通信会話
その夕刻、つまり9月6日の夕刻のこと、東京サンクチュアリのヴィーザルに激震が走った。下はもちろん、上もおおわらわの大騒動だ。
壁外から、それも未踏破領域からの通信という事態は盆をひっくり返したかのように、社内を混乱させ、報告を受けた支社の重役達は目を丸くして事態の収集を命令した。
当然と言えば当然だが、帰り支度を始めていた社員達は、戦闘職、事務職を含めて残業が言い渡された。戦闘職はいわずもがな救助任務のために、事務職は事務職でヘリの運行や医療施設の手配、手続きのために奔走することになった。特に戦闘職、つまり外径行動課の何人かはすでにヘリに乗って、通信を受信している中継機の護衛のために飛び出していた。
外様ですら大忙しなのだから、当の現場である管制室は一層喧騒がひどかった。帰りかけの職員は机を移動したり、機材を整えたり、お偉方を迎えるための準備をしたりと馬車馬のごとく働かされ、普段ならばしないような仕事まで割り振られた。その中には不幸にも千景からのラブコールに出てしまったケイサも含まれていた。
大混乱の中、衆人環視の中、何より心臓が高鳴る中、ケイサはマイクへ向かい、話しかける。彼女のイヤーキャップ越しの通信を繋いだまま、より全体に話が伝わるようにした結果、通信相手の音声が管制室に響いた。
「千景く、いえ室井隊長。聞こえますか?」
『ああ、聞こえるよ。回線を繋ぎ直したんだな?』
「はい、そうです。今、室井隊長の声は管制室内の全員に聞こえています」
『わかった。こちらの状況は改めて話す必要があるか?』
千景の問いにケイサは即答せず、指示を仰ぐために奥の席へ視線を向けた。ケイサの二つ後ろに置かれた横並びの席、通信用の設備や機材を超えた先にある席に座っているその人物は思案するそぶりをし、すぐに頭を振った。
不要です、とそれを受けてケイサは返答する。すでに最初の通信で千景と朱燈の状態は、ヴィーザルの上層部が把握するところで、再度の報告は今はしなくていい、ということだ。
『それなら何を話せばいい?どこにいるとか、どうやって通信を繋げたか、とかはわかってるだろ?』
「はい、いくつかの確認事項についてお答えいただけますか?」
そう言うケイサは隣に立つ監察官から渡された用紙に視線を落とした。そこにはヴィーザル内で千景が知りうる情報が載っていた。無論、彼の個人情報というわけではなく、彼が知り得るもので、かつ管制室に集まった人間が知っていても問題ない情報だ。
『警戒してるってことか?俺達がどこぞのスパイかもって、もしくは突然変異した喋れるフォールンかもって』
ない話ではない。未踏破領域からの通信なんてこれまでなかった話だ。中継機を挟まない限り、未踏破領域での通信は基本的に無線の範囲を超えてしまえば繋がらない。東京サンクチュアリ内に侵入を目論む他のサンクチュアリのスパイや工作員でないという保証はない。
それがわかってか、さっきまでは人の温かさがあった千景の声は冷淡なものになっていた。抑揚のない問いにケイサは表情を曇らせ、責めるような視線を隣に座る監察官に向けた。監察官は何事もないかのように平然と覗き返してくる。この野郎、と思いながらもケイサ自身がどうこうできる話ではなかったので、ケイサはフンと鼻息を吐き出して、千景の問いにそうです、と返した。
『わかった。だけど、この質問って個人情報についてじゃないよな?』
「室井隊長であればわかる内容です」
『答えになってなんだが。まぁ、わかったって言った手前、断れないんだが。——始めてくれ』
はい、とケイサは間髪入れずに返し、視線を再び手元の用紙に向けた。
ケイサの読み上げた質問はごくごく単純な千景の業務記録に関する内容だ。直近ものから数ヶ月前、数年前のものまで様々な任務後に千景が提出した報告書に沿った質問が彼女の口から伝えられた。
「2274年10月30日、貴方が遭遇したオーガフェイスの数は何頭でしたか?」
『一年前のハロウィン前日?確か、廃墟群で、ああ、えーっと。あれか。確か16、いや17だったかな。15以上はいたと思う』
ケイサの手元にある質問用紙には、質問の答えがある。正解していれば◯、不正解ならば×を入れるように言われている。今行われた質問への回答は△、部分的に正解だ。
「これが、最後の質問です。2275年6月1日、貴方はなんの任務に出ていましたか?」
『その日は休暇だったよ。三日の休暇だったはずだ』
そうですね、と最後の質問の欄にケイサは◯をする。すべての質問を終え、◯、×、△が書かれた用紙を監察官に手渡すと、彼はすくりと席を立ち、ケイサの後ろを通り抜けると、離れた場所にあったスキャン装置にその用紙を入れ、装置の近くに座っていた社員と何かを話し始めた。
