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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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ケイサ・ルキヤノフ

 2075年9月6日の夕刻、ケイサ・ルキヤノフは天井に向かって大きく伸びをしていた。伸びをすると、艶かしい吐息がこぼれ、その後、背中に気持ちのいい快感がじんわりと伝わり彼女は口角を上げ、その日の業務の終わりを実感した。


 ケイサは17歳の少女だ。髪型は金色のミディアムボブ、これは彼女が大好きなアイドルグループのリーダーの髪型を真似たもので、近々黒く染めようかと考えている。東欧系特有の色素の薄い肌、大きな藍色の瞳、東洋人とは一眼見て違うとわかる淡麗な容姿を持つ。モデルのような体型は扇状的で、彼女が伸びをしてその肢体をデスクの影から晒した時、周りにいた男どもは羨望の眼差しを、女どもは嫉妬の眼差しを向けた。


 浴びせられた視線の意図を自覚し、ケイサはそれを無視して自分の前のモニターに向き直る。映し出されているのはサンクチュアリ周辺の廃墟都市(ネクロポリス)の地図で、赤いビーコンが複数の箇所で点滅していた。


 ケイサはヴィーザルの部署の一つである作戦行動課管制補助室に属している。彼女の主な業務は既知領域、つまり廃墟都市に出陣したヴィーザル職員のサポートだ。戦場を走る彼らのためにリアルタイムでマップを更新したり、フォールンの位置を探ったりするのが彼女の任務である。


 支援任務がない時は現在進行形で形を変える廃墟都市のマッピングや、モニターに映っている赤いビーコンこと中継機の監視を行う。前者は戦闘社員の任務成功率に影響するし、後者はサンクチュアリ外での通信を円滑に進めるために必要な業務だ。通信電波が届かなければイヤーキャップによる長距離無線通信はできないし、マッピングのためのドローンも飛ばせない。


 本日の主な仕事はまさしくそれだった。10日前に起きた外径行動課特務分室の一件で、二週間にわたって定例業務以外でのサンクチュアリ外への出撃依頼はことごとくキャンセルされた。違約金がどうの、と財務管理課に籍を置く友人が嘆いていたが、ケイサからすればいい休暇になる、と安穏としていた。


 管制室での職務、つまるところのオペレーターという仕事は一見するとただ椅子に座って指示をだしているだけの仕事に見えるが、内実はストレスが計り知れない。


 オペレーターにできることはただ見て、教えて、記録することだけだ。作戦の支援はできても、味方にフォールンの位置を教えることはできても、その命が危うい時に直接的な起死回生の活躍ができるわけではない。例えば、ネメアに襲われ、食われかけている同僚を助けるために銃を撃つことも、その断末魔から耳を背けることもできない。


 彼らは最初から最後まで、ただ遠くから戦場に立つ兵士達の声を聞き、聞き届ける。絶望的な、あるいは悲壮めいた断末魔、今際の言葉を聞いてノイローゼになってしまった同僚も大勢いる。だから、そんな精神に負担がかかるような業務をしなくていい、と言われるだけで百万貫の給与をもらった気分になり、ここ数日のケイサはとても肩が軽かった。


 中継機が無事に起動していることを確認し終え、ケイサはふぅ、と息を吐いた。なんとなしに視線を右斜め前のデスクへ向けると、同じようなタイミングで仕事を終わらせたのだろう、同僚である紫髪の少女がにこやかに手を振っていた。彼女は席から立ち上がると、同じように席を立とうとしたケイサを制し、彼女の目の前にあるモニターを覗き込んだ。


 「ケイサちゃんも終わったんだ」

 「ええ、もちろん。相も変わらずの退屈な業務だったわ」


 「そー?マッピングって少しドキドキしない?」

 「そんなことを言うのは貴女だけよ、スヴィータ」


 指摘され、紫髪の少女はムッとして、少しだけ頬を膨らませた。


 彼女、スヴィトラーナ・チハノフスカヤ・コルトゥノーヴァはケイサと同じオペレーターだ。長い紫色の髪は天然パーマでふわふわとしている。髪の毛の質以上に容姿もふわふわしていて、ほんわか、あるいはやんわりといった印象を受ける。スレンダーでモデル体型なケイサと比べると身長も低く166センチくらいしかない。肌もむっちりとしているが、決してそれは太っているというわけではなく、肉付きがいいと言う意味だ。


 彼女の特徴的な紫色の髪は決して先天的なものではない。ロシア難民など、東欧系に見られる後天的なF因子による色素障害「紫壊病(ダリア)」によるものだ。症状の例としては視力の低下、ガンや感染症の発生率上昇、脳腫瘍の発生などがある。総じて免疫機能に対して重篤な問題を引き起こすことが多く、髪の色が濃くなるほどにより深刻な影響を人体に与えるものになっている。


 F因子由来の病気であることから、無論体内のF.Dレベルも上昇する。それが原因でフォールン化を招く事例は後を経たない。幸運なことにサンクチュアリ内にいれば、病気が進行することはない。ゆえに東京サンクチュアリにいるならば、スヴェトラーナがフォールン化する心配はないのだ。


 ——だからケイサも安心して彼女と会話ができる。


 「これからどうする?もう仕事は終わりだし、どこかに寄らない?」

 「お酒?」

 「私達まだ未成年よ。東京サンクチュアリ(ここ)の法令じゃお酒は20歳からだもの。まだ三年もあるわ」


 「ざんねーん。じゃぁ大人しくカフェでも行こっか」

 「ええ。味気ないブロックフードを食べにね」


 笑い合う二人は談笑を早々と切り上げ、スヴェトラーナは自分の荷物を取るため、自身のデスクへと戻っていった。ケイサもモニターの電源を落とすため、再び自分のデスクへ向き直った。


 「んん?」


 ふと視線をモニターに戻すとついさっきまで何事もなかった中継機の一つが点滅を繰り返し、受信信号を発していた。それに気がついた数瞬後、彼女の耳元のイヤーキャップがピーピーと受信を告げる音を発した。


 「へぇ!?」


 驚くケイサは、しかし恐る恐るイヤーキャップをタップし、通信チャンネルを開く。直後、聞き知った声が彼女の脳内に響いた。


 『——り返す!知恵の塔より愛を込めて、この通信を行なっている!この通信を聞いてるやつ、いないのか!』

 「ぇええ!!!!!!!!?!????ち、ちかげ、くぅん!!!????」


 思わず上げた悲鳴にも似た奇声、大人びた彼女から発せられたとは思えない甲高い声に、管制室にいたほぼ全員が目を丸くして振り返った。


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