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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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Black day

 「ちょっと千景!!なに急に倒れてんのよ!!」


 叫ぶ朱燈は唐突に倒れた千景を抱え起こした。時計を見る限りまだ12時にもなっていない真っ昼間、寝るには早すぎる頃合いだ。


 ゆすってもゆすっても千景は目を開かない。死んだかと思ったが脈拍は正常だ。というか、身体に明確な異常はない。脈拍はもちろん、呼吸も、肌色も、何もかもが。


 それでも千景は倒れた。なんの脈絡もなく。


 いや、脈絡ならあった。これまでずっと千景は起きていた。小屋にいる時も、野宿をしている時も、洞穴にいる時も、歩いている時もずっと起きていた。いつ寝ているのか知らないが、朱燈が起きている時、ずっと千景は起きていた。


 その結果がこれだ。気力、体力どちらも使い果たし、無理やり根性だけで覚醒を保っていた結果が、不意のノックアウトだ。


 朱燈が駆け寄れば泥の匂いが鼻腔に直撃し、離れたくなるがそれは朱燈自身も同じだった。匂いを我慢し、千景を背負い、彼がそれまで持っていたライフルを拾いあげた。


 そして自分達が今いる場所を仰ぎ見た。


 近くの樹木は目算で20メートルを超える太い幹の木だ。朱燈が三人いて三人が両手をめいいっぱい広げても一周できないほど太い幹の樹木、それがいくつも乱立している大樹の森に彼女達はいた。


 さっきまでの樹林とは樹木の高さも太さもまるで違う森林地帯に足を踏み入れ、当惑するも束の間、それまで聞いたことがない奇声が四方から聞こえ出した。なんの声かはわからない。オーガフェイスともゴアーとも違う正体不明の奇声の数々が彼女の鼓膜を振るわせ、同時に心すら震わした。


 「なに、ここ」


 空を仰ぎ見る。夜天がごとき真っ暗な樹幹がわずかな木漏れ日すら閉ざし時間感覚を狂わせる。四方を見れば同じような大樹がいくつも乱立し、方向感覚を狂わせる。雨の音が絶え、奇声がいくつもの重なり合うように響き渡り平衡感覚を狂わせる。


 夜天に似た樹幹の裏側は蜘蛛の巣を思わせた。あるいは落下する空を支える巨腕とも形容できるかもしれない。仰ぎ見る夜天が落ちてくるように感じたまらず朱燈は悲鳴をあげ、身をかがめた。


 大樹はザワザワとまるでこちらに迫ってくるかのように風で揺れ、それは巨樹の枝葉が幾千幾万の指に見えた。触れれば肌と貫き、血を吸い出すかのような幻覚すら見せる無数の尖った指を前にして朱燈はやだ、やだ、と懇願しながら、大樹から遠ざかった。そして、大樹の間を彼女は走り回った。


 奇声は続く。獣が喉を鳴らす音、鳥が耳を舐める音、羽ばたき、カサカサと何かが這いずり回り、それは鳥肌を立たせ時に体を這い回っているかのように錯覚してしまい、走り出した足はいつの間にか立ち止まり、立っていることすら不確かに思えさせた。


 体がすくみ、取り乱し、暴れ回る。自分の意思とは無関係に唐突に力が抜け、あてもなく足がどこへとなく向き、体が動いてしまう。時間感覚が、方向感覚が、平衡感覚がよくわからないまま朱燈の両足はしなび、何処とも知れない場所に彼女はへたり込んだ。


 今になって千景の行動の理由が理解できた。なぜ頑なに千景が斜面ばかり歩き、森林地帯に降りなかったのか、その理由が。


 迷うからだ、いともたやすく。おそらく、未踏破領域の植生や環境をよく知っている千景でさえも争いようがなく。


 樹上を見上げていると乾いた笑い声が漏れ出た。どこまでも深い、深い不快な魔の手によって天蓋は閉ざされ、四方を見ても八方を見ても直立不動の果てのない木々ばかりで、絶えず哄笑が反響し地獄の森と化す。


 森の景色が、空気が、匂いが、音が、牙を剥き、それはちっぽけな一人でしかない朱燈には抗えないからだ。暗い森にただ一人、ぽつんと残された朱燈は耳を塞ぎ、声にならない笑い声をあげるしかなかった。


 ——ああ、なんて思い上がりなんだろうか。


 ちっぽけな私。本当に変わっていない。まるで3年前から何も。


 過去を思い返し、朱燈は苦笑する。自分の無力さを嘲笑う。頑張ったんだけどな、と自嘲する。


 数週間前、ひょっとしたら二週間前だったかもしれないが、とにかく一週間以上も前にサンクチュアリ防衛軍の一部隊を救援できたなかった時もひどく傷ついたものだ。だから躍起になってその数日後、ロシア難民を乗せた輸送機を助けたい、と千景に、竟に、みんなに懇願した。


