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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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知恵の塔より愛を込めて

 目が覚めると知らない天井だった。病院に見られる真っ白な天井とはまた違う、柄付きの白い天井だ。上体を起こすと、すぐに白い髪をはためかせた赤目の少女が近づいてきて、目線を彼に合わせてはにかんだ。


 「おはよ、千景」

 「ああ。ここは……」


 周りを確認するように千景は周囲を見回した。いくつものホイールチェアが散乱し、机や棚をひっくり返した跡が見られる大きな部屋だ。部屋の中央には無数のモニターが設置された柱が立っていて、それを取り囲むようにドーナッツ状の円形のテーブルが置かれていた。


 見るからに機密感が溢れる部屋だ。どことなくヴィーザルタワーにある管制室を彷彿とさせる部屋で、横並びになったテーブルにはかつては大量の人間がそこに座り、作業していた名残があった。


 ——同じくらい大量の人間が苦しんだ名残もあった。


 起き上がった千景はすぐに目の前にある椅子に座っている死体を見つけた。周りが並んでいる机ばかりなのに、一つだけポツンと離れ小島のような場所に席があった。その体はすでに白骨化していて、その骨の形状は歪なまでに歪んでいた。


 死体は他にもあった。20年越しに発見された新たな犠牲者達だ。重なり合うように死んでおり、どれもが背骨が不自然に歪み、鰭のように変形していたり、首が異様に延長されていたり、頭蓋骨が不自然に小さくなっていたり、足がなくなっていたり、と異形化した死体達だ。


 返り血の類は周囲にはなく、腐乱臭もない。菌類の類すら死滅して、この場にいる生者はただ二人だけ、理解しきた目で千景は朱燈に振り返り、確認を取った。


 「ここがオペレータールーム?」

 「そ。で、まぁどーせ聞くだろうから先に答えとくと、電気点いてからけっこう経つのにあんたが来なかったから、気になって階段降りてみたの。そしたら、なんか階段の上で気絶してたから、まーその」


 「はい、ありがとうございます。言わんとすることはなんとなくわかりました」


 朱燈の話を聞きながら千景は苦笑いを浮かべた。よくよく考えれば電気が復旧したならエレベーターを使えばよかったのだ。なんでわざわざ階段を使ったのか、まるでわからない。


 「ていうか、電気戻ったんだろ?だったらもう通信は」

 「あーそれなんだけどさ。ちょっといい?」


 千景の問いに朱燈は目を泳がせる。嫌な予感がしたが、敢えて言及せず千景は朱燈の背中を追った。道中、朱燈は何があったかを色々と聞いてきた。その質問に千景は、ザリガニっぽいフォールンとやり合った、と答えた。そのせいでジャケットに穴が空いたとも。


 それを聞いて朱燈はふへーと感嘆符をもらした。驚いているのか、感動しているのかはわからなかったが、とにかく予想外ではあったのだろう。大変だったんだねー、と労う言葉は不思議と身にしみた。


 朱燈の方はどうなんだ、と問うが、彼女は答えようとはしない。ますます不安を募らせる千景をよそに朱燈は彼を中央にあった柱の前まで案内した。


 「それがコンソール。それで、そこのキーボードから操作できる」

 「ふーん。ちゃんと動くんだ」


 置かれていたキーボードを軽く操作し、千景はきちんとモニターやコンピューターが動作することを確認する。20年近く昔のシステムではあったが、そもそもコンピューターのソフトの動作を改良するほど人類に余裕があったわけでもない。だから技術的な開きはあまり感じられなかった。


 「何がダメなんだ?」


 向き直り、朱燈に再度問いかける。素人目にはちゃんと動いているように見える。しかし朱燈がちゃんと動いているのにも関わらず、通信を今の今まで行なっていないのには何か理由があるのだろう。


 問いかけられた朱燈は千景に代わってモニターの前に座り、片手でキーボードを操作する。しばらくするとAI生成されたと思しきイラストが映し出された。


 映し出された絵は二つ。一つは塔、もう一つは立体的な箱に二枚の板が取り付けられた絵だ。両者をつなぐ点線で書かれた放物線は途中にバツマークを挟んでおり、その下には英語で「Disconnect」と表示されていた。


 映し出された絵がロジックタワーと衛星を示していることはすぐにわかった。そしてその二つを繋ぐ点線で書かれた放物線がバツマークで途切れているということはつまり、両者の間にあるはずのつながりが途切れているということなのだろう。


 「なるほどね。他の衛星は試してみた?」

 「そもそも、どういうソフトなのかもわかんないのに操作はできないって。一応、通信っぽい機能を探してみたけど、これだけ」


 「あー。そんな感じだな。ていうか、これは。この衛星しか生きてない、のか?」


 千景の疑問符に答えるように、そーね、と朱燈が答える。キーボードを操作し、彼女が表示させたのはとある報告書だった。


 『衛星通信の接続不可に関する報告書』とあったその報告書は2255年の3月初旬ごろに世界各地で多発した衛星との通信遮断に関する報告書だった。当初は旧時代の末期の情報戦争の弊害かと思われていたが、その実態は予想を上回るものだった。


