解体余暇
「——うーわ、本当にフォールン狩ってきたよ、この人」
再開早々、毒のある言葉を吐く朱燈は千景が狩ってきたフォールンへの嫌悪感を隠そうともしなかった。見るや否や顔をぐしゃぐしゃに歯茎を剥き出しにして、これでもかといやそうな表情を浮かべた。
嫌がる朱燈を他所に千景は彼女に洞穴の奥の方へ行くように催促し、脇に抱えていたゴアーの亡骸を広げた。広げられた亡骸から死臭と血臭が漂うが、構わず千景はゴアーの解体作業を続けた。
毛皮を削ぎ落とし、次いで頭部のあまりを切り落とす。上顎の親知らずを抜くようにゴキリという音が頭部の首が外れた時に響き、取り上げると骨片がこぼれ落ちた。そして剥いだ毛皮で骨片を包むと、簀巻きにして千景は洞穴から身を乗り出し、樹林の中へそれを投げ捨てた。
「なんでそんなことするの?」
投げ捨てる千景の後ろ姿を見ていた朱燈はふと疑問をこぼす。急に野球でもやりたくなったわけでもあるまいし。
「こうやって匂いを分散させてんだよ。雨が降ってるって言っても血の匂いがひどいからな」
解体作業に一区切りをつけた千景は匂いに耐えかねてか、鼻を摘む。おおよそ、この時代に生きる人間は経験したことのない悪臭は汗臭さなどで誤魔化せるものではなく、息を吸うだけで脳みそが喉から吐き出されそうなひどい匂いだ。
気分が悪くなるその悪臭に耐えかねたか、朱燈は千景の前を横切って洞穴から顔を出した。そしてスーハーとラマーズ法並に深呼吸をする彼女の後ろ姿を見ながら、千景はサバイバルナイフに付着した肉片を拭き取り、欠けていないかなどを確認した。
「俺がいない間、なんかなかったか?」
ナイフを拭きながら千景は不意に朱燈に問いかける。振り返った朱燈は怪訝そうな顔を浮かべながら、そうね、と考えるそぶりを少し見せてから千景不在時にあった出来事を語り出した。
「——なんかすっごいでっかいのがいた」
「フォールンか?ってこんな質問は無粋か」
「うーん。よくわかんない。多分そうなんだろーけど、遠すぎてさー」
「どんな外見だ?」
軽い暇つぶしの世間話のつもりだった千景は朱燈の話に興味を覚え、顔を上げる。雨に打たれながら、考え込む朱燈を洞穴に戻し、落ち着いて話すように彼は促した。
「えーっとね。緑色?いや、表現的には地面とかが正しいのかな。うん。地面、だね。草とか生えてる地面。それがなんか動いてた」
「は?なんじゃそりゃ」
要領を得ない、と千景は朱燈の説明に補足を求めた。しかし、当の朱燈本人も遠くだったから、と繰り返すだけで何を見たのかがはっきりしない様子だった。曰く、八本脚の地面が動いていた、と。
八本脚の生物と言われればまず思い当たるのが蜘蛛だろう。その八本脚による移動は素早く、陸上屈指の速さを誇る。
——蜘蛛型のフォールンねー。
あいにくと千景の記憶には該当するフォールンはいない。あるいは他の八本脚の動物という可能性もあるが、それにしたってやはり記憶にない。つまり、全く未知の生物ということになる。
「そいつはどこにいたんだ?」
休憩を終え、ブロック状にゴアーの肉を切り分けながら千景は朱燈に問いかける。間を置かず朱燈は洞穴の上を指差した。曰く、斜面の上にある樹林を移動していたらしい。その移動する時の姿を朱燈は見たのだ。
「うーん。やっぱりわからないな。八本脚で、かつ地面が移動しているみたいな外見だろ。蜘蛛以外なら、タコとかサソリが思い浮かぶけどさ、さすがに陸にタコはいないし、日本にゃサソリはいないだろ」
