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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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Rat fever

 影槍を用いて千景は跳躍する。重力い逆らう上昇運動、影槍ただ一つを命綱にして自身の体を持ち上げて早々に彼はスラットと同じ高さに到達した。


 登ってきた千景がライフルを構えるそぶりを見せると、スラットは即座に体をオブジェの枠組みの中へ隠し、その斜線から退避した。未踏破領域のフォールンらしからぬ知性的な行動。なるほど、とそれを見て得心がいったように千景は頷いた。


 影槍を解き、オブジェの一角に着地する千景は活性剤入りのゼリーを1パック全て、飲み干した。これで残りのゼリーはなくなった。温存することもできるが、相手が「都落ち」だとわかればそうも言ってられなくなる。


 フォールンの生活圏は大きくくくれば、サンクチュアリの外だ。そこにも区分があり、サンクチュアリ周辺の既知領域に住むものと、滅多に人が訪れない未踏破領域や感知領域に住むものに分けられる。例え同じ種であっても、住む場所が違えば生態は変わるし、必然的に小賢しさや生き方も変わってくる。


 サンクチュアリ周辺のフォールンは総じてずる賢い。人間が住む領域を根城にしているからか、正面から襲うことはなく、奇襲したり、数の優位を作ったりする。オーガフェイスなどは最たる例で、建物を利用した罠を仕掛け、防衛軍の歩哨なんかを襲うことがよくある。彼らは銃に対して一定の理解があり、それが自分達に向けられることの意味も、その威力も把握している。


 対して未踏破領域や感知領域のフォールンの銃に対する警戒度はそれほどではない。銃を向けられてもほとんど警戒しないし、かなりの確率で当たってくる。三日前に千景達が遭遇したオーガフェイスなどがいい例で、隠れてもいない千景の狙撃銃を彼らはなんら警戒していなかった。サンクチュアリ周辺のオーガレイスであれば間違いなく、斜線から逃げようと回避行動をしただろう。


 それ加味すれば、今現在相対しているスラットは銃を警戒していた。このオブジェに登るまで、一度として銃を使っていないのに。


 不確定な要素を抜きに考えるのなら、それは何度となく銃を見てきたからだろう。そして銃を壁外の未踏破領域周辺で見ることはそう多くはない。必然、相対しているスラットはサンクチュアリ周辺から流れてきた個体だとわかる。


 ヴィーザルの傭兵の間ではそういったサンクチュアリ周辺出身の個体を「都落ち」と呼称する。サンクチュアリ周辺の環境にそぐわなかった、しかし賢しい個体群。ライフルを警戒するのはもちろん、彼らは影槍も知っている可能性が高い。その機能がどこまでのものかは知らなくとも自分達に致命傷を与える武器であるという認識くらいはしているはずだ。


 「厄介だなぁ」


 ただ銃を知っているのならまだ対応は可能だ。問題は銃の機能をスラットが知っているかどうかだ。弾数に限りがあるとか知っていれば、持久戦になる。それまで、影槍が保つかわからない。下手をすれば千景自身も朱燈と同じ赤い錠剤を飲む羽目になる。二人揃って免疫機能低下というのは今後の行軍を考えれば支障をきたす。


 「考えても始まらないか」


 ——ここは戦いながら考えよう。


 意を決して足場から空中に向かって千景は身を投げる。空中へ放り出された彼が上空に目を向けるとのっそりと顔を出したスラットが見えた。すかさずライフルを構えるそぶりを見せると、ひょっとオブジェの隙間に顔を隠してしまった。


 銃をよほど恐れている。その威力が自分にとって致命傷だとわかっていて、なおかつこの距離ならほぼ必中だと理解している獣の動きだ。


 行動は大胆に、しかし頭は冷静に千景は相手の動き、もといできることを確かめる。


 それでも真正面からスラットが隠れているオブジェの隙間には向かわない。正面に立った瞬間、そのままバクンと食われてしまうことがわかっているからだ。


 スラットもきっとそれはわかっている。だからオブジェの隙間から出てくるそぶりを見せない。オブジェの中にこもり、じれた自分が出てくるのを待っている、と推測する千景は仕方なくずっとぶら下げていたビニール袋から燃焼剤とライターを取り出した。


