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堂の杜の鳥  作者: 橘わに
7/9

浮世と渡世と (潮と木島)

大阪/青年/浮世絵師と東京/中年/やくざのドタバタです。あと2話単発が続きます。

 今時珍しい、和風の男前な青年だった。

 鼻筋がすっと通っていて、きりっとした眉とその下の大きな目も、さらさらの短い髪も真っ黒で、確かに鷲塚の好きそうな顔だと木島は思った。

「で?」

 木島が座ったまま物憂げに問えば、連れてこられた青年は乱れた服を引っ張って直し、名乗った。

「俺は榊原潮。あなたが木島さん?」

 口調は軽くて気に入らないが、真っ直ぐに見返してくる目は気負いがなくて、木島は好ましく感じた。長い足をだらしなく組んで、煙草に火を点ける。

「ああ。鷲塚の紹介だとか聞いたが?」

 榊原が頷いて、ポケットからくちゃくちゃになった封筒を取り出す。それを一生懸命伸ばして、木島に差し出した。

「悪い。汚のうなってしもうて」

「……お前、大阪か?」

 先から言葉が耳に引っ掛かる。木島は突っ立っている榊原の顔を見上げた。

「ああ。高校出るまでは向こうにおったけど、それがなんか?」

「いや」

 鷲塚からの短い手紙を読んで、木島は顔を顰めた。

「で、何故俺がいきなり押しかけてきたお前の前で脱がねばならんのだ?」

「試験やねんて。もし木島さんが、俺に背中見せてくれたら、俺はおやっさんに原画を描いてもらえる。木島さんには迷惑かも知らんけど、頼んます」

 ぺこりと頭を下げる。木島が手を振るとぽすっと向かいのソファに腰を下ろした。

「背中を見せろっていうんだから、俺がやくざだっていうことは重々承知で言うんだろうな?」

「わからいでこんなとこまで来るアホとはちゃう」

「ふうん。それでまさか只見する気か?」

「先に言うとく。俺は金は持ってない。身内もおらん。あるんはこの体だけや。あんたが値踏みするんは、目の前にあるこんだけやで」

 背筋を伸ばして両手を広げてみせる。その顔には笑みがあったが同時に影もあった。

 木島が口元を歪めて笑う。

「ふん。それはまあいいだろう。で、鷲塚の弟子というわけでもないんだろう。綺麗な肌だもんな。どういうつもりだ?」

 鷲塚はもう八十を越えた和彫りの刺青師だ。商売を辞めてもう七年ほどになるが、弟子を取ったという話を聞いたことはなかった。何より彫師の見習いは自分の肌を練習台に使うから、まさに全身に墨を入れる。榊原は綺麗な肌をしていたし、何より子供だった。

「俺な。ウキヨエしてんねん」

「は?」

「浮世絵。高校出てから師匠のとこに弟子に入ったんや。せやから俺は彫るし、摺るのんも出来るけど、絵組みだけはでけへん。そんでな、鷲塚のおやっさんに絵を描いてくれへんかと頼んだんや」

 浮世絵は大きく分けて三工程あり、それぞれに違う職人がいる。絵を描く絵師、版木を彫る彫師、そして版木を摺る摺師である。

「どうして刺青なんだ?」

「あのな。浮世絵っていうのは確かにマイナーや。ほんでも絶えたりはせえへん。伝統文化やし、海外でも十二分に評価を得た芸術やでな。そやけど刺青は違うやろ。確かに伝統文化で芸術や。海外でも知られとう。でも本気で体に墨入れようとする奴は少ないし、入れてもファッションのタトゥーやろ? そういう意味では俺は刺青もなくならへんと思ってる。おしゃれで入れるやつはネット検索したらようけ引っ掛かるしな。けど、入れとる人間が死んだらお終いや。彫り師が死んだら、それ以上にな。──俺、おやっさんの絵が好きやねん。北斎も歌麿も復刻しようという奴はようけおるわ。古いやつでも色褪せんとよう残っとるのはあるし。大英博物館なんか枕絵まで収蔵しとる。そやけどおやっさんの絵を残したり、復刻しようという奴はおらん。おやっさんには弟子もおらん。しかもおやっさんは堅気の人間には絶対入れへんて言う。やくざなんかその辺のサラリーマンより早う死にそうやんか。俺は刺青の弟子にはなられへんけど、おやっさんの絵を紙の上に再現することは出来るんや。写真でも印刷でもない。木版やから出来ることもある。和紙には血ぃは通うてないけど、体温はあるねん」

