猫じゃらし (梶原/高志)
元警官とヤクザの話。BL未満。
瓜生調査事務所の六段しかない入り口階段をゆっくりと上がって、高志遼は息を吐いた。紙袋の中が偏っていないかを確認してから扉を開ける。
「おはようございます。今日のおやつは大森屋の芋饅頭ですよ」
事務所に入った高志が紙袋を掲げると、いきなり力強い抱擁にあった。
「わ、何。何ですか?」
驚いた高志が自分を捕らえる腕から身を捩って逃れると、そこには快活な老人の笑顔があった。
「親父さん!」
親父さんこと福田利夫は嬉しそうに笑うと高志の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「元気そうじゃないか。安心したよ」
「うわ。やめてくださいよう。子供じゃないんだから」
高志は笑いながら福田の手を逃れ、そして手近な椅子に腰を下ろした。
「すみません。親父さんも掛けてください」
「ああ。足はどうだ?」
「順調ですよ。家の中なら杖も使わないでいられますし。緑茶でいいですか?」
キャスター付の椅子ごとごろごろと進んでポットを取って戻る。茶を入れながら辺りを見回すと、二人が手を上げていて、高志は苦笑した。
「お茶が欲しい人はここまで取りに来てください」
「はいよ~」
気の抜けた返事をしながら調査員たちが集まってくる。彼らが茶と芋饅頭を受け取ってデスクに帰るのを、福田は目を細めてみた。
「瓜生はよくやってるみたいだな」
「ええ。親父さんは甘いもの、平気でしたよね? 所長は調査に行っているんですよ。親父さんが来たって知ったら悔しがるだろうな」
「遼ちゃん、おっさんは遊びに行ってんだよ!」
高志が福田に茶菓子を差し出すと、後ろから調査員の揶揄が入って、高志はテーブルにあった小袋入りの煎餅を投げた。
「もう! ちょっと黙っててくださいよ!」
「瓜生は相変わらずかい」
福田は目を丸くし、高志は溜め息を吐いた。
瓜生調査事務所の所長、瓜生賢吾は元警官である。捜査官としては有能だったが、お調子者の性格を自分でよくわかっていて、やっぱり性に合わないと退職して探偵紛いの事を始めた。
怪我をした高志が無職になったのを知って声を掛けてくれたことからもわかるように、面倒見はいいのだが。
「はい。相変わらずなんです。今日も調査ですけれど、作家さんの依頼で無人島に行ってしまわれて。携帯電話が繋がらないんですよ」
「無人島。そりゃあ凄い」
「ときどきあるんですよ。トリックが実現可能かどうか実験してきてくださいとか」
「へえ。わからんもんだなあ。そういや木内が寂しがってたぞ」
「木内さんって、一課の? えと、でも喋ったことも無いのに……?」
高志は眉を下げ、福田も困惑して話を変えることにした。
「そうだった。この話をしにきたんだ。お前さんの相棒、引退が決まったぞ」
ユウセイ、と叫ぶ自分の声で目が覚めた。
見慣れた天井に、あれと思う。それから傍らにある仏頂面に気付いた。
「……起こしてしまいました?」
「誰だ、ユーセイって」
梶原さんは低い声で問うた。
「やっぱり声に出てました?」
不機嫌そうな頷きが返される。
やはり僕は自分の寝言で起きてしまったらしい。
梶原さんの眉間の縦じわは余計に深くなって、僕は逆に微笑んでしまった。
梶原さんは僕を独占したがる。それは恋愛感情ではなくて、そう、例えば小さな男の子が気に入りのおもちゃを隠すような、そんな可愛らしいものだ。とはいえ梶原さんはもう四十四歳で、既婚者で、職業は泣く子も黙るやくざなのだけれど。
「高志」
「ユウセイは、警察犬です」
犬に嫉妬した人は僅かに目を見張り、そして拗ねたように外方を向いた。
「ユウセイ号はうちの鑑識課の直轄犬で、僕のパートナーでした。年度末で引退の予定なんですけれど」
ちらりと上目遣いに窺ってみる。梶原さんは僕に大概甘いけれど、もし犬が嫌いだったらどうしようか。
「──引き取ってはいけませんか?」
警察犬は九割近くが嘱託犬という、一般家庭で飼われている訓練された犬たちだが、直轄犬は警察内で飼育し、二十四時間待機しているものである。
親父さんがわざわざ来て彼の引退を知らせてくれたが、僕は居候の身だ。家主の梶原さんがうんと言わなければどうしようもない。
梶原さんが了承したところで今から僕の申請が通るかもよくわからない。ここはマンションだし、一軒家に引っ越してももれなく梶原さんがくっ付いてくるのは確実だ。
「そうしたいならそうすればいい」
憮然とした返事に腕を伸ばす。だってこの人は態度に示さないと信じない。僕は逃げないし、警官だった過去に戻りたいわけでもない。
「梶原さんに懐いてくれるといいな」
触れた髪は硬くて少しユウセイに似ていた。