 23世紀の燃焼剤はよく燃える。ほんの数グラムにバーベキュー用の模造石炭を用意すれば継ぎ足しをすることなくバーベキューが続けられるほどだ。もしそんなものをまるまる1パック持ちいればどうなるか。悪い顔で笑いながら千景はスラットが引きこもっているオブジェの隙間、その直下に潜り込んだ。


 「うんしょっと」


 スラットの立てこもり&待ち伏せ作戦には致命的な弱点がある。それは隙間にこもっている間は外の様子を把握できないという点だ。頼みの聴覚と嗅覚は眼下でけたたましく鳴いているブラットの鳴き声と体臭、そしてスラット自体が施した媚薬効果のある芳香によって使い物にならず、事実上スラットが受け取る情報はすべてシャットアウトされていると言っていい。


 このあたりか、と千景は取り出した燃焼剤をぐちゅぐちゅぐと隙間の天井に塗りたくる。次いで彼がライターをその燃焼剤にかざすと勢いよく炎は青く輝き燃え出して、瞬く間にそれはオレンジ色の輝きを放って天井を燃やし始めた。それを見て、すぐさま千景はオブジェの隙間から脱出した。


 脱出した千景はすぐさま影槍を展開し、オブジェに突き刺した。ちょうどスラットが隠れているオブジェの隙間より数メートル下方、オブジェの構造体に張り付き、中の様子を伺った。


 オブジェの中を熱が伝う。煙は微量、ただ素足ならば耐えられない熱量がスラットの足元に伝わり、それにたまげたか、動転したか、キェーという悲鳴がオブジェの隙間からこだました。


 煙に巻かれて飛び出てきたスラットは瞳から涙を、鼻腔から鼻水をこぼし、奇声を上げる。全身の毛を逆立てて煙の中から現れたそのどうしようもなく混乱した状態を千景は見逃さなかった。


 ライフルを構え、その照準をスラットの左前足に千景は合わせた。スコープを覗く必要はない。距離にしてせいぜい4メートル。腰に据えたまま撃っても当たる距離だ。


 逡巡なく、引き金が引かれる。発砲の振動が銃口から銃身へ、そして銃床、グリップ、体全体に伝わるのと、千景の目の前でスラットの左前足が吹き飛んだのはほぼ同時だった。振動が左腕に伝わると鈍い痛みが走った。たまらず傷を庇う千景はしかし、その視線をスラットから外すことはなかった。


 音速をはるかに凌駕する弾速は弾道がわかっていなければ避けようがない。血飛沫が迸り、吹き飛ばされて空を舞うスラットの左前足は何度か回転し、ぼとんと眼下のブラット達の中へと落ちていった。


 眼下のスラット達のやかましく、不快な雑音に紛れて、スラットは絶叫する。必死に亡くなった左前足を探すその目は空を泳ぎ、眼下を泳ぎ、そして自分よりもやや下部で同じくこちらを凝視している千景を睨み返した。


 両者は数秒睨み合ったが、すぐにスラットは自重を支えきれなくなり、オブジェから落下した。落ちていくスラットはそのまま、ブラットの群れの中に消えていった。


 ——そしてすぐさまその亡骸にブラット達は群がった。


 ただし、死者を生者が悼む人間的な反応からではない。墜落し、その命が潰えたスラットにブラット達は牙を、爪を、歯を立てた。


 さながら肉の宴(サバト)。我先にとそれまでオブジェに群がっていたブラット達は気でも触れたかのようにスラットの体に群がり、肉を貪った。時に腕に、時に胴体に、時に顔面に、時に尻尾に、時に耳に、時に(はらわた)に、時に臀部に齧り付くその悍ましいまでの光景をオブジェの上から二人は唖然として見ていた。