話し合う監察官と社員の様子を見ていると、不意に千景が声を発した。
『暇だな。おしゃべりでもするか?それとも朱燈の声でも聞かせようか?』
即答はできず、ケイサは上司の方向を振り返った。確認テストが採点中にも関わらず、安易に応えることはできない。もっとも、その上司ですらどうしたものか、と渋い表情を浮かべ、顔色を窺うようにその隣に座る凶悪な人相の男へ視線を向けていた。
視線を向けられた男はため息を吐き、近くの技術職に自分のマイクと通信を繋ぐように指示を出した。古傷だらけの大男に命令され、技術職の社員はおっかなびっくりしながら新しいコードをマイクに繋ぐ。その間、おーい、と千景は呼びかけ続けていた。
「おい、千景。聞こえるか?」
『ん?その声は、草鹿課長ですか?』
千景の問いに、名前を呼ばれた強面の男、草鹿 春久は、そうだ、と即答する。肩幅が広いせいか、身長以上に大きく見える彼がマイクに近づくと、それがアイスクリームコーンかのように見えてしまう。握りつぶしや死ないか、と技術職がドギマギする中、草鹿は千景に質問をした。
「お前が生きていたことを嬉しく思う。さすがは俺の弟子だ」
『課長の御鞭撻の賜物ですよ』
「世辞はいい。色々と積もる話もあるだろうし、俺の周りにいる奴らがお前の話を信じていないってことに俺も憤っている。いや、すまなかったな」
『草鹿課長の謝意にただただ恐懼するばかりです』
バカ言えよ、と草鹿はせせら笑う。
「そういう子生意気なところは直らんな。始めて狙撃銃を使った訓練した時もそんな感じで聞き齧ったような言葉遣いだったよな、お前は」
『AMSR?記憶が確かならば、Drachenklaue71Aでしょ?』
「ああ、そうだったな。すまんな、最近だと色々と怪しくてな」
しっかりしてくださいよ、と千景は呆れた様子でなじってくる。それを受け流し、草鹿は視線をケイサに向け、小さく親指と人差し指で丸を作った。
何かの符号かな、と二人の会話を聞き、草鹿が示した丸の意味を考えながらケイサは思案する。千景と草鹿、二人は師弟関係にあるのだから、二人の間でしかできない話があるのだろう。だからこそ、丸を作り、通信会話先の千景が本物だと断定するという判断ができた。
じゃぁその符号ってなんなんだろう、とケイサが思案を始めた時、スキャン装置の結果を持ってきた監察官が再びケイサの隣に座り、その合否が書かれた用紙を彼女の手元に置いた。用紙に目を落とし、ケイサは内容を目で読んだ。
『質問の正答率64.7パーセント。当該人物の人格及び、記憶能力の記録から逆算し、93.78パーセントの確率で同一人物であると推測される』
いやらしいテストだよなぁ、とケイサは苦笑する。仮に正答率が90パーセント以上だったら、千景ではない、という結果になっただろう。その人物に成りすまそうとすればするほど墓穴を掘る仕組みだなんて、誰も思いはしない。
「室井隊長、ケイサ・ルキヤノフです。お相手変わります」
『ケイサが出たってことは俺が本物だって断定できたっぽいな』
「はい。早速ですが、現状確認を行います。現在の室井隊長の所在地にフォールンはいないのですね?」
ああ、と千景は短く応える。即答できるということはそれだけ今、彼と朱燈がいる場所に自信があるということだ。そのことに一抹の安堵を覚えつつ、ケイサはより踏み込んだ話を始めた。
「安全を確認できたということで、本題に入ります。現在の室井隊長の状態は先んじて聞いている情報から推察するに大変危険な状態である、と作戦部は結論づけました。室井隊長、並びに白河副隊長の未踏破領域滞在時間から鑑みて、猶予は残り三日ほどしかなく、速やかなるサンクチュアリへの帰還が推奨されています」
『ああ。でも動けない。さすがに三日でサンクチュアリにまで戻るには寄り道をしすぎた』
そうだろう、と千景の報告を始めて受けた時と同じ感想をケイサは抱いた。
千景と朱燈が消息を絶ったのは8月28日だ。その後、1日の休憩期間を挟み、出立したのが8月30日で、それから9月2日までは順調に行軍していたが、翌日の朝方からオーガフェイス、ルナユスル、果ては新種のフォールンと丸一日追いかけっこをした末、その途中で千景が倒れてしまった。翌日に千景は目覚めたが、入れ違いに朱燈が力尽きた。しかもフォールンから逃げる過程で赤い錠剤を飲んだという。そのせいで彼女の免疫能力は低下中だ。
その道中もやはりフォールンに遭遇し、ロジックタワーがある御殿場市に到着したのが、彼らの言葉通りならば今日こと9月6日ということになる。一体どういう道を辿ればそうなるのか、門外漢であるケイサにはわからない。ただ、それが生半可な道でなかったということはわかるつもりだ。
