ロジックタワー
ロジックタワーの中はその外観が示す通り、円状の通路が最外縁にあり、次にエレベーターと階段、そしてワークルームという構造になっている。上層に行けば行くほど階層ごとの面積が狭まっていくようになっていて、最上階に至っては1LDKのマンションと大差はない。
千景達が飛び込んできた20階は職員用のエレベーターしか止まらない特殊階で、20階から23階にかけて伸びている巨大なサーバールームがある。ロジックタワーに集積されたあらゆるデータを管理するために無数のコンピューターが並列、積層配置されており、部屋に入ればモノリスにも似たコンピューターの柱を見上げることになる。
もっとも、床が抜けてさらに下に落ちてしまった千景と朱燈には彼らが降り立った階層のことなど大した話ではないのだが。
クソ、と悪態づきながら千景は起き上がる。彼よりも先に立ち上がっていた朱燈が天井に開いた穴を見上げていることに気づくと、その隣に立って同じように天井を見上げた。
二人が落ちた階層は天井の高さは2メートルもない。19階と20階の間に作られた、排水管や配電網が張り巡らされた空洞である。その空洞の中を千景は懐中電灯で照らすが、何かが動くような気配はない。実際、埃の匂いしかしないのだから、千景が警戒するようなブラットの侵入なんかはないのだろう。
それはそれとして、と天井に向き直り、手を伸ばす。鉄棒を用いた「バー・マッスルアップ」の要領で体を持ち上げ、20階に再び立った千景はほい、と下でまごついている朱燈に手を伸ばした。別に自分の助けがなくても朱燈であれば片手でよじ登れるだろう、とは思っていたが、体を思えばあまり無理もさせられない。うやうやしく伸ばされた手を取り、一跳びで床に降り立った朱燈は、ありがと、と短く謝意をこぼした。
無事に元の場所に戻ったことで改めて千景は自分達の立ち位置を確認する。自分達が今いる場所、装備品の確認、体の状態のチェックなどだ。
場所はすぐにわかった。デカデカと「20F」と壁に書かれていたから。なんなら自分達が降り立った場所がサーバールームという場所だということもすぐにわかった。その入り口にプレートが貼られていた。
同時に千景は足元に目を向けた。埃を被った床は老朽化が進んだせいか、ひどく脆い。しかし底が抜けるようなほどではなく、たまたま最初に自分が着地した場所が特別脆かったのだ、と結論づけた。影槍を突き刺し、そのせいで脆くなったとも考えられる。
埃を被っていることから、ここしばらく何者の往来もなかったことがわかる。よかったと胸を撫で下ろし安堵して、
装備はライフルをはじめ、腰のポーチに入っている医療品、足元の御殿場市で物色した色々な物が入っているビニール袋などだ。ちゃんとマルチウォッチが動作することも確認した。
ライフルの弾丸は残り7発。無駄にはできない。医療品もそろそろ底をついてきた。特に包帯やガーゼの消費が激しかった。
補充しておいてよかった、とビニール袋から真新しい包帯を取り出し、千景はそれをポーチの中に詰めていく。もちろん、規格が違うため、丸々ひとつは無理だが、朱燈のポーチと分ければ入れられないことはない。
ビニール袋の中を改めて見てみると、かなり色々なものを詰めたはずがもう中にあるのは缶詰セット、缶切り、懐中電灯、小型ナイフ、ライター、電池と大分減っていた。街を出る時に補充するかな、と千景は独りごちた。
最後に体調。ジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲ってブラットに噛まれた場所を千景は確認する。あらわになった傷口を見て、千景は顔をしかめ、朱燈は嗚咽を漏らした。
傷口は紫色になって膿んでいた。肌は引き延ばされた紙のように歪み、裂けた肌からは桃色の中身が見え、固まった血が泡状のかさぶたを作って、その周りに散っていた。
