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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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ボア・ファイト

 ゴアー。


 猪の外見をしている中位種のフォールンで、オスならば全長6メートル、メスでも5メートルになる巨躯の持ち主だ。彼らの仮面は人間で例えるなら目元を隠すタイプの、いわゆるドミノマスクで鼻から眼球にかけて形成され、上部には角を彷彿とさせる飾りがある。


 鼻先から眼球にかけてのスペースには左右二対の眼球に似た模様があり、それは筋肉の動きによって微細に動くため、正面から見れば六目のフォールンに見えなくもない。仮面に付いている角も相まって、悪魔の化身のようにも見える。


 頭部の外観に比べれば体はそれほど元となった猪とは大差なく、多少巨大化してはいるが、取り立てて注目するようなものはない。F器官もなく、ありきたりなパワー型の中位種として認知されている。


 ——それが千景を含めたゴアーというフォールンを知るものの共通認識だ。戦えば突進しまくるせいで厄介だが、狩ることはできなくもない雑魚、お肉おいしー、子供だけ残して親は死ね肉硬くって食えないんだから、という程度の価値しかない。


 だが目の前のゴアーは違う。少なくとも千景の知るゴアーとはかけ離れた外見をしていた。


 まず目立って違うのは頭部だ。顔を覆う仮面は大型化しており、ドミノマスクと呼ぶにはあまりにも表面積が大きすぎる。より顕著に大型化しているのは左側だ。左目を押しつぶし、膨らみ、仮面を構成する白色の物質が幾重にも松の実のように折り重なっている。左右の整合性はそこにはない。仮面が形成する過程で片方だけが過剰に変形していた。


 白色の物質が覆う場所は頭部に収まらず、左足にまで渡っていた。左大腿部をまるで鎧のように覆い、よく見れば一部は脛部まで伸びていた。


 体の変形もより顕著と言える。体の重心が大きく前方に寄っていて、前足が後ろ足に比べて大型化していた。ゴリラのようと言えば察しはつきやすいかもしれない。骨格が大きく捻じ曲がり、その体躯の変化を如実に表しているのがゴアーの体に走っている白い曲線だ。本来ならば緩やかなカーブを描いているはずの白線が、まるでレーシングコースかのような緩急の際どいカーブを描いている。急激な変化の結果だ。


 総じて、そのあり方はまともではなかった。オスのゴアーの全高が大体3メートル程度なのに対して眼前のゴアーは4メートル以上はあった。


 下位のフォールンがより上位の個体になる進化ではない。特定のフォールンに起こる覇種化でもない。体が不細工な変形を遂げ、おおよそ生物的な要素を感じない不合理な肉体の変容。


 「「異形化……」」


 その状態について千景と朱燈は知っていた。同時にゴアーに起こっている現象を二人は口にする。


 異形化と呼ばれるその現象は過剰にF因子を取り込んだフォールンに起こる現象だ。体が張り裂けんばかりに肥大化し、仮面がきしみを上げるほどに変形し、肉体はいっそう禍々しくなっていく。体の修復はおざなりになり、フォールンのフォールンたる要素である仮面がより前面に押し出されていき、それは正常な進化とは程遠い外見へと個体を変容させる。


 異形化が起こり得るパターンは様々あるが、多くの場合は深手を負ったフォールンが傷を治そうと大量にF因子を摂取した際に起こる。回復のために使われるF因子が暴走し、進化の方向へ向かおうとするが、それに肉体が追従できず、体は傷の程度を小さくしようと大きくなり、傷の隙間から白い物質が発生し、仮初の治癒を行う。


 だが、過剰な細胞分裂は結果として個体の寿命を縮め、脳内に満ちた快楽物質は正常な判断をさせないまま、暴走機関車のごとく野山山林都市部に河川と手当たり次第に破壊して回る暴威を生む。闘争本能の赴くまま、ただ殺戮と破壊しかもたらさない怪物を誕生させるのだ。