「大層なご高説だな」

 木島が口元を歪めて笑うと、榊原は真っ直ぐに男を見詰めた。

「俺はあんたの彫り物が見たい」

「いきなり押しかけてきたガキに見せるようなもんはねえな」

 いくら鷲塚の紹介でも、と木島は鼻で笑った。手紙には自分で見定めろとあった。木島が嫌だと断れば、この子供には無理強いは出来ないのだ。何よりそれだけの力がない。

「そうか。そんならどうしよう。百夜通いでもしたろうか」

 くるりと目玉を回して考える様が可愛らしく、木島は小さく笑みを漏らした。

「九十九日目で死ぬ気か」

「……あんた、古典も知っとるのか。賢いんやなあ」

 感心したように頷く子供に木島は毒を抜かれる。

「お前が言い出したんだろうが」

「俺は浮世絵で食うてるもん。多少の古典がわからんでは師匠にど突き倒されるやろ。けどあんたはやくざやて自分で言うた。やくざが古典に通じてるなんて、俺は聞いたことあらへんもん」

「ふん。今時は馬鹿では世渡りが出来んからな。多少の勉強はするさ」

「いや、あんたは多分、ロマンチストなんや」

「はあ?」

「若い頃、文学全集とか読もうとして途中で挫折した感じがする」

「馬鹿が。言いたい放題だな」

「イメージやんか」

 にっこりと笑って榊原は身を乗り出した。

「木島さん。どないしたら、俺に背中見せてくれる?」

「さぁてなあ」

 ふんだくる金もない子供だ。先から調子を乱されっぱなしで、腹癒せに売り飛ばしてやろうかとも思ったが、鷲塚にはそれなりの思惑があって木島の元に寄越しているのだろう。

 気負いはないが、真っ直ぐに木島を見詰めてくる目は力強い。聡明そうで古い時代の学生を見ているようだった。改めて鷲塚の好きそうな顔だと思う。鷲塚は中学に上がることもなく、早くから博打に手を染めてしまったので、「学生」というものに憧れを抱いている。

 爺の恋情(あこがれ)ほど面倒くさいものはない。

 この榊原という男はこの目を見ている限り、やくざ稼業に身を落とすようなことはないだろうが、それでもふらふらしていれば万が一ということも在り得る。

「なんでもするのか?」

「俺に出来ることならする」

 やくざに生真面目に返す辺り、木島は不安になった。子供一人どうなろうと木島には関係がないが、やはり鷲塚に恨まれるような気がする。

 木島の眉間に刻まれたしわに気付いて、榊原は付け加えた。

「人殺しとか、他人に迷惑かけることは出来んけど、俺で出来ることやったらする」

「──じゃあ、俺がケツを貸せといったら貸すのか?」

 榊原は一瞬動きを止めて、小首を傾げた。

「それは、あんたが俺の釜を掘るということかなあ?」

「……そうだ」

 木島は自分で言い出して、なんだか厭な予感がした。

「──うーん。そんぐらいやったら別にええかな」

 あっさりと返されて、木島は逆に驚いた。榊原が逃げることを想定して言い出したことだから、そんな簡単に頷かれると困る。木島はそういう趣味ではない。効果のない脅しほど間抜けなものはない。

「お前、ホモか?」

「違うけど、人間何事も経験や。俺、童貞も兄弟子に言われて捨てたもん。知らんくせに枕絵を描けるかって笑われてな。あれ、多分ふざけて言うたんやろうけど、そんときは俺も子供やったからなあ。そんならやってくるわい、言うて飛び出してよ。帰ったら師匠が呆れてるの」

 飛び出したものの榊原はナンパをしたことがなかったから、東京に出てきたばかりの頃にバイトをしていたキャバクラの黒服(どうりょう)に相談していたらと、聞いていたキャストが面白がって相手をしてくれた。

 だから榊原は自分には運があると信じている。

 浮世絵の神様がついているのだ。

「マラはな。自分のあるし、銭湯でもどこでも見られるさかいに困らんけど、女の股座は絵でしか見たことなかったから。ま、そういうことで何事も経験や。いつか男色鑑を復刻せえ言われることもあるかも知らん。平賀源内は男の方がええというとったし、あんたがしたいならかまわんで?」

「遠慮しておく」

「なんや。据え膳食わぬはなんとやら?」

「男の上にガキに手ぇ出せるか、馬鹿!」

「関西人に馬鹿というない。それに俺は二十三や。ガキと違う!」 

 木島は今度こそたまげた。

 表情が幼い所為か、十七、八に見える。それでも高卒だと聞いていたからいっていても二十だろうと思っていた。

「詐欺だろ……」

「何がや。俺は国民年金を払って三年やで。立派な大人や!」

 いや、そう言い張る辺りが子供染みているのだが、木島がそう言う間もなく電話が鳴って、木島は榊原を手を振って追い払った。

「はい。木島です」

 榊原は声を出さずに口だけ動かして、「また来る」と手を振り、木島は鼻にしわを寄せて、「もう来るな」と威嚇した。


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