「現在、ヴィーザルではお二人の救助作戦が計画されています。しかし、お二人がいま滞在している御殿場市はお話を信じるならば、ブラットの巣窟であり、救助要員を送るにあたって問題があります」
『ロジックタワーにヘリを横付けしてくれればいい。影槍使って飛び移るから』
千景の提案に、ケイサは首を横に振った。通話先の相手には無論、そんな彼女の挙動は見えないが。
「ロジックタワーが動いていることがわかった以上、ヴィーザルとしてはその保護及び未踏破領域内での作戦拠点としての利用を考えています。それを鑑みるに、ヘリの接近は同建築物を傷つけるのみならず、周辺のフォールンの不必要な活性化を招く、と判断しました」
『つまり?人命よりも建物が優先だ、と?』
管制室の巨大スクリーンに表示された音紋が揺れ動く。その向こう側からは「なにそれ、はぁ!?」と声を荒げる少女の声が聞こえた。
「大変心苦しいのですが、移動していただかざるをえません。また、同市内へのヘリの侵入は先の理由から認められません」
『はぁー。まぁ、うん。そうだろうけどさ。で?じゃぁどこへ行けって?』
「同市の北東方面にキャンプ場があります。そのキャンプ場を臨時のヘリポートとして利用することを提案します」
『キャンプ場?それってどこ?』
「はい、名前は」
キャンプ場の名前を聞いた千景からの声が十数秒の間途切れ、その間キーボードを叩く音が聞こえた。
『了解、把握した』
「救助のヘリは二機、明日の1430までには同地へ到着する手筈となっています。また、作戦領域の環境情報から鑑み、ヘリの滞在時間は600秒とさせていただきます」
『10分か。大盤振る舞いだな』
「はい、申し訳ありません」
皮肉に対し、ケイサは表情を暗くし謝罪する。彼女にどうこうできる話ではなかったが、ただでさえたどり着けるかもわからない場所に出向かせ、しかもたったの10分しか待機しないというのはあまりにもひどい話だ。
『なら、今日はもう寝るよ。明日は早めに移動するとしよう』
「ご武運を」
『はいはい』
音紋が停止する。通信がオフになり、固唾を飲んで状況を見守っていた管制室の面々は緊張の糸がほつれたかのように溜め込んでいた息を吐き出した。しかしすぐに、管制室長の叱咤が飛び、彼らは緩んでいた姿勢を正した。
「——総員、傾注!これより、未踏破領域で遭難した当社の社員救助作戦を実行に移す!すでに作戦遂行の実働部隊の選定は済んでいる!我々の職務は彼らが完璧に作戦を遂行するための一助となることだ。早急に安全かつ最短距離で同地に到着するための飛行経路を策定せよ!」
「室井準二級職員にはヘリの到着から10分しか待機はしない、とは言ったが、あれはあくまで1430から数えての10分だ。ヘリの速度を考えれば、到着時間はかなり早くなる。その間、出現するだろう未踏破領域のフォールンへの警戒を厳にしろ!ヘリが落ちました、では格好がつかん!」
管制室長に続いて草鹿も檄を飛ばす。それを受け、固まっていた管制室の職員たちは一様に動き出した。そんな中、緊張を誤魔化すように水を飲んでいたケイサはふと、今日作成した地図のことを思い出し、そのことを報告するために上司である管制室長の隣に立った。
「なんだ、ルキヤノフ君」
「はい、実は明日の天気のことなのですが」
「天気?明日は快晴だろう?」
だからこそ14時30分よりも前にヘリがキャンプ場に到着する、と言えた。フォールンの支配域を交わしながら、ヘリを進めると考えれば妥当な評価である。
「いえ、周辺の湿度や大気の状態から考えるに明日は雨天となると見られます」
「なぁにぃ?いや、だが。しかし君は別に天候観測員じゃなかろう」
「はい。ですが今日のマッピングにあたり、周辺の大気を調べたのですが」
「それならまずは天候観測課にその情報を持っていくがいい。それから改めてその結果を私に持ってこい。いいか、これは話の筋というものだ」
はい、とケイサは首肯する。話としては筋が通っている。あくまでもオペレーターにすぎない自分の言を間に受けるほど、管制室長ももうろくはしていないらしい。
急いでヴィーザルにある天候観測課に向かい、ケイサはマッピング用のデータの鑑定を依頼した。救助作戦のためだ、と言えば最初は渋った観測員も差し出されたマイクロチップを受け取り、素早い作業でコンピューターに情報を書き込んで計算を始めた。
計算は一瞬で終わり、その鑑定結果にケイサは奥歯を噛んだ。したり顔なんて浮かべられなかった。
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