 「まずいな。朱燈、影槍は使えるか?」

 「多分。いざって時は」


 「ああ。お前を背負ってでも逃げるさ」


 そういうことじゃ、と朱燈が噛み付くとほぼ同時にダンと大地を蹴る音が響いた。


 水飛沫を上げてゴアーが走り出した。水の抵抗をものともせず進み続けるゴアーに対して千景は朱燈を乗せたまま頭上へ逃げる。


 樹木の上に逃げた千景が枝の上に着地し、様子を伺おうと身を乗り出した。河川を渡り終えたゴアーは猛然と走り続け、その巨躯を千景達が立っている樹木にぶつけた。


 ダァンという轟音と共に幹が軋みをあげて倒れ出す。舌打ちをこぼし、千景は朱燈を抱えたまま隣の樹木へと移り、そこで彼女を下ろした。背中から下ろされた朱燈はしゃなりと座り込み、細い影槍を形成する。弱々しくとても人一人を運べないような細さだ。


 「ゼリーあるか?」

 「ちょっと待って」


 慣れない手つきで朱燈は腰のポーチへ手を伸ばす。取り出されたゼリー飲料を空になるまで飲み干し、ようやく影槍は活力を取り戻した。


 「よし走るぞ」


 朱燈が立ち上がると同時に千景は影槍を遠くの幹に突き刺し、移動を始めた。影槍を用いた空中機動、樹木に先端を突き刺し、クルクルとターザンさながらに軽やかに走っていく千景の後をやや辿々しく朱燈が追う。熱に浮かされているからか、その影槍の切れは平時と比べれば児戯に等しい。


 ましてそのすぐ背後から怒り狂ったゴアーが迫っているのだから千景も気が気ではなかった。反転し、ライフルを構え、ゴアーの眉間を彼は狙い撃つ。


 ゴアーは面白いことに眉間を仮面で覆ってはいない。あくまでゴアーの仮面が覆っているのは目の周辺と鼻部のみだ。それは異形化しても変わらない。


 放たれた弾丸がゴアーの眉間に直撃し、動きを止める。そんな未来を千景は予想した。


 しかし放たれた弾丸はまるで小石かのように弾かれた。血飛沫は舞った。肉は絶った。その内側にあった骨が弾丸が脳に到達するのを防いだのだ。


 そもそも肉がえぐれて止まらない生物というのもなかなかに恐ろしいが。


 「なんつうぅ硬さ!」

 「アホやってないで足狙えばいいじゃん!」

 「それもそうか」


 再び引き金を引く。移動中の狙撃は決して当たるものではないが、的が大きいなら話は別だ。よしんば足に当たらずとも体のどこかに当たればいい。


 引き金を引くと同時にオレンジ色のマズルフラッシュの中から弾丸が回転しながら飛翔し、ゴアーの前足の付け根に吸い込まれた。しかしそこには大腿部を覆う白い物質があった。弾かれた弾丸はそのままあらぬ方向へと飛んでいってしまった。


 通常のゴアーの仮面の硬度なら弾くことはできない。砕くまではいかないまでも、弾丸がめり込むくらいはする。つまり、眼前のゴアーはただ外見の変化だけではなく、その内から外に至るまで、もはや別物と考えていい。


 空恐ろしいな、と千景は苦笑する。


 一体何があのゴアーをそこまで変えたのかはわからない。よほどのことがあったのは想像に難くはないが、それにしたって恐ろしいまでの変わりようだ。


 「——ていうか、なんで俺らを狙うんだ?」

 「はぁ?ゴアーもフォールンでしょ、そりゃ人間を襲うんじゃない?」


 「あーいやそうじゃなくてだな」


 振り返り、引き離したことを確認した千景はとある巨木の上で止まった。そして枝葉の間に潜むように朱燈に指示を出し、眼下を睨んだ。


 「ゴアーが異形化してるから気性は荒くなるってのはわかるんだけどさ。なーんで俺達をこうもしつこく追ってくるんだろ」


 数秒と経たずにゴアーは二人が潜んでいる巨木の真下に現れた。道中、別の巨木や巨岩にぶつかったからか、ダラダラと生々しい傷痕が体の至る所に刻まれ、突き刺さった木片が再生の煽りを受けて体に癒着し、より一層禍々しい、もはや生物と呼ぶのを憚るくらいにはひどい見た目になっていた。


