい記憶からは逃げ続ければよい。いずれ、半神の駒としてそなたが息絶えるときには風化して、ようわからんようになっとるわ。真実から逃げたければそうしろ」

「そんなのダメだ! どうすれば……!」

「自分で考えてみい。そうすりゃわかるじゃろ」

そうだ、ここは俺の頭の中……! アダムは金色の光の前に立った。

「記憶の刃なんか、怖くない! 俺は受け入れる!! 全部、忘れない!」

 そう言ってアダムは手を目いっぱい広げる。瞬間、虹色の破片が無数に胸に刺さる。

 色の洪水が頭を侵食していく。アダムはクリフに見せられた動画資料の『巻き戻し』を思い出す。

 まるで瞬く光のように記憶と感情が断片的に逆再生されながら巡っていく。

 触手が自分に向かって伸びてくる。

「『記憶の書き換え』。さあ、楽にして……優しくしてあげるから」

 微笑むクリフの声が残響を残したあの瞬間から。

「よかった。最初も最期も、君で……」

 銀髪の美しい少女が息絶える瞬間、重なった唇が離れていき……幼い彼女と、王子姿の自分が相まみえた記憶。

 美しく着飾った少女を見た時の照れた感情、共に戦った日々……。逆再生された記憶は短いながらも、胸に激しい痛みと輝きを与えてくる。

 ああ、そうだ。俺はもう一度、彼女に会いたい。

 そして、一体なぜクリフはルルイエの王子であった自分の記憶を消し、その王座に座ったんだ……?

「知りたいなら、戻って、確かめろ。お前はそうする使命にある」

 ノーデンスの声が遠くに響く。ガラスにめった刺しにされたアダムの意識は遠のいていく。いや……現実へ目覚めるために、夢から醒めていくのだ。

 瞬間、白い世界からアダムが消えた。残されたヨグ・ソトースの声が悲し気に響く。

『ノーデンス、お前の狙いはわかりやすすぎるね』

「アダムに記憶を取り戻させるためはああするしかなかった。押してだめなら引いてみろじゃ。それより、聞かせてくれんか? そなた、なぜ儂のもろバレの作戦に乗ったんじゃ?」

『メルジューヌが……あの記憶を忘れることが悲しそうだったから。彼女を泣かせることだけは避けたい。惚れた者の弱みだよ』

 ヨグ・ソトースはどこか愛おし気に言った。

「彼女? 今はどう見ても男じゃろ。まあまあ可愛い顔しとるが」

『どちらでも同じだよ。僕にとっては。姿形も記憶も関係ない。大事なのは本質……魂そのものなんだ』

「やっぱねちっこいのう、そなた」

『そうかもしれないね。それに、あのガイアという娘を思い出したところで、未来は何も変わらない。過去から現在、未来にかけて点描された図画はゆらぐことがない』

「すべての時を司るお前が言うと、重いのう……まあええか」

 ヨグ・ソトースの声はどこか不思議そうに聞いた。

『君こそ、なぜメルジューヌに手を貸すの? ただの聖遺物レガシーが、なけなしの自我を全てささげてまですることかい?』

「儂にとっちゃ、あのメンヘラほわほわ巫女は関係ない。あくまでアダムじゃよ。ま……単純に言えば賭けじゃな」

『賭け?』

「ただの脳筋善神のなれの果て……折れた槍に残ったちっぽけな『嘆きの残滓(ラメント)』であろうと、儂が人にしてやれることがただ一つだけある」

 ノーデンスは金の光をできるだけ強く放った。

『根拠も確証もなく、ただ『信じる』ことじゃ。この若者が作る未来をな』

 そしてふっと、光が弱まった。まるで萎れた老人のように。

『はぁ……少し疲れた。聖遺物レガシーに残った自我がよわよわなのもあるが、年取るとすぐにこれじゃから。んじゃ、またいい感じの時に起きるわい』

『次こそは目覚めさせない、と言ったら?』

「めんどくせえ受肉結晶じゃのう。惚れた弱みがあるなら、ちゃんと起こせ。次に儂が起きるとしたら、またアダムがピンチになったときじゃからな」

『そう……考えておくよ』

*********************************

 アダムはゆっくりと目を開けた。

「はっ……!」

 急いでベッドから起きる。ここは、自分の部屋だ。体中に痛みが襲う。あのキメラと戦ったときについた傷だろう。

「新入り。やっと起きたか」

 バリボリ……。スナック菓子の匂いと噛み締める音がした。

 ヴァルトロが隣のベッドに靴のまま寝そべって自堕落に過ごしていた。ルームメイトになってからは見慣れた光景だ。

「なぁヴァルトロ。俺、どれぐらい寝てたの……?」

「昨日の有神祭で、あの蛇亀と戦ってからだ。お前は謎のショック症状か何かで意識をなくしてた。んで、大分医務室にいたが、その間にまた討伐でけが人が出てベッドを開けるからって、この部屋で引き取らされたんだ。めんどくせえ……寝たきりの奴が隣にいたら落ちつかねえし」

 ヴァルトロの語った情報をどうにか頭の中で整理しつつ、アダムは徐々に我に返っていく。あれから数日が経ったことはわかった。

 でも、ガイアが死んだなら、葬式は? 時間を戻して過去を変えたい。だとしても、最期に彼女に別れを告げたかった。

「ねえ、ガイアは!?」

「は……お前……なんで『覚えてる』?」

 ヴァルトロはなぜか不思議そうな顔でアダムをきょとんとして見つめる。

「覚えてるよ! 忘れるはずないだろ! ガイアは俺にとって大切な人なんだ! 守れなかった……けど」

 ヴァルトロは何かをしばらく考えた後、我に返ったようにいつもの調子で返す。

「死んだ。それだけだ」

「お葬式、とかは……?」

「んなもんねえに決まってんだろ」

「え……? どういうことだ!」

「死んだ半神の死体は後学のために治験に回される。どこで処置されるかは知らねえが、終わったら石碑に名前が刻まれてハイ終わり。まあ、最初にそれ込みで莫大な金を受け取ってるからな」

「治験ってどこで行われるんだ……?」

「知らねえよ、もうバラバラなんじゃねえのか? どんなふうにされるかは」

 アダムは続きの言葉を聞きもせずに走って部屋を出た。ヴァルトロはスナックをまた口に放り込みながらつぶやく。

「ちっ、やっと起きたと思ったらなんだアイツ……ばーか」


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