もとよりブラットは容易く人の頭蓋を砕く咬合力がある。いくら防刃ジャケットでその牙が防げても限界はあり、傷口を放っておけば感染症の温床になるのは必然だ。
幸いだったのは防刃ジャケット腰に噛まれたことだろう。もし直接噛まれていれば、よしんば腕を失わずともネズミ由来のウイルスに感染していたかもしれない。
早急に止血用のスプレーを用いて傷口を塞ぎ、固まったところで千景は包帯を巻いた。所詮は応急処置、傷口がきちんと塞がるまでの時間稼ぎでしかない。痛みも残るし、動かしていると妙な違和感がないこともない。それでも出血を気にしなくていいというのは幾分か気持ちを落ち着かせた。
「——朱燈、そっちの傷はどうだ?」
言われてそれまで沈黙していた朱燈はおもむろに右手を差し出した。手首から先のない見るも労しい有様に千景は顔色ひとつ変えず、この道程が始まってもう何度目になるかわからない包帯の取り替えを始めた。
切断されて何日も経っているからか、傷口からもう血がでるということはない。貼られたかさぶたはしっとりとしていて、それを崩さないように包帯を巻く千景は朱燈の脈拍などを確認した。
「息苦しいとか、寒いとかはないか?」
「んー?いやー、ないけど。なんか手つきがやらしいんだけど」
「我慢しろ。体温は、大丈夫か。さすが23世紀の医薬品」
「ちょっといきなり額触んないで」
「我慢しろ。顔色、脈、発汗、全部問題なし。力は入るか?」
当然、と朱燈は身を翻し、片手立ちをして見せる。大丈夫そうだな、と千景は頷いて立ち上がった。そしてそのままエレベーターに指を伸ばし、そのパネルに指をかざした。
しかし、反応は返ってこなかった。単純に電気が回っていないからだ。
「やっぱりエレベーターは動かないか」
「ねぇ。これからどうするわけ?」
後ろに立った朱燈の問いに千景は逡巡し、すぐには答えが出せなかった。千景自身、どうするかを決めあぐねていた。
今、二人がいる場所はロジックタワーの20階だ。千景自身、ここに通信設備があることは考えていたが、どこにあるかなんて知らない。衛星通信をしたいから、旧第四東京タワーの屋上に登る人間がいないように、通信塔は必ずどこかに通信設備はあるが、それがどこにあるかなんて一般人程度の知識しかない千景にはわからないことだ。
それこそエレベーターホールに階層案内でもあれば話は早かったが、ここは職員しか立ち入ることを許されない特殊階だ。そんなものはない。あるいは1階のロビーに行けばそれっぽい部屋がある階層がわかったかもしれない。
「つーか、エレベーターが使えないってことは階段だろ?疲れるくね?」
「ねぇーちーかーげー?」
「ぁあー。ちょっと黙っててくれる?今、考え中」
「なにそんなに考えてんのさ」
「いや、どこに通信設備があるかなって」
あるいは旧時代であればこんなことを気にする必要はなかった。いつでもどこでも誰とでも端末ひとつで通信できたのだから。
しかし時代は末世。サンクチュアリないしその周辺でなければ真っ当な通信は不可能である。どうするかな、と頭を悩ませる千景を朱燈は言葉でぶん殴った。
「ねぇーそれってそんなに悩むこと?」
「はぁ?そりゃそうだろ。だってどこにあるかわかんないと通信できないんだぞ?」
「だったら、検索すりゃいいじゃん」
「どこで?」
「そこで」
ん、と親指をサーバールームに朱燈は向ける。それを見て千景は呆れたようにため息を吐いた。確かに朱燈の言う通り、ここのデータをすべて収めているだろうサーバールームなら調べられるだろうが、ことはそう単純ではない。
「エレベーター動かないのにサーバールームの中のコンピューターが動いているわけないだろ。電気通ってないんだから」
「そんなの簡単じゃない。千景、そのビニール袋から電池貸して」
「ぇえ?はぁ?」
呆れながらも千景は言われた通り、電池を取り出した。それを受け取り朱燈は一人、サーバールームの中に入って行こうとした。慌てて千景はその後を追った。




