1章12話
有神祭を前に、城は落ち着かない様子だった。昨日の討伐で命を落とした者がいる一方で、この祭りに対してはみな、意欲的だった。
ガイアから聞いたが、この祭りではみんな服装が自由なので、めかし込む者はかなり気合いを入れるらしい。アダムも服を何か用意しようかと思ったが、案外時間がなく、軍服のまま参加することにした。
だが、ヴァルトロは相変わらず自分のスペースを散らかし尽くし、ベッドに寝転がって漫画を読んでいる。
しかも、食べ終わったのか、ぽいっとスナック菓子の袋を投げた。それがアダム側のベッドのそばに落ちる。
「あのさ、そこはさすがに俺のスペースだと思うんだけど。物捨てないでよ」
「はあ? 誰が決めたんだ? お情けで片方のベッドに寝かせてやってるだけで、この部屋は基本ぜーんぶオレのもんだ。どう考えても元からこの部屋に住んでたオレの方が偉い」
「いや、どう考えたらそうなるんだ……」
子供みたいだな……。そう思って呆れながら、アダムは袋を拾う。
「そういや今日、ヴァルトロは見に行くの? 有神祭」
「行かねー。討伐で疲れてんのに、なんで国事なんかに出なきゃなんねえんだよ。飯なら食堂ので十分だし、星なんか見て何が楽しい」
「願いが叶うって言うけど?」
「迷信だろ。そんなもんに頼るのは他力本願のひ弱だ。それが叶ってりゃ、誰も二年も魔物に追われた生活してねえよ」
正論ではあるが、思わずむっとしたアダムはぐちゃっとスナック菓子の袋を丸め、少し遠くのゴミ箱に投げる。命中した。
「なんだ? どうせ色ボケ女と一緒に行くんだから、それでいいじゃねえか。よろしくやっとけ」
ふと、アダムは考える。記憶はない……だが、なんとなくだが、女性とちゃんとした場に行くときは、ちゃんとした格好じゃないといけないような気もする。
「やっぱり服……考えた方がいいかな?」
「そんなくだらねえこと俺に聞くな。自分で考えろよ」
確かにそうだ。一応半神特殊部隊には給金が出ている。普段の住み込み生活にお金はかからない分、多少はたまっていく。物価と言うものがわからないが、この給金で買おうと思えば買えるだろう。
そのとき、マリアの機械的な声が首輪から響いた。
『アダム。王がお呼びです。十五分後に玉座へ来てください』
「ええっ……急に?」
「どうもご愁傷さま」
ヴァルトロにからかわれながらも、今から出て玉座に十五分後に辿り着けるかはギリギリなので、小走りで部屋を出た。
玉座に辿り着いたアダムは思わず息切れする。クリフは書類を読みながら、玉座で触手をゆうゆうと操って、一人でチェスをしている。詰めチェスというものだろう。白い駒で黒いナイトをとったところだった。
「急に呼び出して悪いね、アダム。1秒前に到着した君の勤勉さは評価できる」
「はぁ……はぁ……走ってどうにかね……。あの、急な呼び出しはもう少しだけ余裕がほしいな」
「おや……王に命令かい?」
ふとした言葉にはぞっとするほどの威圧感が込められていた。
「い、いや……まさか?」
ふふ、とクリフは笑い、チェスをしていた触手の動きを止め、体内にすっと戻した。書類も傍机に置く。
「安心して。仮に君が命令したとしても、僕は君を処罰したりなんかしない。命令を聞くかは別だけどね」
「そ、そう……。それでなんの用?」
「衣装に困ってるんじゃないかと思って。ガイア・モイラと参加するんだろう?」
なんで知っているんだろう……? どこかから聞こえたのか、盗聴装置でもついているのか。どちらも考えられた。実際に、城のあらゆるところに監視カメラがついているのだ。盗聴されていても不思議じゃない。
「ああ、そうなんだ。ちょうど迷ってたとこ」
「僕のものでよければ、貸してあげる。僕たちは背格好がそう変わらないからね」
予想外の申し出に、アダムは思わず戸惑った。
「えっ……でも王様の服を借りるのは流石に悪いよ!」
「大丈夫、きっと似合うに決まってるから。心配しなくても、そこまで気を使わなくて済む、それなりの格式のものにするから。ついでおいで」
「いいよ。何か買いに行くし、この服でも別に問題はないでしょ?」
「そう。じゃあ、多少手荒になるけど仕方ないな」
するとクリフの背中から先ほどしまったばかりの触手がにゅるにゅる、と出てきて、瞬時にアダムの腕に巻き付いた。
「ついてきてくれるね? アダム」
クリフは笑顔で聞く。
「あ……うん……行く」
相変わらず押しが強すぎる……。
幸いクリフはアダムが従ったとわかると、触手を解いてくれ、自分の部屋へと案内してくれた。王の寝室は恐ろしく広く、美しい調度品や、以前廊下で見たステンドグラスと同じ絵画が飾られていた。いつも玉座には数人の従者がいるが、部屋には誰もいなかった。クリフはどこかるんるんと踊り出しそうな足取りで、嬉しそうに言った。
