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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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地下の魔物

 赤々と光るその目はギョロギョロと動き、周囲を睥睨する。動くたびに目の周りに張り付いていた泥とヘドロがこぼれ落ち、水滴に似た落下音が静寂に包まれた地下空間に響いた。赤い瞳が動いている間、千景は機械の中に身をかがめ、その全容を把握しようと神経を張り巡らせ食い入るように見続けた。


 大きさは二日前に出会したカニ型のフォールンに近い。見上げるような高さ、10メートルはあろう地下空間にあって、その頭部が天井に擦ってしまうほど大きい。まずその時点でだいぶ、倒すという手は諦めた。弾数が限られているのに戦闘なんてしている暇はなかった。


 目を凝らすと、瞳の真下に巨大な牙が見える。二本の大きな牙が狭い間隔で生えていて、その二本の牙の真下に小さな爪が生えていた。爪と言っても形状は鉤爪に近く、シルエットだけ見ると鳥の嘴が二つ並んでいるようにだった。


 頭部は丸みを帯びていて、首は長い。馬かなにかがフォールン化したとも考えたが、それにしては背骨の曲線が下弦を思わせるなめらかさで、馬の背筋のラインとは違って見える。そもそも、馬に牙は生えていないし、顔は長い。そもそも目が光っているのが意味不明だ。あまり体を乗り出せないので判別は難しいが、赤い瞳からはうっすらと光が漏れていて、それはサーチライトのように周囲を照らしていた。


 ひとしきり周囲を見まわした瞳はゆっくりと閉じていく。瞳を閉じても瞼から漏れた光量によって輪郭ははっきりとしている。しかし兎も角も相手が目を伏せたことは確かで、試しに懐中電灯を当てて見ても反応は返ってこなかった。


 「ったく。なんなんだよ、こいつ」


 図体の大きさもさることながら、その生態がわからない。かろうじて相手に動くつもりがないことはわかるがそれもいつまで続くかわからない。


 ちぃ、と舌打ちをこぼし千景は影槍を展開し、近くの屹立している機械にそれを突き刺した。思いの外容易く影槍は装甲を貫通し、固定したことを確かめ、千景は勢いよく機械の上に飛び乗る。そして天井に影槍を打ち込むと丈夫からフォールンの様子を伺った。


 以前、そのフォールンは動かない。体を覆う泥やヘドロはまるでコンクリート漬けになったかのように凝り固まっていて、そもそも手足があるのかすらわからなかった。暗い中、ポツンと灰色の塊だけが置かれていて、動かないその様はかえって不気味だった。


 動かないまま見ていても埒が明かない、と千景はフォールンの背後をライトで照らした。下からはよく見えなかったが照らされたことでその詳細が顕になった。


 まず眼下のフォールンは全高もさることながら、全長もかなり長いことがわかった。背中から伸びる巨大な尾は胴体に匹敵する長さで、先端に行くにつれてそれは五つに分かれていった。まるで人間の右手のようにも見える独特な形状をしていて、その機能は動かないことにはわからなかった。


 視線を本体に戻し、フォールンの足元を照らすと泥とヘドロの中に足のような部位が見えた。人間で言えば大腿部に相当するだろう太い肉の塊、それも泥とヘドロに覆われているせいで詳細はわからないが、見た限り左右に三本ずつ、計六本の足があるように見えた。それぞれの足先からは鋭利な爪が二本ずつ生えていて、どことなく昆虫っぽくあった。


 ただし、爪の向きはややおかしな方向に向けられていた。


 上向きなのだ。人間で例えるなら、四つん這いになるために掌を地面につくのではなく、手首を折り曲げて付いているようなイメージだ。非常にアンバランスで、自重を長時間支えられそうには見えない。


 疑問が生まれ、訝しむ千景は何か情報はないかとフォールンの足元を照らした。無論、赤い瞳に警戒しながら。


 「あれは、骨?」


 這うように懐中電灯で照らし続けていると、白い何かが反射した。目を凝らして見るとそれは骨だった。よく見るとフォールンの足元には無数の小さな骨が散乱しており、その中には先端が尖った頭蓋骨もあった。人間のものではない、ブラットのものだ。


 なるほど、と納得した様子で千景は懐中電灯の灯りを消した。


 スラットがなぜかロジックタワーに入ろうとしなかったその理由、それは眼前のフォールンを恐れていたからだ、と理解したから。


 フォールンの足元に転がっている骨がいい証拠だ。おそらくは元々ロジックタワーの地下に溜まっていたブラットはことごとく眼前のフォールンに食い殺されたのだろう。それも十体やそこらではなく、散乱している獣骨からして、数十体以上は殺されている。


 恐ろしいな、と千景は生唾を飲み、ここに来るまでに出会した無数のブラットを思い返した。人間個人ではどうしようもない数の暴力、それを苦もなくかはさておいて、鏖殺してのけたのだから、脅威は中位、ないし上位と見るべきだろう。