 「つ。共食い!?」

 「ちょっと千景!?あれじゃまた」

 「いや、大丈夫だ。死肉だからな」


 死肉にF因子は宿らない。正確にはF.Dレベルが1を下回るだけなのだが、すでに絶命しただろうスラットをブラットが食っても何も起こらないことに変わりはない。ブラットの進化を危惧する朱燈の言葉はただの杞憂だ。


 むしろ千景が唖然としているのは眼下の酒池肉林と化している光景そのものだ。フォールンの生態の一部を垣間見、かつてなく込み上げてくる感情があった。


 「歓喜」と人はその感情を呼ぶ。


 凄まじい凄惨な光景だ。ただ腹が減ったから、ただそこにあったからという理由だけで群れのリーダーを喰らう。あるいは千景達自身が見ていなかっただけで、彼らが殺したブラットも同じように食べられていたのかもしれない。


 生きている間はひょっとしたら仲間意識のようなものがあるのかもしれないが、それが死者となればただの肉と化し、捕食の対象となる。おおよそ人間にはできない合理的で野蛮な生きるための生存戦略だ。


 「これが自然かぁ」


 たまらない光景に思わず笑みが溢れそうになるのを抑え、千景は落ち着き払って喉を鳴らす。そして取り繕うように、不快そうな顔を浮かべ、ロジックタワーを指差した。正確には割れた窓を指差した。人が入れそうな大きさの窓で一部が割れていた。全部が割れればなんとか中に入れそうだ。


 「あそこから入ろう。さすがに今、入り口に行くのは厳しいだろ?」

 「え?あ、うん」


 よし、と頷き千景はオブジェに突き刺していた影槍をロジックタワーへ伸ばした。距離はそれほどではない。遠心力を利用すれば届く距離だ。


 「ほ!!」


 オブジェから跳び立つと同時に千景は影槍をロジックタワーへ向ける。大きく弧を描きながらロジックタワーに近づく千景の矮躯は風に煽られ、しかしなんとかその表面に張り付いた。それでも影槍がなんとかロジックタワーに突き刺さり、それにぶら下がっているような状態ではあるが。


 影槍を動かし、千景は割れた窓に近づく。滑らかなロジックタワーの表面には他に掴めるものなどない。というか、何年も雨風にさらされたままで、仮にあったとしても掴んだ瞬間に折れてしまいそうなくらい、突起という突起は錆びていた。


 体を影槍で持ち上げ、その上に着地する。そして渾身の力で千景はジャンプする。ジャンプと同時に素早く影槍を引き抜き、より高い位置へ向かって走らせ、表面に突き刺した。一歩でも間違えば地上60メートル以上の高所から真っ逆さまになりかねない危ない芸当だ。しかし登攀の手段がこれ以外にないのだからやるしかない。


 ライフルにベルトが付いていてよかったとか思いながらなんとか窓の位置まで辿り着いた。再び影槍の上に立ち、危なっかしい体制のまま窓の中に千景は手を突っ込むと、窓を閉めている閂を探し始めた。だが、目当てのものはない。どうやら窓は窓でも開閉を考えていないタイプの窓らしい。


 舌打ちをし、千景は影槍で自分を持ち上げると、窓に向かってライフルの銃床を何度も叩きつけた。すでに割れていたせいもあってか、窓は勢いよく割れた。これがだめだったらいよいよ残り少ない弾丸を使う予定だっただけに安堵の息を千景はこぼした。


 「よし。これで」


 窓の中に入るとすぐに千景は身を屈め、左右の通路を見る。中にブラットなりがいればかなり危険な戦いになる。それを警戒しての行動だ。幸い、その予想は杞憂に終わり、視界の範囲に敵の姿はなかった。


 「よーし。おーい朱燈ー。入って大丈夫だぞ!!」


 ブンブンと窓から身を乗り出し千景は朱燈に手を振った。オブジェの位置とロジックタワー、朱燈がいる位置からロジックタワーまでは大体20メートルくらいがある。彼女が目一杯影槍を伸ばしても届かない距離だ。かといって細い朱燈の影槍では千景がやったように影槍の上に立つといった芸当はできない。