 それが叶い、安堵した。頑張ればあの状況からだって犠牲ゼロで助けられる、すごいんだ、私は、と思えた。


 ——でもそんなことはなかった。やっぱり私は私のままだ。あたしなんて皮ばかりかぶって、結局はただの棒振り小娘でしかなかったんだ。


 そんな小娘が頼れる道先案内人もなしで闇の森を彷徨っている。無謀な挑戦を通り越した地獄への片道切符でしかなく、神は乗り越えられる試練しか出せないなんてクソみたいな戯言だと理解できる。


 自分を憐れみ、けなし、おもむろに拳銃を取り出した。重さ1,890g。50口径用マグナム弾の使用を前提とした極めてオーソドックスな拳銃だ。ヴィーザルの社員全員に等しく支給される標準武装である。


 装弾数は10発。弾丸がたっぷりと入ったそれは非常に重く、これまで意識していなかった2kg分の重さがずっしりと片手にのしかかった。旧時代においてはついぞこの種の大型拳銃は軍隊では正式採用されなかったが、この時代、この世情において、たかが自動拳銃であってもより強力なものが求められたのだ。


 それを見つめ、朱燈は自分のこめかみに銃口を向けた。謝罪を何度も繰り返し呟きながら彼女は正眼で果てしない暗闇を見つめた。


 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 銃口がカタカタと揺れる。恐れながら、涕泣しながら、喉をかきながら、彼女はゆっくりと最後の時間を噛み締めながら、そして。


 「ぁあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 その左手に握られていた拳銃を投げ捨てた。勢いよく投げ捨てられた拳銃は一回だけぬかるんだ地面を跳ね、再度落下する時に真下にあった岩塊にぶつかり、粉々になってしまった。


 「あぁ、あああああああああ!!!!!!」


 喉が焼き切れそうな絶叫が樹林のさざめきをかき消してこだました。泥の中に拳をあらん限りの力で叩きつけ、その都度、泥が跳ねた。


 自分の不甲斐なさ、死ぬ勇気すらないことに自己嫌悪し、あまつさえ千景を放り出したまま楽な道に行こうとした自分をさらに嫌悪した。なにがごめんなさいだ、死ねよ、死んじまえと否定し、何ビビってんだよ、と己の心の弱さを何度となくなじった。


 死ぬ勇気も持てない。他人の命を預かる責任も持てない。持てない、持てない、持てない、持てない。何も、持てない自分が心底嫌だった。嫌いになった。嫌いになったままなおも何もできない自分がより一層嫌いになった。


 何度も何度も拳を叩きつけた。それで気が晴れることはない。


 ——だから、彼女は立ち上がらなかった。その場から自力では。


 喉も枯れ果て、ふと顔を上げると森の空気が変わったことに朱燈は気がついた。それまでうごめいていた木々は静止し、直立不動のまま動かない木々はなぜか道を開け、騒がしかった森林内のざわめきは寝静まったかのように静寂の中にあった。


 霧ばかりだった道が急に晴れたかのようで、希望や明るさよりも前に不気味さを覚え、なんだろう、と震えながら朱燈は周りを見た。何かが起こる予感がして、心音が高鳴る。動悸が激しくなり、バクンバクンという咀嚼音に似た音が耳まで聞こえてきた。


 パチ。


 不意に背後から音がした。地面に落ちた枝を踏む音だ。周りが静かでなければ絶対に気がつけなかった小さな音だった。


 咄嗟に朱燈は振り返り、直後彼女は全身に鳥肌が立った。


 前方、大体18メートル先に黒い影があった。黒い体毛の人型に似たシルエット、しかしその隣に立つ樹木と比べれば決して人間サイズでないことがわかる。


 朱燈がうずくまる樹木の一番低い枝の高さが4メートルぐらいで、それ以外の樹木も似たり寄ったりだ。その黒い影の首元ぐらいに一番低い枝はあった。


 黒い影は5メートルを越え、直立不動のまま朱燈を見つめていた。巨体を立たせるために樹木に片手を添えながら。


 何より朱燈を怯えさせたのは黒い影の首元に見えた赤銀の三日月模様が前掛けのように浮き上がっていたことだ。見るものが見ればベビードールにだって見えたかも知れないが、朱燈には闇の中で輝く黒い影の二つの光と合わさって、別のものに見えた。


 ——闇が笑っていたんだ。


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