エレベーター (スガ/エイ)
謎リーマンのスガと訳あり坊ちゃんエイの話。BL未満。
パーティの最中、遠くに母の姿を見つけて、そしてその幸せそうな笑顔に踵を返した。叔母に言われて来たが、とある企業の新部門披露のために開かれた場は、親子の私的な会話をするには公的で、大規模過ぎる。
それに僕は、母と話すにはあまりに言葉がなかった。
母はキャリアウーマンで、ほとんど家にいなかった。父とは妊娠期間中に離婚していて、彼は僕の存在を知らない。僕は叔母夫婦と家政婦に育てられたようなものだ。
「帰るの?今から始まるのに」
エレベーターを待っていると、見知らぬ男性に声を掛けられた。
「……ええ、はい。特に用事があったわけではないので」
「ふうん。君、暇なら一緒に飲まない?私はパーティーに来たら、お見合いがセッティングされていてさ。それから逃げるところなんだ」
にこにこと笑うその表情からは何を考えているのか掴めない。悪意はなさそうだったが、純粋な善意でもなさそうだった。そう、暇つぶしぐらいの、面白がるような笑顔。
「それは、――お気の毒です。でも僕は、つまらないですよ」
「うん?」
「その、一緒に飲んでも、つまらない。今も、気の利いた言葉を捜して、でも、なく、――思いつかなくて」
ああ嫌だ。こんな短い返事に、何度詰まっているんだろう。
母はあの会場でよどみなく会話をし、にこやかに笑っていた。
「君、人見知りだろう」
男性はにこりと笑い、僕は顔が強張った。
「ええ、…そうです」
例えば見知らぬ人でも道を聞かれたりすれば、答えられる。その後の展開が予想できるからだ。でもこういう先の展開の読めない会話はとても、緊張する。
「じゃあ、友達になろう。友達なら気安いだろう。私の名前はスガだ。君は?」
「……叡、です」
咄嗟に下の名前を言ったのは、母の顔が浮かんだからだ。知り合いだったら、迷惑をかけるかも知れない。
「じゃあエイ君。酒は飲める?」
「一応、二十歳です」
「年齢に一応って」
「今日が誕生日なので」
僕の言葉に面白そうに笑った彼は、その笑みを引っ込めると、今度は柔らかく微笑んだ。いくつぐらいなのだろう。長身でスーツがよく似合っている。こんなにもスマートな物腰の人と話すのは初めてだ。
「それはお祝いしないとね。あ、でも二十歳の誕生日なら、先約ありかな?」
「いえ。特に祝わないので」
そう答えると同時にポーンと音がして、エレベーターの扉が開いた。そっと背を押され、乗り込む。スガは少し考えるようにしていたが、ややあってまた感情の掴めない笑顔になった。
「じゃあお祝いしよう。車呼ぶからちょっとエントランスで待っていて」
広いエントランスにぽつりと残されて、巨大な生け花を眺めていると、どんどん不安になった。知らない人について行ってもいいのだろうか。だがあのパーティーの参加者ならば身元はきちんとしているはずだった。政財界のそこそこの地位の人ばかりだ。そう思うと逆に失礼がなかったかが気になって堪らなくなった。
「どうしたの?」
「あ、いえ、……小心者なので」
「うん?」
「――居た堪れなくなっていました」
「君は面白い子だなあ」
スガは笑う。常に笑顔で、目を細めている。いつかこの笑顔を剥がして怒鳴りだすのではないかと思うと、怖くもあり、心地良くもあった。そうなればいい。僕を突き放してくれればいい。
車の中で僕は死にたくなって堪らなかった。
情緒不安定なのは前からだが、それが度を超してきたのはここ二週間ほどだ。見かねた叔母が母と話し合うように僕を追いたて、そして今、何故か見知らぬ男の車に乗っている。
堪らないのは自分が何をしたいのかわからないからだ。先が見えないのに、前へ進めと。
ふと我に返るとスガにキスされていた。目元にかすめるようなキス。
「……なに…?」
「ひどい顔してるから。大丈夫だよ。襲ったりしない」
スガは身を引き、そして寂しそうに目を細めた。
どうしたんだろう。僕は、この人に惹かれている。