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堂の杜の鳥  作者: 橘わに
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変若水 (久我/市川+α)

 さて寝ようかという段になって、市川がまとわりついてくるので、なるほど一緒に寝たいのだなと察しはしたが、そうなると意地も悪くつれなくしてやりたくなるもので。

「……で、何なんだ?」

 全然わからんという風に言ってやれば、市川自身も自分の行動に初めて気が付いたというような顔をした。

「え、と……?」

「え、じゃねえよ。なんだヒヨコみてぇに人の後をついて回りやがって」

 唸ると市川はきょとんとし、それからその手に握ったままになっていた俺のセーターの裾を引いた。

「あの、……一緒に寝てもいいですか?」

 段々このテンポにも慣れてきた俺だが、間違いなくこの男の顔が好みじゃなかったら、添い寝はおろか同居さえしていないだろう。

 本当になんでこいつは男なのだろう。腹立たしい。顔だけは偶に見惚れるぐらいに綺麗なのだ。しかし性格がとろくさいので段々苛々してきて苛めてやりたくなる。なんて間の悪い男だろうか。

「今日は何だ?」

「お正月なので」

「……」

 意味が分からん。だが聞いたとしてもわからんのだろう。こういうときはさっさと降参してしまうに限る。最初から市川涼という男を理解出来るなんて思ったことはない。永遠の謎で、解明しようとするのは気力の無駄だ。それぐらいなら体力を温存しておいて自分の研究に熱意を注いだ方がいい。

「くがさん?」

「…………わかった」

 溜め息混じりに承諾すると、ふんわり笑顔になる。……やばい。こういうとき自分はつくづく面食いだったのだと実感する。自分の両親とも人間性に問題はあったが、それなりに顔は良かったのでその辺が影響しているのかも知れない。

 と、言い訳してみたところで全然慰められないので諦めて頭を切り替える。

 自分が寝床にしている和室に行こうとするとまた裾を引かれ、そのまま市川の寝室に引っ張っていかれた。

「……こっち、東ですよね」

 いつも朝日が差す窓に対して何を寝ぼけたことを言っているのか、市川は一人で自問自答して納得するとベッドに潜り込んだ。

「こっちじゃないと駄目なのか?」

 何分、ベッドというのは落ちる危険性があるのだ。そして俺はでかい。

「えーと、和室は窓がないので」

 諦めよう。何故窓がなければいけないのかも、正月だから一緒に寝たいというのと同じぐらいに俺には理解不可能な事柄だ。

 市川は俺には感じないものを感じるし、見えないものを見る。今のところそれで損害を被ったことはないから、それも感性の違いだろうぐらいに容認している。

 というかそうしないとやっていけない。

「あのね、久我さん。呼ばれているんですよ。だから、早く寝ないと……」

 さっさと布団に潜り込んで、人の苦悩など全然気付いていない市川はすでにうとうとして、やや舌足らずにそう言った。溜め息とともに横に滑り込むとすでに眠っていた。

 こういう引きずり込まれるような寝方をするときはアレだ。……嫌な予感がする。起きたときに妙に疲れるのだ。体は何ともないのだが、起きるのが嫌になるぐらいに気疲れをしてしまう。嫌だなあとは思ったが今更逃げられないので仕方がない。

 案の定、目を閉じればあっという間に引き擦り込まれた。




 落ちる。

 足元が抜け落ちたような、墜落感を全身で受けて身が強張る。それから小さな手に手を引かれて、気が付くと真っ暗な闇の中を歩いていた。

 ……何故、夢を見るとき市川はいつも小さいのだろうか。

 いつも夢は夢だとはっきりとわかる。わかるが覚める方法はわからない。そのまま幼い顔をした市川に手を引かれて、もしかすると抱えあげた方が早いのではないかと思うような、転ぶような足取りで必死に歩いている。

 先導はいつか見た狛犬だ。いや、もしかすると獅子の方なのかもしれない。いつぞやに狛犬と獅子の違いを説明されたがもう忘れてしまった。

 妙に急いでいる子供を脇から掬い上げて、振り返る狛犬の後を追う。

「どうせ水依神社に行くんだろう?」

 そう問うと小さい市川ははいと頷いた。

「お正月さんやから」

 走っていた所為なのか、抱いた胸に速い鼓動が伝わってくる。妙に不安そうな顔をしていた。

「父がお水を汲むのです」

 それでやっとわかった。若水汲みというのなら新春のニュースで見たことがある。神社や旧家で主人が新年一番に水を汲む行事だ。

 杜を抜けて水源に近付くとさっと空気が変った。清浄で、そして肌に刺さる。

 こんこんと青い水が湧き出るそこに、俺の苦手な女が立っていて、ころころと笑った。

「やれ、涼は甘えたな」

 市川が身動ぎするので下ろしてやると女は嫣然と口元を吊り上げ、手招きをした。

「なんと憂い顔か」

「……父は参りましたか?」

「潔はそこに。今年は美緒の夫も来たか」

 青く霞む風景の中に人影が二つ。市川の父の潔と、噂の義兄だろう。神妙な顔をした男はあの美緒さんが選んだだけはある。線は細いがなかなかの男前だった。

「英一さん……」

 ぽつりと呟く市川も、俺も女も彼らには見えていないようだった。

 祝詞を上げ、清水を汲み上げ、それを頭上に頂き、再拝して退く。その瞬間、潔さんだけはこちらをちらりと見た。そうしてふっと目を細める。

 市川が俺の裾をぎゅっと握り締めた。

 何事もなかったように二人が帰っていくと、女は小首を傾げた。

「そなたも水を汲んだらお帰り。無理に呼んだからその男が疲れてよう」

 やはり呼びつけたのはこの女かと思うとやや腹も立つが、それもふっと気が抜けてしまう。

 認めたくはないが、この女がここの祭神なのだ。水依姫命という、市川の実家の神社の神だ。市川絡みの夢によく出てくるキャラクターである。

「父は……」

 市川は何かを言いかけ口を噤むと、両の手に水を掬って俺に差し出した。

「くがさん、飲んで?」

 何故。と瞬間的に浮かんだ疑問を心の底に沈める。小さい手に汲まれたそれは一口分ぐらいしかないので、そのまま口をつけた。

 相変わらず冷たい水だ。

「──これでいいか?」

 問えばこくりと首肯が返ってくる。市川は自分も水を掬って一口飲むと、女神に深く一礼をし、そして狛犬に、いつの間にか二頭に増えている奴らの頭を撫でて、立ち上がった。

「帰りましょう」

 その瞬間にまた落ちた。




 落ちた衝撃に身がびくりと跳ねたが、それを受け止めたのはベッドだった。

 目が覚めたのだ。そう納得してから、今のが初夢になるのかと、言い様のない悔しさを感じ、呻いた。


久我さんは美人に弱いです

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