 調査の結果、明らかになったのは人工衛星の破壊。ほぼすべての人工衛星が、この場合は情報戦争を生き残った数少ない衛星の残機が、数日の内に壊滅したらしい。残った衛星は各国それぞれ5基前後、かつて数万基を超えていた人工衛星のネットワークはたった数日で破綻した、ということらしい。


 「なんだ、こりゃ。初耳だぞ」


 千景が瞠目し、朱燈が追随するように頷いた。


 二人の認識では、現在運用されている人工衛星が少ないのは情報戦争の影響ということになっている。そしてその人工衛星を補充する寸前で、フォールン大戦に突入した、と。


 しかし実際はフォールン大戦の開戦と同時に衛星が撃ち落とされていた。初耳の情報だ。よくよく見ると、その報告書以外にも気になるファイルはいくつもある。一部地域における急激な寒冷化の進行について、とか、降雨量の増加について、とかだ。


 「——んー。これは、なんともきな臭い。けど、今の俺達には必要ない情報だな」

 「まぁねぇ。あたしらに今必要なのはどうやってこの衛星にアクセスするかってことだし」


 サンクチュアリ成立以後、すべての人工衛星はエデン機関に接収された。その時に衛星へのアクセス権限が書き換えられた。つまり、現在のロジックタワーは衛星に通信を試みることはできるが、その権限がない状態にある。例えるなら、車はあるのに鍵がないということだ。


 あるいはこれが車ならば窓を破るなりすれば強引に鍵をはずせたかもしれない。しかしこれはより精密な機械だ。バール片手に振り下ろそうものならその時点で派手に壊れて目論見はおじゃんだ。


 「——どうしよ。なんか適当に打ってみる?」


 衛星通信を行うためのアンテナ、それが生きていることはモニターを見ればわかる。メール画面を開き、適当な文章を打つ朱燈はそれを送信しようとするが、すぐに画面には「通信障害」と出た。通信環境を見直してください、と続くそのモニターを彼女は苛立たしげにはたき、「GRRRRR」と獣のように唸った。


 「回線を切り替えてみるのはどうだ?」

 「そもそも電波飛んでないんだから意味ないって。これって要はあたしらがいる場所が衛星の通信圏外ってことなんだから」


 「んー。なるほど」


 問題は極めて単純だ。メールや電話といった一般的な通信ができない状態にあるということだ。それはただ信号を送信することができないという話で、旧時代にあったという電話会社ごとで圏外になっていた地域がある、という状態に近い。


 しかし、と千景は目を細めた。


 ロジックタワーは生きている。地下のタービンを回したことで電力は復旧している。タワーそのものが持つ高い通信能力、情報収集能力はまだ生きているのだ。


 その機能を確認するため、朱燈から二つ離れた席に座り、千景はサーバールームへアクセスしリアルタイムで更新されている環境情報を閲覧した。表示されたのはタワー内の環境情報だ。気温や湿度、大気汚染レベルは元より、緑化率や人口なども表示されていた。それが今さっき取得した情報であることは記録欄に表記された年月日を見れば明らかである。


 「タワー内はわかる。まぁ、通信設備とかは復旧したからか」


 タワー内部のカメラやセンサーが生きているからだ。範囲を御殿場市全体に広げてみると数箇所の情報は取得されたが、ほとんどの地域での情報は取得不可と表示された。


 観測のためのカメラやセンサーが生きているから、情報は取得される。だがむしろ千景の目を引いたのはどうして情報が取得されるかだ。


 通信環境が壊滅しているにも関わらず、情報が取得されるというのは情報の受信と送信ができている証拠だ。つまり、ロジックタワーそのものから出ている強力な電波はかなり遠くまで届いているということになる。


 その範囲はどこまでなのだろうか。


 サーバールームにアクセスし、千景はロジックタワーの環境情報取得履歴を漁っていく。そのほとんどが御殿場市を中心とした富士周辺の情報だった。中には神奈川や長野といった遠くの地域のものもあった。一つの電波塔として見ればその通信範囲は驚異的だ。


 ——その範囲には横浜などサンクチュアリに程近い街も含まれていた。


 「うーん。ということはひょっとして、届く?」


 自身のマルチウォッチを外し握ったまま千景は離れた席で唸る朱燈の元まで歩いた。千景が後ろに立ったにも関わらず朱燈はうーうーと唸り続け、彼が面白がって指先をうなじから背中まで這わせると、ひゃっと間の抜けた声で叫んだ。


 「なにすんのよ!!」

 「ああ、すまん。それよりもさ、ちょっと相談に乗ってくんない?」


 振り向きざま、マルチウォッチを渡されて朱燈は怪訝そうに眉を顰めた。訝しむ彼女を他所に千景は話を進める。


 「今さっき確認したんだが、この塔の通信範囲、つまり電波の到達範囲はサンクチュアリ近傍まで続いている。距離にして、大体80キロくらいかな。サンクチュアリの周辺、既知領域にそこは含まれてる。つまり、そこまで通信が届けば」


