ハンティング
殺す。
そう決めた瞬間、不思議とそれまでの体たらくが嘘であるかのように体が動いた。立ち上る全能感に心が踊る。まるで空気のように体は軽く、羽が生えたかのような浮遊感が体を伝う。
——ああ、なんて気持ちいのだろうか。
枝葉から走り出すと同時に千景は影槍を最長まで伸ばした。全長15メートル、背骨を思わせる鋼尾がしなり、ゴアーに向かって振り下ろされる。
鋭く尖った鋼槍は容易くゴアーの肉に突き刺さり、痛痒による絶叫がこだます。間髪入れずに千景は影槍を引き抜き、その傷口目掛けて引き金を引いた。
絶叫の中、パキっと何かが割れる音が響く。それはゴアーの背骨にヒビが入った合図だ。即座に千景は地面に走り、足の間に滑り込む。そしていざ見えたゴアーの腹部に向かってライフルを垂直に構えた。
四足動物はフォールン化した時、総じて腹部は弱くなりがちになる。元々庇う必要もない部位だし、足元に回り込まれることもないからだ。上位種であってもそれは変わらず、平時は通用しない対物ライフルも腹部であれば容易く表皮を貫き、内臓をぐちゃぐちゃに引き裂くことが可能になる。
しかしそんな戦闘は常の狙撃手の戦い方ではない。
狙撃手の役割は遠距離から敵の排除だ。敵が気付いていないはるか遠距離からその頭蓋を貫き、味方をサポートする戦場の暗殺者、決して敵の前に姿を晒すような戦い方はしないのが最高の狙撃手だ。
フォールン大戦が始まり、中位種以上には狙撃銃が通用しにくくなり、上位種などにはほぼ無意味となると狙撃手は激減した。誰も彼もが突撃バカに転向し、もっと通用するかもわからない軽機関銃を両手に携え、突撃していくようになった。
残った狙撃手も戦い方は大きく変わった。有効射程距離が短くなり、より敵と近くなったことで銃を用いた近接格闘が得意となった。狙撃手でありながら銃手のような戦い方を強要された。
千景はそんな新時代の狙撃手だ。かつて最強と謳われた狙撃手、その一番弟子だ。たかがゴアー一体を倒すことは造作もない。
引き金を引くと同時に血飛沫が彼の目の前でほとばしる。生暖かい血、湯気が立ち、粘り気もある煮えたぎった血の湯。しかしそれが千景に覆い被さるよりも早く、彼の体は勢いよくゴアーの足の間をまっすぐすり抜け、正面の巨木の根本に着地した。
その背後ではゴアーがプルプルと足を震わせながら、立っていようともがいている。しかしその努力はむなしく、前後の支えを失ったゴアーは力なく大地に伏した。それでも未だに憎悪の眼差しを千景に向けるのはきっと、彼が我が子を殺した張本人だと身を持って理解したからだろう。その銃、その匂いに心当たりがあったのかもしれない。
「降りてきていいぞー」
樹上に声をかけるや否や朱燈が地面に降り立ち、振り返ってゴアーを見つめた。向けられた憎悪の眼差しを不愉快に思ったのか、彼女は即座に影槍を操り、残った眼球も潰し、次いで鼻を寸断した。
ひどい光景だが、的確ではある。目を失っても嗅覚で追ってこられてはたまったものではない。いい判断だ、と感心しながら千景はライフルをゴアーの眉間にできた傷口へと向けた。
引き金を引く。弾丸が発射され、今度は確実に頭蓋を砕き、バタバタさせていた前足もその時点で力無く停止した。マルチウォッチのF.Dレベル計測機能をオンにしたままフォールンに近づき、絶命したかを確認し、ようやく彼はふぅと息をついた。
「ねぇ、千景」
「話は後だ。フォールンが寄ってくる」
言うが早いか千景は影槍を展開し樹上へ上昇した。朱燈もそれにならって樹上へ登った。しばらく移動し、ほどよおい大きさの樹木に着地したところでようやく二人は休息のため、足を止めた。
「ほい、水。よかったな。沢があって」
「ん?あーそーだね」