 そんな変わり果てた外観になってもゴアーは相変わらず鼻をふごふごと動かして二人の匂いを探っている。恐ろしいまでの執念に、思わず千景は空笑いをこぼした。


 「見ろよ。やっぱり俺らを追ってやがる。ていうか、多分だけど俺らを狙ってるんじゃないか?」

 「え?なんで?」


 「なんでだろ。心当たりはないな」


 こちら(人間サイド)からあちら(フォールンサイド)にされたことならいくらでも思い至るが、あちらからこちらへとなると思い当たる節はない。そもそもゴアー個人からの恨みなんて買った覚えがない。


 「牙がないから、メス?くどいた?」

 「くどいて手を上げるのはカマキリぐらいなもんだろ。それにしてもふーん。メスか」


 言われてみれば、と千景は自分達を追っているゴアーに牙がないことに思い至る。より正確には牙を模した部位が仮面にないことに気がついた。


 フォールンには牙がない。犬歯はあるが、それも人間の持っているものを巨大化させたような外観で、それまで元となった生物が持っていた牙は仮面に反映される。ゴアーもまさにその通りで、オスであればチンガードに似た部位が顎の下に仮面として形成され、そこに太い牙が生えている。


 「メス、メスねぇ。いやーやっぱりなんの覚えもないな。というか、ゴアー自体、一昨日出会したのと食っちまったやつ以外、「あ」」


 ある結論に思い至り、二人は顔を見合わせ、互いを指差した。なんなら千景はその日の夜に樹林の中にこだました悲しみの雄叫びを思い出した。


 「ひょっとしてさー、あのゴアーってさー」

 「ひょっとしなくても多分そうでしょ。あたしらが美味しく食っちゃったゴアーのさー」


 「母親」「お母さん」


 うわーと二人はうなだれる。そして再度、二人を探し続けるゴアーを見下ろした。


 もし眼下の個体を二人の胃の中に入ってしまったゴアーの母親と考えるなら、なぜ執拗に追ってきたのかも説明がつく。ある種のゾウやカラスは自分達を傷つけた人間の顔を忘れない、とも言う。それに準えるならさしずめ、ゴアーは自分の子供の匂いを漂わせている対象をここまでずっと追ってきたのだろう。獣の匂い、それも獣脂や血肉の匂いともなれば強烈だ。多少の汗ではごまかせないほどに。


 最初の邂逅もおそらく偶然ではない。千景の行った偽造工作によって方々振り回されながら二人の前に現れたのだ。そしてその場でオーガレイスとその部下と闘い、傷つき、異形に成り果てた。


 「うーん。川に入れば匂いって落ちる?」

 「雨の中でも落ちなかった匂いが水浴びくらいで落ちるかよ。ここは、ぉおお!!」


 刹那、二人が潜んでいた巨木が揺れ、メリメリと音を立てて(たお)れ始めた。たまらず、近場の樹木にパルクールの要領で二人は逃げるが、すぐに倒木を粉砕して現れたゴアーの突進がその樹木に走った。


 倒れる樹木から飛び立ち、二人は天空へ向かって吠えるゴアーを睥睨する。そんな中、枝の上に膝をつき、息を荒げながら朱燈は千景にどうするかを聞いた。


 「食べられてあげる?」

 「いやだよ、そんなの。なんであんな化け物の腹の中に入んなきゃいけないのさ」


 「そーね。安心したわ。じゃぁどうする?」


 わかりきったことだとばかりに千景は鼻で笑う。


 「殺そう。俺達の平穏のために」


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