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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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静寂の園

 道沿いの駐車場を出発し、しばらく歩くと二人は盛大にため息を吐いた。進行方向にあるはずの道路が土砂崩れで潰れていたからだ。


 土砂の山を登って乗り越えられないこともなかったが人一人を、つまり朱燈を背負ったままそれをやるのは厳しいと判断し、千景は視線を山麓に見える都市へ向けた。また山道か、と背中から朱燈がぼやくが、千景はそれに反論することはなく、黙ったままガードレールを乗り越えて山道を歩き始めた。


 斜面は比較的緩やかで、雨が上がって二日も経っているからか、土も固くぬかるんではいない。気をつけて降りていれば滑ることはないだろう。斜めに右へ左へと滑落を警戒しながら降りていく千景の後ろで、ふと何を思ったか朱燈が彼に声をかけた。


 「ねぇ千景」

 「なんだよ」


 「無事に、さ。サンクチュアリにたどり着いたら千景は何かしたいことある?」


 思わぬ問いに千景は目を丸くした。朱燈のようなと言っては失礼かもしれないが、そういった温かみのある話題とは無縁だと思っていた彼女がこんな話を切り出すというのは予想外だった。洞穴での問いと言い、なんだって今、そんな話を切り出すのか、と千景は首をかしげ、そしてある結論に至った。


 なるほど、心配しているのか。


 自分のメンタルを気遣っている。山道を自力で突破し、崖の上を走る道路にまでたどり着いた強靭なメンタルを持つ朱燈ならではの気遣いだ。


 ひょっとしたら、自身がお荷物になっていることへの負い目もあるのかもしれない。むしろこれまでの反応から、右手を失ったことを誰よりも気にしているのは朱燈だ。サンクチュアリに帰還できたとしても再生治療や義手の装着ができる保証はないのだから。


 むしろ彼女の方が自暴自棄になり、拳銃で頭を撃ち抜くくらいはしてもおかしくはない。それを不屈の精神で乗り越え、今なお熱に浮かされているのにあまつさえ他人を気遣う心の余裕さえ見せる。敵わないな、と見られていないことをいいことに千景は普段は滅多に浮かべない暗い微笑で口元を歪ませた。


 「——そうだな。まずは妹に会いにいくかな」

 「それってあんたが戦う理由の?」


 「そうだな。けど会えるかわかんないんだよな」

 「面会謝絶的な?」


 「よくそんな難しい言葉知ってんな」

 「首の骨折ろうか?」


 不意に胸に回された朱燈の両腕に力が入るのを感じ、慌てて千景は謝罪する。いくら片腕を失っていても、朱燈の膂力なら人間の首をへし折るくらいは造作もない。よろしい、と彼女が力を緩めた瞬間、ふぅと千景はため息を吐いた。


 「実際、まさに朱燈の言った通りでさ。そんなに会えないんだよね。年に一回あるかないかってレベル」

 「そんなに重い病気なんだ」


 「治療法が確立されてないからな。何が引き金になって病状が悪化するかわかんないし。会うつったって、ガラス越しだからな」


 「なにそれ、きつ」

 「一応、病院の方から月一で監視カメラ越しの映像とかは送られてくるけどな。それくらいしか接点ないもん」


 辟易しながら千景は今度は周りにも聞こえるくらい大きな声でため息を吐いた。対して朱燈はきょとんと目を丸くして、ふーんと興味がなさそうに返した。


 「逆に朱燈はないの?行きたいとことか、やりたいこと」


 聞き返す千景に朱燈は「休暇」と即答する。それを聞いて千景は「休暇かー」と苦笑いした。


 千景と朱燈、二人の優秀な傭兵が属する「ヴィーザル」という組織は決してホワイトな企業ではない。福利厚生に力を入れていますなんて嘘っぱちもいいところで、連日勤務や時間外労働は当たり前、週休二日や振替休日なんてものは存在しない。


 休暇と呼べるのは実質的に非番の日くらいなものだろう。それすらもお呼びが抱えれば、すぐにヴィーザルタワーに直行し、武器を持って現場に急行だ。時代を思えばそれは当たり前なのかもしれないが、高級取りの代償はやはり大きい。