 「けど、まぁ」


 ——戦う必要性はないからなぁ。


 影槍を用い、千景は対岸に飛ぶ。着地し振り返るが、フォールンは動かない。不気味さは拭えないが、動かないのなら放置がベストで、最善だ。それでも最低限の警戒は忘れない。時折、振り向いては、あの禍々しい赤い瞳がこちらを見ていないかを警戒し、懐中電灯に頼らない夜目を凝らしながら、千景は奥へと進んでいった。


 向かい側も元いた岸とそう構造に際はない。灰色のフォールンの周りに立っていたと見られる機械の柱は根本から崩れ、その破片やスクラップが倒れていた。


 同時に向こう岸では見なかったものも転がっていた。


 ふと視線を正面に向けると、分厚い板状の瓦礫がどてーん、と仰向けになって倒れていた。それは高さだけなら5メートルくらいはある代物で、表面は歪んでいて、一部は腐食していた。


 恐る恐る腐食箇所に千景は手を伸ばす。溶けてから何年も経っているのか、触れても指先がかぶれたり、腐食が移るといったことはなかった。


 周りに同じものはないか、と左右を見やると、倒れている板と同じ形状のものがずらりと横一列に並んでいた。まるで何かを堰き止める防壁のように見えるそれを訝しみながら千景は正面に向き直った。


 板が転がっていた地点を越え、さらに千景は奥へと入っていく。元いた岸に比べて向かい側はかなり奥行きがあり、その広さに千景は目を見張った。いつしか遠くに見えていた灰色のフォールンの瞳の輪郭も消え去り、完全な静寂の中、周囲を反響する足音と瞳に移るぼんやりとした風景だけを頼りに進む千景はついに壁の端にまで辿り着いた。


 「いつ。てこれは行き止まりか。えぇ?」


 どういうことだ、と千景は頭をかいた。


 ここまで歩いてきて、タービンを回すための制御室のようなものには出くわさなかった。リスク覚悟で懐中電灯で周りを照らすが、やはり機械の制御室のようなものは見えない。


 「んー。これは。まずいか?」


 電力が戻らなければ通信どころではない。助けも呼べず、絶望的な状況の中、死んでいくしかない。


 ——そんなのはごめんだ。そんな死に方はしたくない。何より、今もオペレータールームで機械類相手に格闘しているであろう朱燈に申しわけない。


 何か見落としたものはないか、と千景は一歩戻って周りを照らした。


 まず目に入ったのは屹立している機械の柱だ。それを照らすと、元いた岸にはなかった円筒を横に倒したような形状の機械が取り付けられている。さっきは懐中電灯の灯りが遠すぎてわからなかったが、同じように円筒形の機械が機械の柱にくっついていた。それは例の横並びになった板、もとい防壁の内側にあり、その機械の隙間を照らして見ると、よくわからない歯車やチェーンのようなものが見えた。


 「なんか、車のエンジンみたいだな」


 以前、自動車の操縦訓練の際に教習所の教官が図解していたものを千景は思い起こす。中央にモーターがあって、パイプやらなんやらがくっ付いているよくわからない機械の塊。隣の席に座っていた冬馬が熱心に講義を聞いていたと千景は記憶している。


 だが、どう考えても車のエンジンがロジックタワーの地下にあるのはおかしい。ここが駐車場ならいざ知らず、地下発電施設であることを考慮すれば尚更だ。


 「これがタービン?ひょっとして」


 ポロッと漏れ出た独り言に千景は自嘲する。もし目の前にある汚れた機械がタービンなのだとしたら、自分は随分節穴になったもんだ、と。


 ——でもない話じゃないよな。


 サーバールームで調べた内容が嘘だとは思いたくない、何かの見落としがあるだろう、と千景は壁側に戻り、周囲を照らした。そして天井に向かって懐中電灯の灯りを向けた時、影ができたことに彼は違和感を覚えた。


 後退り、少し離れた場所から壁側を照らす。そしてその違和感は氷解した。


 「ぁあー。なるほど、ねぇー」


 浮かび上がってきたのは壁から突き出した大きな直方体状の部屋だ。反射する窓ガラスの真下には「安全第一」と打たれた看板が錆を纏っていた。その隣には「電力制御室」と銘打たれた看板が釘で固定されていた。


 なるほど、地下5階にそれはあった。だが、アクセスする手段が地下5階にあったわけではなかった。ただそれだけの話だ。


 「ふっざ……けんなよぉー」


 思わず出しそうになった大声をすんでのところで抑え、上目遣いで千景はその部屋を、電力制御室を睨みつける。目的の部屋が見つかったが、しかし全く喜べないことにやきもきしながら、千景はその部屋めがけて影槍を放った。

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