「でも見たものは見たんだからやっぱり見たんだって。さすがに足の本数数え間違えるほど心病んでないっての!」
「言ってもなー。あー。八本脚にカモフラージュした、とか?そういうことするフォールンならいるぞ?」
アラカタリっていうんだよ、と千景は楽しげに語る。瞳を輝かせて、さながら沢からザリガニを見つけてきた田舎のわんぱく小僧のように。
フォールンについて喋る時、ついつい熱くなってしまうと自覚しながらも千景は話す口が、口内を上下に移動する舌が止まらなかった。話す熱量に比例して、ゴアーの肉を切り分ける速度も上がっていく。勘を取り戻した職工が神速の作業を見せるようにテキパキと無駄なく筋を断ち、肉を削ぎ落としていった。
「——でさ。そのってのは群れで行動してるの。それに大きさもブラットとかとあんま変わんないし、本州じゃあんま見ないんだ。だから」
「はいストップ。それはもうわかったから。てか、それってつまりあたしが見たのはそのアラカタリってのじゃないってことでしょ?」
「多分?雑用型、兵隊型、女王型っていう括りはあるけど、一番大きい女王型が確か、全長6メートルくらいだったか。でも、巣から出ないから除外される」
「やっぱわかんないか。じゃー今の話ってなんだったわけ?」
「いやーわかんないことを体験できるって素晴らしいじゃないですか」
「死ね」
直球な暴言を投げつけられるが、千景は気にする素振りを見せない。ルンルン気分で切り終えた肉を腰のポーチから取り出したビニールパックに入れていた。その光景を心底嫌そうに見つめていた朱燈は耐えかねて疑問をぶつけた。
「なんでフォールンの肉なわけ?てか、フォールンって食えんの?」
「え、今更?」
真顔で返す千景の頬を朱燈の左ストレートが掠める。彼女が片腕を失い、バランスを崩していなければ間違いなく彼の顔面は陥没していた。
「危なっ」
「あのさ。真面目な話、フォールンって食えんの?いやまじで」
「そりゃ、生き物なんだから食えるだろ」
朱燈の疑問に千景は即答する。何を言っているんだと言わんばかりに小馬鹿にしながら。
「フォールンを食えないなんて誰が言った?実際、フォールンはフォールン食うだろ」
「いや、そうだけど。でもそれって毒虫が毒虫食うようなもんじゃん。あたしら毒虫食わないじゃん」
「別にフォールンって毒虫とかってわけじゃないぞ。死ねば体内のF.Dレベルは1を下回るからほぼほぼ普通の肉と大差なくなるし。——どうしようかな、この肉の余り」
肉を詰めたビニールパックを5袋ほど作り終え、千景は残った肉に目を向けた。ビニールパック5袋に肉を詰めたにもかかわらず、ゴアーの肉はまだかなり残っていた。千景が取ったのは全体の一部に過ぎない。それでも十分すぎる量だが。
このままここに放置することはできない。雨が降っているとはいえ、血と肉の匂いを鍵つけたフォールンが襲ってくるかもしれない。ライフル銃と数個の手榴弾しかない現状ではオーガフェイスの一匹、二匹ですら脅威になる。
「しゃーないか」
中身が汚れないように壁に立てかけていたゴアーの亡骸を掴み、千景は外へと向かう。ちょっと出掛けてくる、と朱燈に断って、彼は洞穴から顔を出した。気が付けばもう外は真っ暗で、ライトなしでは足元すらおぼつかない有様だった。
まぁいいさ、と千景は気にすることなく斜面を登っていく。そして斜面の上にある樹林へ到着すると、ゴアーの亡骸を一際小高い木に叩きつけ始めた。べちゃ、べちゃという音が鳴り、固まっていた血が再び弾けてあたりに四散する。手のひらに伝わる肉の重みが軽くなった頃を見計らって千景はその木の枝の中で一番頑丈そうで、高い位置にある枝にゴアーの亡骸を引っ掛けた。