 そんなヴィーザル隊員にもまとまった休暇を得る機会がある。負傷した時だ。さすがに傭兵組織を名乗るだけあって、半端な兵士は現場に出せない、と判断するだけの脳みそはヴィーザルの福利厚生課にもあったわけだ。しかしそれはあくまで軽い負傷とかの話だ。重傷の場合は話が違ってくる。


 「だから朱燈の場合は最悪」

 「わかってるって。負傷からの解雇(クビ)なんて冗談じゃないってことくらい」


 「あんまりこういう話をするべきじゃないのはわかってるけどさ、朱燈の傷は、その。まーなんだ。だいぶラッキーだったと思う」


 「あたしが片腕切られてラッキーだって?」


 そーじゃねーよ、と千景は即答する。もしそんなことを言う奴がいたら両手両足しばって、オーガフェイスの群れの中に放り投げてやる。もちろん、ケチャップとマスタードをたっぷりと塗って。


 「断面の話だよ。切断面が鮮やかだったから、多分そこまで神経や細胞に傷は入ってない。俺は専門家じゃないから、詳しいことまではわからんけど、十分治療できる程度の傷だよ」


 「ふーん。まーそれも無事にサンクチュアリに帰れたら、だけどね」


 おっしゃる通り、と千景は軽く頷いた。


 その手段を得るために千景達はロジックタワーがある山麓の街を目指している。ただ山から降りるだけの道のりだが、その山が歩きにくくてしようがないのだから、道のりは険しいと言わざるを得ない。


 歩けども歩けどもいっこうに進んでいる気がしない。斜面を抜け、やっとひらけた場所に出たかと思えば、そこは森の中にできたちょっとした更地ですぐに次の斜面が顔を出した。窪地に似たそれを乗り越え、二人はさらに前へと進んでいく。


 その都度挟まれるのは他愛のない会話だ。これまで起きたことの報告会とも言う。


 「へーじゃぁバカみたいにでっかいフォールンをぶっ倒したり、土砂崩れから鬼ごっこしたりしたんだ」


 例のカニ型フォールンの話を聞き、朱燈は瞳を輝かせた。自分も戦ってみたいと思ったのだろう、と千景は解釈し、話を続けた。


 「ぁあ。それでそのバカでかいやつの正体がさ、カニだったんだよ」

 「カニねー。陸地にカニっているんだ」


 「んー。一応いるにはいるらしいけど、基本は下流付近だよなぁ。もしくは海」


 話をしている間に二人は大きな沢の前に出た。キャンプ場とかが近くにありそうな浅い川だ。川幅は10メートルくらいで、対岸には緑の深い森が見え、陽光をまるで通さず暗闇が支配していた。何か得体の知れない気配をひしひしと感じ取り、千景はすぐにその森から目を背けた。


 河川に沿って千景は歩き出す。前を向けば下流の方角にロジックタワーのある街が見えた。その道中、二人はまた他愛のない会話を続けた。無論、フォールンを警戒しながら。


 「そういえば朱燈は俺が気絶した後どうやってあの崖の上の道路にまでたどり着いたんだ?」


 人一人抱えての山中行軍とか大変だっただろ、と千景は彼女の頑張りを褒め称える。暗闇の森を抜け、ちゃんと正規ルートに戻れるだけで大したものだ。その道中、進行方向を違えたのは些事にすぎない。