 無論、それは千景もわかっている。だから、千景は上を指さし、高所から滑空してこい、と指示した。一歩間違えば真っ逆さまだが、入り口にブラットが群がっている今となってはそれくらいしかロジックタワーに入る手段はない。


 遠く、朱燈はため息を吐くようなそぶりを見せながら、オブジェを登っていく。片腕のあの状態では影槍の補助ありきでもきっと難しいだろう。


 オブジェから朱燈は何の予兆もなく跳びたった。いつも通りの無気力めいた顔のまま、至って冷静に。


 影槍が伸び、それが千景が顔を出している窓よりも数メートル下に突き刺さる。直後、釣り糸を巻き取るようにして朱燈はズドンとロジックタワーに着地した。無事を知らせるためか、あかりはブイ、と残った左手でVサインを作ってみせた。


 「よーし。今引き上げるからな」


 「早くしてよ?」

 「へいへい」


 そうは言っても千景の手元にはロープなんてない。だから彼はやはり影槍を足元に突き刺し、窓から身を乗り出して、精一杯手を伸ばして眼下の朱燈にも手を伸ばすように訴えた。その意図を汲んで朱燈も手を伸ばし、両者は互いの手を握った。


 ゆっくりと影槍に支えられながら千景は朱燈を持ち上げていく。朱燈自身も二本の細い影槍でバランスを取りながら、万が一命綱を張り続けることを忘れない。


 ——それは幸いだった。


 あと少しで朱燈が窓枠に手を伸ばそうという時だ。不意に千景の体が揺れた。まるで支えを失ったかのようにガクンと前のめりになり、重心がずれ、そのまま彼の体が窓から放り出された。


 「はぁ!?」

 「クソ、床が」


 向き直ることはしない。取れてしまった影槍を今度は天井に千景は突き刺した。そしてそのまま影槍の膂力だけを用いて朱燈を持ち上げると、窓の中に投げ入れた。その時点で、相応の負荷を受けていたのか槍が折れた。


 ガクンと再び無重力状態を味わい、千景は舌打ちをこぼしながら影槍を収納する。これ以上使用していれば本体の瞬間加熱基質がなくなってしまうと判断したからだ。


 フリーになった両手を窓枠に伸ばし、それを掴む。奇しくも左手が窓枠を掴み、鋭く尖ったガラスの破片が深々と突き刺さった。


 「ぐぅ、あ」


 たまらず痛みから悲鳴をこぼす。負傷と言ってもちょっと歯を突き立てられた程度、皮が数枚剥がれたにすぎない。防塵ジャケットの繊維をただのブラットが貫通できるわけもない。しかし、引き伸ばされた繊維は容易く肌に達して布越しにでも歯はその下にある肌を削ぐことはできる。


 加えて、手のひらを包むものは何もない。ガラスの破片は容易く刺さるし、その痛みは悲鳴を上げさせるに十分だろう。なんとか右半身も持ち上げ、両手で窓枠を掴む千景は腹筋と両手の筋力だけで体を持ち上げようとした。


 しかし力が入らない。影槍の長時間の利用、左手の負傷が原因であることは明々白々だ。まったく持ち上がらない自分の筋力のなさに辟易しながら、思わず足元に目線をやれば白く硬そうな大地が見えた。落ちればぐちゃりと体は潰れる。ごくりと唾を飲み、自分の末路を想像する千景が走馬灯を流し出したその時、窓の中から伸びてきた左手が千景の右手首を握り、強引に彼を窓の中に引き込んだ。


 不思議と落下時に感じる痛みはなかった。代わりに柔らかい柔肌と鼻腔を引き裂くような刺激臭が彼を出迎えた。


 「く、臭い」

 「最っ底」


 「あぁ、朱燈か」


 仰向けになって倒れる朱燈とそんな彼女の腹部にうつ伏せになって倒れる千景。労う千景はなかなか彼女の腹部から起きあがろうとはせず、だからか、朱燈は苛立たしげに彼を蹴っ飛ばして無理矢理どかした。


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