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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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サバイバーⅡ

 なんだってそんな面白おかしい状況になっているのか、斜面を走り出した千景本人が偶然の事故という概念に問いたかった。


 千景の背中から飛んでいった朱燈は防寒ジャケットが木の枝と枝の間に挟まり、かろうじてぶら下がっている状態だ。ぶら下がっている彼女の体は樹冠に生えた木の葉に乗っかっており、一見すると滅多に落下したりしないように見える。


 しかし彼女が引っかかっている木の実態は紛れもなく、中身がブヨブヨのストリングチーズに似た白い物質でしかない。耐久値なんぞゼロに等しく、人間のタックル数回で根本から崩れかねない脆弱な状態だ。いわんや土砂の一撃では簡単に折れてしまう。


 根本が折れれば朱燈は再び空中へ放り出され、最悪土砂の中にダイブインしてししまうかもしれない。そうなれば悲惨を通り越して、四散だ。原型すら残らない。


 斜面から目標の木へ向かって千景は飛んだ。影槍を用いて木の上を疾る。普段なら絶対にしない消費度外視のアクロバティックな挙動を見せ、目標の樹木へ迫った。


 体感速度で言えば軽く時速30キロくらいは出ていたかもしれない。とにかく出せる限界で走る千景はしかし、その視界の淵で自分よりもさらに速い土砂の流れを見てギョッとした。


 余談だが、土石流の速度は時速20キロから40キロとかなり速い。家屋や人が一瞬で呑まれてしまう速さだ。そしてその土砂は千景の奮戦を嘲笑うかのように朱燈が引っかかっている木を呑み込んだ。


 目標の木が泥に呑まれていく。決して大規模とは言えない土砂崩れ、しかし山肌を抉るには十分な威力だったことは明白だ。


 泥の海へと放り出された朱燈目掛けて千景は影槍を伸ばした。足よりもさらに速い影槍の伸縮速度ならもしや、と思う一心で彼女の胴体に影槍を巻き付かせようとした。


 影槍の自在性、人間の第三の腕とまで称される利便性からすれば朱燈を受け止めることは造作もない。実際、影槍は宙空の朱燈を難なく掴み取り、伸びたゴムが縮む要領で千景は戻ってくる朱燈を抱き止めた。


 これだけあっちらこちら振り回されているのに関わらず朱燈は未だに目を開かない。仕切りにうっうと呻くばかりで、しかしそれは今の千景にとって幸運として働いた。宙空、何も捕まるものがない場所で目が覚められても困るだけだ。


 颯爽と朱燈を回収した千景は彼女を抱き抱えたまま近くの高木に影槍を飛ばす。幹に千景の影槍が突き刺さり、姿勢を固定した千景はその幹の上に着地する。遠目に土石流を眺めながら一息つき、すぐに抱えていた朱燈を背中に背負った。今度は放り出されないようにしっかりと背中から胸元へと回された左手を握って元来た道を千景は戻ろうとして、背後へ向き直った。


 その直後のことだった。


 木の幹に乗っていても確かに感じるほどの巨大な地響きが伝わってきた。ゴゴゴゴゴと鳴動する大地、木々は揺れ、足下では獣達の叫び声が忙しなく聞こえ出した。


 尋常ではないざわめきだ。豪雨が過ぎ去り、ようやく羽を伸ばせるぞという獣達の歓喜の咆哮では決してありえない。もっと恐ろしい、恐怖によって駆り立てられた悲鳴だ。


 一瞬、嫌な想像が千景の脳裏をよぎった。それを確かめるため、あるいは否定するために重い足下から正面に千景は目を向けた。


 ——目を向けたとほぼ同時に正面に見えていた山から茶色い何かが迫っていた。それはドドドドドという重低音を鳴らしながら一瞬にして千景との距離を詰めてくる。


 それがなんであるかなど言うまでもない。ついさっき千景を呑み込みかけた土石流の何倍もある規模の土石流だ。森の一箇所どころか大部分を飲み込みかねない規模だ。


 見ている間に土石流は進行先の木々や岩盤を飲み込み、さらに勢いを増していく。一瞬で土石流は山の中腹から麓まで流れてきて、斜面の頂上へと至った。土石流が木々を飲み込む音が、岩肌を噛み殺す音が聞こえ始め、瞬く間に斜面を滑り落ちて中腹に走っていた道路を飲み込んだ。


 その時点で千景は踵を返し、木の上から飛び降りた。影槍を用いてなるべく遠くへ、遠くへと彼は飛翔する。


 土石流の破壊力は絶大だ。山を形成する土が雨水の浸透などで均衡を崩し、漏れ出したわけだから運動エネルギーがただの山崩れなどとは明らかに違う。


 先刻の土石流はその前触れに過ぎなかった。主攻の前の助攻に過ぎない。大地をなめて、その味を確認するための前準備に過ぎない。


 見えている以上に危険、千景はそう判断した。


 影槍を限界まで起動させ、彼は樹上を疾駆する。影槍による空中移動、それはただ槍の穂先を木の幹に突き刺すだけでは成り立たない。適度なタイミングで槍を抜き、すかさず別の木の幹に影槍を突き刺さなければいけない高等技術である。