 「あたしは、ほんとに。いや、なにやってんたんだろ」

 「どーゆーこと?」

 「いや。うん。実はさ」


 朱燈はボソボソと自分の身に起こった出来事を話し出す。そのどれもが千景にとっても驚きの連続で思わず足を止めて振り返った。


 「ルナユスルに遭遇した?それから、謎の猫型フォールン?」

 「あと、蝶々みたいなフォールンもね」


 「へぇ。そいつはなんというか。すごい体験をしたんだな」

 「ほんと、ひどい体験だったわ」


 よほど精神的に疲れたのか、朱燈ははぁと大きな吐息をこぼす。それがうなじをくすぐり、言い表せないムカムカと感じながら、千景は話を続けた。


 「ルナユスルに出会してよく逃げられたな」

 「猫型のフォールンとなんか、その。睨み合って、そんでどっかに」

 「行っちまった、と?」


 そう、と朱燈は首肯する。そして今度は彼女が千景に質問した。あのフォールンはなんだったんだ、と。朱燈の問いを飲み込み、千景は彼女の疑問に答えた。


 「多分そいつは『キャットシー』だ。フォールンの上位種だ」

 「上位……。ふーん。なんかそいつさ」


 「ああ、変なフォールンだったろ?」

 「なに、知ってるの?」


 当然だろ、と千景は答える。


 「そりゃぁな。有名な話、キャットシーが人間を襲ったことは一度だってない。まぁ、こっちから手出しをしない限りはな」


 フォールンにとって人間は捕食の対象だ。腹が膨れていれば襲うことはないが、それでも遊び感覚で殺すくらいには殺意を向ける対象ではある。そのフォールンの中で、積極的に人間を攻撃しないキャットシーの存在は異端中の異端だ。


 最上位種のフォールンでもそんな理性的を通り越して、生物の本能に抗うかのような行動は見せない。猫がネズミを見つけたら鬼の形相で捕まえるように、どんなフォールンでも人を襲い、食うというのになぜかキャットシーだけはどんな状況下でも人を襲おうとはしない。まさしく、謎のフォールンだ。


 「なーにそれ。そんなフォールンいるの?」

 「ああ。実際、襲われなかったんだろ」

 「それどころか背中に乗せられて崖の上に連れて行ってもらった。すっごく変なフォールンだった」


 「なにそれ羨まけしからんな。——まぁとにかくそういうことだ。そういう珍しいフォールンなんだよ、キャットシーはさ」


 そんな会話を繰り広げながら二人が沢を下っていると、前方に黄緑色の物体が見えた。とっさに千景はライフルに手を伸ばした。苔むした岩と言うにはどうにも光沢がおかしいし、何より遠目にもわかるほどにきめ細やかな毛が見えた。


 近づくとその正体がわかった。オーガフェイスだ。ただし、水面に顔を沈めたまま動くそぶりを見せなかった。


 オーガフェイスが単独行動をすることはない。偵察の場合を除き、必ず集団行動をする生き物だからだ。しかしどれだけ周りに目を向けてもオーガフェイスの気配を千景は感じなかった。それどころか辺り一帯から生物の気配を感じなかった。


 いっそうそれを不気味に感じながら千景が木々の隙間を注視していると、ねぇ、と朱燈が彼の肩を叩き、オーガフェイスを指差した。なんだ、と苛立ち混じりに彼女が指差したものを千景は見る。直後、彼は片眉を上げて瞠目した。


 眼前、オーガフェイスのけむくじゃらの体毛の中に小さな生物がいた。もぞもぞと蠢くそれは千景達の視線に気づくと首をもたげて彼らを睥睨する。


 大きさは30センチにも満たない。巻貝のような白色の容れ物の中からギョロリとたった一つの眼球を覗かせ、わさわさと眼球を覆う桃色の肉と丘疹に似たつぶつぶが動いた。睥睨するその瞳の少し下に目を向けると、縦向きに生えた歯のようなものが見え、それが上下に小刻みに動くと合間に挟まった血肉が粒子となって水面にあがってきた。


 白色の容れ物には一筋の切れ目があり、その切れ目からは眼球を覆う表皮と同じ桃色の肉が見えた。ただしこちらに丘疹はなかった。


 そんな外見のフォールンが五匹、水面に沈んだオーガフェイスの死骸に群がり、屍肉を貪っていた。食い始めてまだ間がないのか、オーガフェイスの傷は浅い。まるで角錐を上下反転させたかのような捕食痕がじわじわと広がり、その都度血煙が湧いて、水面に浮かぶ時には薄まっていて、視認に支障はなかった。


 「なにこれ」

 「あー。なんだろ。まーフォールンだろうな、うん」


 階級は間違い下位種だろう。千景も初めて見るフォールンの存在に困惑した様子を隠さず、同時にそわそわと空いている左手を水面の中へ伸ばしかけたが、すぐにその手は朱燈に捕まれ阻止された。