 「中継される?」


 「可能性はある。ただし、それはこのマルチウォッチの通信周波数なら、の話だ」


 言われて、朱燈は気づいたように目を見開いた。


 「そっか。特定周波数じゃないと中継機は機能しないもんね」


 ヴィーザルはもちろん、防衛軍もまた主な活動地域は既知領域だ。その通信すべてを衛星で賄うというのは衛星の処理に負荷がかかる。そういうわけで用意されたのが中継機だ。イヤーキャップとマルチウォッチ双方の通信に対応しており、比較的離れた場所でも無線用の電波をサンクチュアリ内の施設に届けることができる。


 千景の案はズバリ、マルチウォッチの無線電波をロジックタワーの通信機能を用いて増幅し、それでサンクチュアリと更新を試みようということだ。元々、マルチウォッチを使って通信しようとしていた朱燈からすれば、衛星を介さずとも通信できる提案は画期的と言えた。


 「すごい、いや。でもちょっと待って。もし通信できなかったら?」

 「んー。電力の無駄遣いぐらいじゃないか?一応、プランBもあるけどさ」


 「なにそれ」

 「SOSを通信電波に乗せて送る。さすがにSOSの信号まで遮断してはないだろ」


 「いーじゃん、それ。むしろそっちの方が確実性あるじゃん」

 「まぁ、SOS送っても助けに来る保証ないけどね」


 一喜一憂。盛り上がった矢先に突きつけられた残酷な真実に朱燈はズゥンと顔を曇らせ肩を落とした。面白いまでの素直な反応に千景は思わず笑みをこぼした。


 「なんなら俺らがあそこで寝てる奴らのお仲間になるかもしれないぜ?」


 クイッと親指で入り口を示すと、それまでうなだれていた朱燈は顔をあげ、左手に託されたマルチウォッチを握りしめた。


 「そういうわけだ。これ、繋いでくれない?」


 意気込む朱燈の左手に握られたマルチウォッチを千景は指差した。朱燈は頷くと、すぐにモニターに向き直り、回線を繋げ始めた。


 朱燈が作業を始めると、千景は薄暗い室内を散策し始める。いつの間にか外は夕暮れ時になっており、茜色の手が大空いっぱいに広がっていた。


 取り出した懐中電灯を向けた先には折り重なったように倒れている白骨死体の山があった。骸の山に向かって合掌しつつ、千景は彼らの衣服を漁っていく。ポケット、内ポケット、あるいは首にかけている職員証や身につけているアクセサリなど。


 サンクチュアリではほとんど見られない財布を取り出した時、中身を改めてみると、中には数枚のお札と電子硬貨、カード類が詰まっていた。使われている貨幣がすべて電子通貨になってしまったサンクチュアリではまず見られないものだ。


 物珍しそうに財布の中身を見ていた千景は、ふとその視線を離れた位置に席がある死体へと向けた。これも財布なりなんなり持ってるのかな、と思いその死体のポケットや席の引き出しを漁ってみると馴染み深いものが出てきた。


 「これ、拳銃?」


 右手にずっしりと乗る重さから本物とわかる。外見は千景が使っているGazer.21に酷似しているが、会社のロゴマークが違う。どちらもアメリカ製ではあるが。


 マガジンを確認すると、中にはたっぷりと弾丸が入っていた。使われた形跡はない。しかし手入れはキチンとされており、埃こそかぶっているが、動作に問題があるようには思えなかった。


 「なんで公機関に拳銃が。警察じゃねぇだろ、ここ」


 訝しむ千景をよそに、遠くで朱燈が「つないだよー」と気の抜けた声で作業の終わりを知らせた。わかった、と返事をする千景は拳銃を机の上に置き、彼女の元へと走った。


 舞い戻った千景に朱燈はいくつかのコードで繋いだマルチウォッチを手渡した。彼女の前にあるモニターにはプログラムのソースコードに似た文字列が表示され、画面の中央には「SENDING」とウィンドウが映し出された。


 「さっすが、朱燈」

 「規格が大分違うから、苦労したって」


 「やっぱり、アダプターとかそういう?」

 「それもそうだけど、昔の電子機器の規格だから、やっぱどーしても、今のとはソフト面でもハード面でも合致しないのよ。『この製品は接続できません』の一点張り」


 あはははは、と両者は笑い合う。通信が接続するまでの間、二人の会話は続いた。久しぶりの無駄話の時間は短かったにも関わらず、とてもゆったりと時間が流れたように感じた。


 「あ、つながった」


 会話を止めたのは朱燈だった。モニターに向き直り、ロジックタワーから発せられる通信電波を彼女は最大に設定する。


 「あーあー。テステス。もしもーし。もしもーし!!」


 マルチウォッチを唇のところまで持ち上げ、千景はしきりにその向こう側にいるだろう人物に話しかけた。マルチウォッチから発される音量は最大、ピーガガガという機械音声が間断なくそれから発せられた。


 「こちら、ヴィーザル東京サンクチュアリ支社外径行動課第三特務分室第一小隊小隊長、室井 千景!!おーい、聞こえるかー、管制室!!」


 声を張り上げ、千景は怒鳴る。


 「知恵の塔より愛を込めて、!繰り返す、知恵の塔より愛を込めて、この通信を行なっている!」


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