千景に手渡された水を受け取り、朱燈はそれに口をつける。大丈夫なのかとかはどうでもいい。とにかく水が飲みたかった。
「いい飲みっぷりだな」
「茶化すな。てか、さっき千景はなにやったわけ?」
「何やったと思う?」
「んー。背骨を砕いた?」
「はい、正解」
自分の水を飲みながら満足げに千景は頷いた。対してクイズに正解しても朱燈は歓喜の声をあげたりはしない。ただ少し不満げに彼女は鼻息を荒くして唸り声をあげた。
千景がやったことは言葉にしてしまえばとてもシンプルだ。最初の影槍の一撃でゴアーの背中に傷を入れ、その直後に剥き出しになった背骨に向かって初弾を命中させる。ヒビが入ったことを確認して後、影槍を地面に突き刺して急降下、スライディングの要領でゴアーのふところに潜り込んでからの腹部への一撃。
この三連撃によって完全にゴアーの背骨は砕かれ、自重を支えられなくなったゴアーはぐしゃりと地面に倒れ伏した。屋台骨が裂けた家屋が建っていられないように大地に潰れたのだ。
「いや、まぁそいつはわかるんだけどさ。なんていうか、よくできるよね」
「いや、そんなに難しくはないだろ」
「うーわ出た。自分にはできたぞ族。そゆー無自覚なディスりが一とのプライド傷つけるの!」
わけがわからないと千景は首を傾げた。要は自分が狙った場所がどこだったかを憶えていればいいのだ。その垂直線上にあるだろう部位目掛けて引き金を引くだけでいい。タイミングがシビア、というなら練習すればいい。
——話を戻そう。閑話休題。
「今回に限ればゴアーの体がボロボロだったから、通りもよかった。肉というか表皮が脆すぎた」
実際、同じ場所に3回攻撃してようやく骨を断つことができたわけだからその強度は想像を絶するものだったことは言うまでもない。これに普段の皮の厚さが加わっていれば、おそらく銃弾が足りなかった、と空になった二つ目の弾倉をライフルの底部から取り外し、苦笑しながら最後の弾倉を装着した。
「だいぶ、使ったんだ」
「そもそも弾数自体があんまり多くないからな」
千景のライフルAMSR70Bの弾倉の装弾数は8発だ。崖上でのネメアのプライドとの闘い、オーガフェイスの群れとの戦闘、カニ型フォールンとの戦闘、そして今回のゴアーとの戦闘を含めてここまでで二つの弾倉を使い切った。残り8発、現実的な数字を叩きつけられ朱燈は緊張した面持ちで口元を結んだ。
「こっから先は戦闘は可能な限り回避だ」
「今までと変わらずってこと?」
そうとも言う、と軽い調子で千景は首肯した。
「都市についたら、まっすぐロジックタワーを目指す。何が潜んでるかわからないからな」
「ん、了解」
「じゃぁ。行こう」
再び二人は重い腰を上げ、進み出した。その双眸にかつての栄華を写して。
*
千景の戦闘能力について。
千景の基本職は狙撃手です。今章ではインファイター的な戦闘が目立ちますが、彼の本領は狙撃であり、こんな戦闘を普段からしているわけではありません。ではインファイターとして動いた場合、彼がどれくらいの強さなのかと言えば、状況次第では上位種のフォールンを複数相手どれる程度、となります。
基本的に彼の戦闘力は対物狙撃銃が通用するか否かに左右され、例えば獲物が大きすぎるとそもそも対物ライフルは意味がありませんし、上位種以上は仮面が硬すぎてライフルの弾丸は弾かれます。そのため、ライフルで仕留めようと思えば、今回のように懐に潜り込むしか方法はありません。
こういった理由から安定的に千景が討伐できるのは中位種までで、それ以上は状況次第、武器次第となります。極端な話、核ミサイルを発射するスイッチがあれば、赤ちゃんでもバハムートなどの最上位種のフォールンを倒せてしまうわけですから、普段から愛用している武器に限って、とここでは言わせていただきます。




