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2人がそう言葉を交わすと、隣に居たチナリが大きな音を立ててその姿を崩した。
音の方を見れば飛沫をあげて水たまりから跳ね上がるティーの姿。
黄金というには重厚感の足りない、ひまわりの花弁というには濃すぎる鱗を輝かせるサカナのティーが居た。
その姿はユイトのティーとはまた違い額の広い顔立ちに、胴に対して少し小さめのヒレが忙しなく動いている。
「この姿でははじめまして。」
「はじめまして…。」
目の前の女子生徒の言葉に首を傾げながらも挨拶を返す。
どこかで違う姿であったことがあるのだろうか。
「チナリです。といってもきっとこの子もそう名乗っていたと思いますが。」
そう言いながらティーの額を指先でつつく。
「私のティーは水に映る姿を真似る虚像となって行動する能力。身体が丈夫でない私の代わりに外を見てきて伝えてくれる頼もしい子です。ただ、なんの気まぐれか私に化けたはずなのに男の姿になってしまうところは欠点ですが。」
目の前のチナリも歌うように話す。
しかしその歌は少し人よりも多く息が必要で、言葉にならなかった音も多く聞こえてくる。
「できればたくさんお話ししたいですが、私も私たちもあまり余裕がないので行きましょうか。」
そう言うと背を向け歩き出したので後をついていく。
(橋の上に街がある…。)
目の前の光景はそう感じるほど今までの人生の中で見たこともない不思議な場所だった。
いつもはるか下に見ていた大河の水面の上にいくつも小さな島を作りその全てを行き来するための橋がつながっている。
しかし島に立つ建物がメインかそれを繋ぐ橋がメインか分からなくなるほど、どの橋を通れば橋と橋が繋がった先の先にある島の建物に辿り着けるのかわからなくなる。
「迷子になったら大変だからあまり離れないでね。」
崖から出たところの橋の上でチナリがそう言ったので、少し空けてついて行っていた距離を詰める。
最初にわたった橋は短く、すぐに小さな島にたどり着いた。
島に足をつけて違和感を感じる。
歩くリズムについてくるように少し遅れて地面が揺れている。
この島は浮いているのだろう。
それを繋ぎ止めるための橋。
対岸まで見える全ての島がそうなのか、それともいくつかは安定した脚を持つ島もあるのだろうか。
今はそんなことを詮索する気にはならなかった。
指に触れたり離れたりする柔らかい感覚。
チナリのティーがついばむようにこちらの指に擦り寄ってきている。
生きた魚を触る機会がほとんどなく、その感触が新体験として体に伝わる。
「あなたが怒ってないか気が気じゃないみたいよ。」
前を歩くチナリが鈴を鳴らすような声で笑いながら言う。
「あなたがずっと喋らないから、変身した姿でここに連れてきたことに怒ってるんじゃないかって思ってるのよ。」
「…怒ってませんよ。」
どこからか聞いたことのない楽器の音が聞こえてくる。
「変身したのはあなたがあなたの主人の代わりに私のところまで来るのに必要で、私をここまで連れて来るための足も必要だったからですよね?それを怒るほど子供じゃないつもりですよ。」
ティーの方を見てそう言うと、少しの間こちらをじっと見つめたあと大きな音をたてて橋の下の水面へと潜ってしまった。
「あらあら、照れちゃって。」
またチナリが笑い声混じりの言葉を出す。
その笑い声もそうだが、どこからともなく聞こえてくる楽器の音も、ずいぶんと楽しそうだ。
「…海底神殿は水と音のティーが多いんでしたっけ?」
「そうよ。ここはいつも誰かが音楽を奏でているわ。」
小さな金属をたくさん並べて降り動かしているように聞こえる音は、風に吹かれた大木の葉が揺れる音にも夜に降る雨の音にも聞こえる。
音が右から聞こえてきたかと思えば、歩くうちに正面に。
崖に反響しているせいか正確な場所はわからない。
「その子、西の子?」
建物の横を通り過ぎる時、上階の窓から女性の声が降ってきた。
「ゲストよ。」
「へぇ、あなたの?」
「違うわ。」
2人の会話はほんの少し反響しているせいか、鳥が2羽さえずっているように聞こえる。
「じゃあ、誰のゲスト?」
「私たちの小さなボスのゲストよ。」
「あの子が呼んだの?」
「私が連れてきたのよ。」
見えない女性の声に警戒が混ざる。
「会ってくれるかしら。」
「どうでしょうね、でも…。」
不自然なところで女性の声が途切れた。
何かを考えているのだろうか、少しカチャカチャと音がした。
「あっちの子が踊り続けてるなら、問題ないんじゃないの?」
「それじゃあ、もう行くわ。」
そう言ってまた歩き出したチナリの後をついていく。
「変なところでしょ?」
「…そうですね。」
場所も姿を見せない人もどこから聞こえているのかわからない音も、何を指して言われたかわからないがその全てが変と言われれば納得だった。
「でも、とっても賑やかなところですね。」
水の流れる音も誰かが鳴らす楽器の音も、たまに聞こえる波の音も橋の上を歩いた時に響く足音も。
もしかしたら誰かの話し声かもしれないと耳をすませば、いつまでも飽きることがない。
「そうでしょう、私も何年たっても大好きなのよ。」
そういえば前にここから離れるのが難しい人がいると言うような話を聞いたが、案外本人たちは好き好んでここに居るのかもしれない。
「着いたわ。」