 「毒持ってるかもしんないでしょ」

 「ごめん。ただちょっと気になってさ」


 オーバル端末でもあれば写真を撮るのかもしれないが、あいにくと二人の持っていた端末はヘリの中に置きっぱなしだ。マルチウォッチには撮影機能はなく、口惜しそうに千景はその場をあとにしようとした。サンクチュアリに近づいてこないこういった地味なフォールンこそ彼らの生態を知るために必要だと言うのに。


 アホ、と中々その場を離れようとしない千景の肩を朱燈がチョップする。鞭で叩かれた駄馬のようにそのチョップで千景は残念がりながら再び歩き出した。そうして沢を歩くはずだった。


 ——直後、異質な気配が彼のうなじに突き刺さった。


 「ん?」

 咄嗟に千景は振り返り、あたりを見る。何かがいるような気がしたからだ。


 「——どうしたの?」

 「いや、なんか。変な感じが」


 朱燈の疑問に答えながら千景はおもむろに水面に下半身だけ露出したオーガフェイスに目を向けた。そういえばあのオーガフェイスはどうやって死んだんだろうか。目立った外傷はなかったから、溺れたとかだろうか。


 踵を返し、千景はオーガフェイスの死骸を凝視した。呆れた様子の朱燈を他所に水面に手を伸ばし、オーガフェイスの体に触れたその瞬間、ゴキ、とまるで空箱を潰したかのように、力をまるで込めていないにも関わらずオーガフェイスの脇腹が凹んだ。


 骨が折れている。それもただ折れているのではなく、粉々と言っていいほどに粉砕されていた。まるで水脹れした素肌をさわっているかのように体毛の内側はブヨブヨで、押せば押すほどによく沈んだ。


 「——なにか強い衝撃を受けてこうなった?でもそんな衝撃をどうやって?」

 「んー。土石流に巻き込まれたとか?」


 「それならこの辺に土砂があるはずだろ。それにこの死骸、死んだまだそんなに時間が経ってない」


 血が固まりきっていない上に腕もよく動く。死んでからせいぜい20〜30分くらいだろう。水温のせいで、実際はもっと短いのかもしれないが、そこまでのことは千景にはわからない。だから彼が知りたがったのは何がオーガフェイスを殺したかだ。


 「少なくとも同類じゃないでしょ。だってオーガフェイス同士ならもっとこう、ね?」

 「そーだな。もうちと傷だらけになってもいいはずだ」


 同じ理由でネメアやルナユスルでもないはずだ。どちらも体当たりで粉砕というよりかはぶった切って、ぶち破って、ぶち壊してやる、という獲物をぐちゃぐちゃにしてしまうタイプのフォールンだ。何より、オーガフェイスを襲うほど暇でもない。


 可能性が最も高いのはつい昨日の昼頃に千景自身が邂逅したカニ型のフォールンだ。中位種だろうあのフォールンは一撃で樹林の一部を破砕する実力がある。オーガフェイスくらいならそれこそ一発で全身の骨という骨を吹き飛ばすだろう。


 「ほへー。ならそれでよくない?」

 「でもさーあんな個体が他に複数いますってちょっと想像できないんだよねぇ。何よりさっきから全然放射能警報が出てない。このオーガフェイスからもね」


 討伐後、気になってカニ型フォールンの使っていた泥などを計測したから、これは確実だ。どの泥や枝葉、岩石にも微量ではあるが放射線反応を示していた。


 「じゃぁ、何がこのオーガフェイスを殺したの。わからないんでしょ?」

 「おっしゃる通り」


 「そりゃ、未知の存在が怖いってのもわかるけどさ。でもそんなんにかまけて足踏みできないじゃん。ここは進むべきでしょ?」


 朱燈の発言に千景ははっとさせられる。確かにもっともな理屈だ。正体不明の何かがいて、それは敵なのかもわからない。味方でないことは確かだが、敵対するかは未知数だ。少し警戒レベルを上げて対処するのが最善なのだろう。


 「——オッケー。じゃぁとりあえず頭の端っこに置いておくってことで。一応、朱燈も警戒してくれ」


 「へいへーい。いやーなんつーかほんと壁外ってのは——」


 不意に朱燈が喋るのをやめたことに千景はなんだ、と振り返ろうとした。しかしそれには及ばなかった。振り返ろうと首を振った彼は対岸から顔を出す一頭のフォールンを視認した。


 それはゴアーだった。


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