「専門の従者に任せてもいいけれど、親友の服選びはとても貴重な経験。だからね、僕がやってみたいと思って人払いをしたんだよ。ふふ」
そう言いながら、クリフは十本ぐらい触手を出していくつか服のハンガーを掴み、アダムの前に提示する。
「めぼしいものはある?」
色や柄、どれも上等できれいなものだ。だが、どれが自分に似合うかなんてわからない。その前に、クリフ――金髪の美少年が自分の触手にハンガーを何個もひっかけた不思議な光景に驚いてもよさそうなものだが、アダムはもう慣れてしまい、何とも思わなくなっていた。
「うーん、どれもすごく素敵だけど、似合うかはわからないな」
「じゃあここで着てみたらいいよ」
王様の部屋で着替え……。色々とまずい気がするので、アダムは即決することにした。ピンク、緑、青……たくさん色が並ぶなか、まだ一番無難というか、瞬時に自分にとって最も違和感がないと感じた青い礼服を選んだ。無難と言っても、華やかではあったが。
「へえ、それなんだ」
クリフはなぜか納得したように言った。
「え、変かな……?」
「いや、君らしい選択だと思ったんだ。君の瞳の色にもよく合っている」
「だったらよかった。とりあえず、着たらクリーニングに出してちゃんと返すから」
「そんな気遣いは必要ない。返したくなるまで持っていてもいいよ」
クリフは優しい口調でそう言った。
「ありがとう、すごく助かったよ! おかげで今日のお祭り、楽しめそう!」
アダムは遠慮を振り払って言った。どうしてか、この青い服を見るとなぜか少し懐かしかった。記憶をなくす前の自分がどんな服を着ていたかもわからないのに。
そういえば、こうなる前の自分はどんな身分だったんだろう。
アダムはクリフに意を決して聞く。
「クリフ。君は俺のことを知っているんだよね。少しでもいいから、教えてくれないか? 俺がどんな人間で、何をしていたか」
「僕の『親友』だよ。それ以上の情報が必要かい?」
クリフはいつものどこか押さえつけるような口調でそう言い、アダムの腕をつかみ、鏡の前に連れて行った。
「うん、よく似合いそうだ」
「でも、家族がもしいるなら心配なんだよ。この世界でちゃんと生きていけているのか、僕がいなくて、寂しがっていないか……」
クリフは少し沈黙した。鏡の中の、いつもとは逆向きの顔をしたクリフの表情が少しこわばる。
「僕がいるじゃないか。親友は家族のようなものだろう。その考えは『善神』の思想に反するから改めるべきだ」
「えっ……」
確かに、そうかもしれない。アダムはそう思った。善神ノーデンスは、見ず知らずの人も、分け隔てなく助けて、差をつけない。
でも、ガイアにみんなを助けると言ったときの反応を同時に思い出す。ガイアはどこか寂しそうだった。
『私だけに優しくして』。
ガイアのその言葉を思い出し、アダムはちくりと胸が痛む。
「……そうだね、それがノーデンスらしいのかも」
「普段から意識をすることは大切だ。きちんと心がけるように」
「ああ……わかった」
ふとアダムは部屋の絵画を見る。
「この神話、有名なの?」
「そう、この王家に伝わっているものだ。世界から神が消え去る直前の、黎明の神話だよ。ヨグ・ソトースが巫女メルジューヌに恋をしたことが、有神の時代の終わりであり、現在に至るまでの無神の時代の始まりだ」
「ヨグ・ソトース……」
絵画に描かれた虹色の触手は、美しい少女の足と腕とに絡みついている。
触手の主である巨大な虹色の球体の塊……ヨグ・ソトースの一つだけある目には涙が描かれていた。
それを見ていると、不思議と引き込まれる。
「ルルイエの王家は、ヨグ・ソトースに愛された巫女メルジューヌの子孫だと言われているんだ」
「そう、なのか?」
「ああ、だからその加護を得て王国が神話国家として一万年間、途中戦乱があろうとも耐え抜けたと言われている。……もしくは、王家の直系はヨグ・ソトースの血を継いだ子孫だともね」
子孫……だったら、メルジューヌはこの異形の神と結婚したのか? ふと、またどこかから、声が聞こえる。
『メル……ジューヌ……』
ハッとして振り返る。だが、誰も、何もいなかった。
「さあアダム。これで支度ができるだろう? 僕も着替えるから、また有神祭で」
クリフはそのことについては何も言及しなかった。
アダムは再三礼を言ってクリフの部屋を出た後、自分の部屋に戻った。ヴァルトロはどこかへ出かけたのか、もういない。
嫌がらせのように散らかった部屋を、自分のスペースに浸食した分だけ片付けて、アダムは着替えることにした。




