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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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雨天行軍Ⅱ

 外に出てすぐに千景はマルチウォッチを起動して周囲のF.Dレベルを測定した。効果範囲は半径8メートル程度ではあるが、その範囲内にフォールンの反応はない。もしフォールンが潜んでいれば表示されたウィンドウには空間上のF.Dレベル以外に個別にF.Dレベルが表示される仕組みになっている。


 周囲に敵がいないことを把握しても千景は銃を下ろさない。ゆっくりと中腰の姿勢のまま移動し、車道を横断する時はそれまでの緩慢さが嘘のように頭を低くして素早く道を渡り切った。


 千景に習うようにして朱燈も行動する。彼に比べればその動きは稚拙だったが、見様見真似にしてはよくできた動きだ。もっとも、朱燈本人は千景がなんでそんな姿勢で移動するのかは気ほども理解していないが。


 道沿いの建物の塀に、あるいは壁に沿って二人は歩いていく。周囲を警戒し、断続的に周囲のF.Dレベルを測定する千景の瞳はいつにも増して血走っており、それだけ状況が切迫していることを物語っていた。


 そんな集中が頂点に達している千景に話しかけるのを躊躇しながら、しかし朱燈は彼の左肩に手を置いた。なに、とぶっきらぼうに返す千景に朱燈は周辺の景色を眺めながら、気になっていたことをこぼした。


 「フォールン、いないね」

 「ああ、そりゃな。雨が降ってりゃ生き物は巣穴に引っ込むだろ」


 雨天、それはほとんどの生物にとって避けたい天気の一つだ。雨に晒されれば体温が下がり、それが不調の原因になりうる。降り注ぐ雨は視界を塞ぐし、足元を滑りやすくもする。ことごとく、雨天がその影響下にある生物を直接的に利することは少ない。


 かつてならば、植物にとっては恵みの雨、農業を営む人間にとっては恵みの雫だったのかもしれないが、現在の雨には少なくはないF因子が含まれている。サンクチュアリを覆うバリアでさえ貫通するそれは、無機物以外のすべてをことごとくフォールン化させ、植物は中身がクリーム化し、体表に付着した雫は人間のフォールン化を早める一因になる。


 雨はフォールンにも影響する。ネメアのような上位種ならばF因子の許容量に余裕があるから、雨に打たれることは屁でもないだろうが、オーガフェイスやブラットのような下位種からすれば、雨に長時間打たれ続ければ「進化」を通り越して「異形化」するリスクがある。つまり、寿命を縮めてしまうのだ。


 「俺らだって例外じゃないぞ?こうやってジャケットのフード深く被って、雨に肌が当たらないようにしないと、あっという間に影槍の吸収限界を越えるからな」


 それこそ「紫壊病(ダリア)」のようなF因子由来の病気にかかるリスクもある。普段から気さくに話しかけてくれる紫髪の少女を脳裏に思い起こしながら、千景は口元をキュっと結んだ。


 「あと30分進んだら少し休むぞ。影槍を出して、体内のF因子を消費しなくちゃいけないし」


 森の中なら木が勝手にF因子を吸収してくれんだけどね、と千景は独り言をこぼす。森林地帯と違い、市街地ではF因子は残留し続ける。サンクチュアリで雨が降っている時間帯は戒厳令が敷かれるのは除染のためでもあるのだ。


 そうして休憩と行軍を二人は繰り返し、目的地であるキャンプ場に近づいた。キャンプ場は御殿場市から北東方向に進んだ急勾配の道を登った先、夜になると街の夜景を一望できる場所にある。比較的街に近いことから人気のスポット、と千景が見つけた古いデータには書いてあった。


 広い敷地と緑に隣接したその空間は訪れた客に日々の都会での雑踏を忘れさせ、たまの休日に子供達と外で遊ぶにも最適なのだとそのデータに付随していた記事には書いてあった。確かにそうだな、とそれを読んだ千景は首を縦に振った。ずっと仕事続きで肩肘を張りっぱなしだと体は大いに疲れる。たまの休日くらい好きなところで、好きなことをしたい、というのは時代を超えて共通する部分だ。


 「にしたって、まさか雨の日にキャンプ場いくことになるとは誰も思わないでしょ。ていうか、雨の日に外に出るとか馬鹿馬鹿しくない?」


 軒先で足をぶらぶらとさせる朱燈は頭上の灰色の空を仰ぎ見る。夏休みに祖父母の家に帰省した(わらべ)のようにそのままぐでんと外廊下に仰向けになる彼女は、はぁー、と低く唸りながら、天井を見上げた。


 防空壕ならぬ防雨壕として使われているのは道すがらにあった無人の民家だ。入る前にあらかじめ中を探索したが、フォールンが出てくることはなかった。内部のF.Dレベルも外よりは低く、雨宿りの場所としては最適な仮屋だった。


 「——山の天気は変わりやすいって言うだろ?いざ、キャンプに行ったら雨でしたってのはよくあることらしいぜ?」


 ゆらりと暗がりから現れた千景に朱燈はギョッとする。明かりのついていない部屋から現れた血色の悪い男というのはそれだけで幽霊のように見えてしまうものだ。まして本人が意図的ならば、いっそう怖く見えてしまう。


 「そんなにビビられると罪悪感すごいんだけど」

 「そりゃビビるでしょ、馬鹿なんじゃないの?」


 朱燈になじられ、千景は肩をすくめた。思いつきの行動がここまで彼女の怒りを買うとは思ってもみなかった。腹いせ半分、いたずら心半分で動くのはやめよう、と心に誓ったほどに後悔した。


 「それで?あとどれくらい休憩するの?」

 「いいペースでキャンプ場に近づいてるからな。ここからは休憩なしで行くぞ」


 「へーい、きびきび動きまーす」

 「御殿場市を出たら多分、フォールンとの遭遇率上がるだろうけど、まぁそのつもりで」


 それを聞いた瞬間、朱燈はがばっと起き上がり、千景に詰め寄った。


 「聞いていないんですけどー?」

 「そりゃそうだろ。単純に街ん中よりもフォールンが多く棲んでんだから。」


 ぐぅ、と朱燈は唸る。都市部に比べて山野の方が動物が多いというのは古今東西、共通する心理だ。それを考えればキャンプ場に行けばフォールンに出くわすことは容易に想像できる。


 ——それはヘリを待つ間ずっとだ。


 「キャンプ場ってなんか隠れられる場所とかないの?」

 「一応、管理人小屋があるっぽい。けど、壊れてなけりゃの話だな」


 ならいいじゃん、と朱燈は肩をすくめる。何がいいんじゃんなのかは千景にはわからなかったが、当の本人がそれでもいい、というなら敢えて言及するようなことはしない。どうあがいても、ヘリを待ち続けることしか自分達にはできないのだから。


 そうして廃屋を出立する二人は、宣言通りにノンストップでキャンプ場を目指した。その間、不気味なほどに周囲からは雨音しかせず、劇場が開演する前触れのような気味の悪い静寂が二人を包み込んだ。


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