 それを人一人を背負ったままやるのは千景にとっても初の体験だった。やっつけ本番でやれるようなものではなく、重量が嵩むせいで思った通りの軌道にならず、感情的になり思わず舌打ちがこぼれた。


 クソ、と悪態づきながら千景は一際背の高い木の幹に着地し、落ちかけていた朱燈を背負い直した。二人文の体重に加え、銃器などの装備類を背負っているせいで体力が余計に消費され、影槍の起動がそう長くできないことも感覚的に伝わってきていた。


 様子を見ようと背後を振り返れば土石流はもう十数メートル先にまで迫っていた。規模が広過ぎて今更進行方向から逸れるといったような芸当もできない。


 ——どうする?


 土石流がどこまで追ってくるのかはわからない。流れからして富士市周辺の山麓で止まることはわかるが、それまで逃げ切れる保証もない。


 フォールンならいくらでもなんでもどうにかなる。だが自然現象は別だ。土石流、濁流、川の氾濫、それから地震、雷エトセトラ。人の身にあまる暴威の数々は千景を焦らせ、彼の視野を狭めていた。


 直後、舌打ちをこぼし千景は影槍を起動した。木の上から跳び降り、再び千景は空中移動を始めた。そこには当てなんてものはなく、ただ後ろからの圧に突き動かされて朱燈を背負ったまま千景は飛翔する。


 直後、その足元を泥が包み込んだ。


 「は?」


 とっさに泥に飲まれまいと千景は流れてきた倒木に影槍を刺し、体をそれに引き寄せた。千景の着地と同時に倒木が揺れるが、沈むことはない。気がつけば彼がそれまで走っていた樹林は消え失せ、泥の海に沈んでいた。


 土砂の勢いはしだいに収まり始め、砕かれた岩や木々は別の山の山麓に流れ込む形で停止した。それを見て千景は肩から力が抜け、ふぅと柄にもなく安堵のため息をこぼした。


 助かった。


 そう理解し、胸を撫でおろす千景はライフルを持ち直して倒木の上に立つ。周りを見ればほどよい大きさの岩石が流れてきており、そちらの方が安定していそうだったので、そちらへ千景は移った。


 改めて周囲を見回してみると、被害はなかなかのものだった。山肌が大規模にえぐれただけではなく、樹林を構成していた巨木がボロボロといっていいまでに折れていた。土石流の跡には無数のフォールンの死骸が見え、それは原型をとどめていないものがほとんどだった。


 高所にいたから助かった、と千景は己の強運に感謝した。ただ地べたを走っていた頃だったら、きっと今の土石流は回避できなかった。あるいはもっと長く続いていたら、跳べていても危うかったかもしれない。


 落ち着きが徐々に戻ってきて、現状を理解し始めた千景は同時にため息を吐いた。さっきまで歩いていたはずの道路ははるか上だ。山麓まで流されてきてしまったせいで、今更戻ろうと思えば、つく頃には昼を過ぎ、おやつ時になっているだろう。


 「どーしよっかなー」


 いっそこのまま海岸線を歩くルートも存在する。箱根の山麓外縁を回るのではなく、伊豆半島沿いを行くというルートだ。幸い、山麓付近まで流されたこともあって、いくつか東へ向かって伸びている道がある。それを伝って行けばどちらのルートを取ってもいい。


 問題はその時間だ。ただでさえ予定とは違う行軍をしている上、ただ歩く以上に自然環境が厳しすぎる。このままでは4日の内に既知領域まで行けるかどうかがわからない。


 既知領域にさえ入ってしまえばマルチウォッチの信号を頼りにしたSOSが送れる。そうなればあとは待つだけで、一両日中に捜索隊が駆けつけ、速やかに回収してくれるはずだ。


 できなくはない、と千景は考えを整理し、決断する。どのみち、壁外の過酷な環境下を想定すれば、朱燈は何がなんでも早くにサンクチュアリへ入れなければならない。()()()()()()()()()()、普通の人間の朱燈の能力では未踏破領域には居座れない。


 よし、と太ももをピシャッと叩き千景は行動を始める。流れが止まった岩の上を跳んで移動しながら、近くに見えた小さな道路へ向かっていく。


 その道中、不意にマルチウォッチから警告音に似たピーピーという音が漏れ出した。何事だと思い千景は目線を時計に落とす。


 表示された画面に映し出されたのは放射能を示すマークだ。ここ近年では見たことすらない、しかしその意味だけは確かに誰もが知っている特異なマークが表示され、ギョッとして千景は足を止めた。


 「は?」


 直後、背後で何かが爆ぜた。

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