「臭いな」
体に匂いが染み付いているのは言うまでもない。まして死体の処理なんていう血生臭い仕事をした後なら尚更だ。シャワーが浴びたいよと歩きがてら愚痴るが、そんな愚痴も棒ほど願って針ほど叶うと言えばいいのか、雨粒で我慢しなさいとばかりに暗雲から降り注ぐ水滴が肌を伝った。
そも、ここ数日はまともに下着すら変えていないから衛生面の心配は深刻だ。数少ない救いは腎臓にある影槍の発生装置のおかげで汗や尿、糞といった老廃物が勝手に濾過されて影槍の生成材料に変換されることだろう。おかげで千景も朱燈もここまでトイレに困ったことはない。
洞穴に戻ると、朱燈はつまらなそうに正面の石壁を睨んでいた。無事だった方の手は拳銃の引き金に指がかかり、安全装置は外れていた。そして朱燈はウェスタンスタイルのガンマンさながらにクルクルとトリガーガードに引っ掛けて回していた。
「——なにやってんの?」
「いや、暴発して死ねねーかなーって」
「言っとくけど、それで悲しむの俺だからな」
「うへ。直球。てか、そこはあたしの両親じゃないんだ」
「だって、別に悲しまねーだろ、お前の両親」
呆れながら千景はため息を吐く。感傷的になりながらも彼は手を止めず、ジャケットのポーチから着火キットを取り出して火を起こし始めた。本来はもっと開けた空間でやるべきなのだろうが、贅沢も言ってられないくらい外が騒がしい。いくら着火キットが優秀でも雨に打たれても燃えるものは発煙筒くらいなものだ。
ものの数秒で火が付き、それまでぼんやり程度だった景色が明るくなる。オレンジ色の炎に照らされて洞穴が煌々と輝き出した。浮かび上がってきた血の色で顔を顰め、それから目を逸らして朱燈に目を向けてみれば、彼女はアルコール中毒者のようなすさんだ表情で相も変わらず拳銃を回転させていた。
コマのように回転させているにもかかわらず拳銃が暴発する様子はない。見た目とは裏腹にだいぶ注意して回しているようだ。
じゃぁ暴発の心配はないな、と安心し、千景はおもむろにビニールパックを一つ手に取り、その中から採れたてほやほやのゴアーの肉を取り出した。ブスリと医療キットから取り出した破片除去用のピンセットを突き刺し、それを火にかける。
「おお。脂がすごいな。
ドロリととろけた脂を見て千景は思わず舌舐めずりをした。彼の持つピンセットがその脂の重さでプルプルと震え、ゼリー状になった脂はほどよく肉に色合いの美しさを与えていた。
いい焼き具合になった頃合いを見計らって空っぽのビニールパックの上にそれを置くと、ジューという音が鳴った。ビニールの下の水分が蒸発した音だ。
「さぁ、食うぞ」
塩も胡椒も醤油もないただ焼いただけの肉だが、その香りと見た目は空腹の身の上にはあまり蠱惑的だ。アロマを薫く高級娼婦と大差ない。ナイフで切り分けたそれを千景は我慢できずに口の中へと放り込む。
「う、うん!!」
舌の上を伝う獣の旨みは申し分ない。ずっしりと重く舌の上にのしかかり、口の中を脂と肉の風味が満たす。幼体の肉だからか、非常に柔らかく咀嚼するたびに脂が迸り、まるで何度も噛めるゼリーを食んでいるかのようだ。
これまで食べた肉類と言えば、どれも乾燥したものばかりだった。しかし今千景が頬張っている肉には瑞々しさがあり、噛めば噛むほどに旨味が迸っていった。
「あー初体験」
「キモっ」
他方、朱燈はいまだに肉には手をつけていなかった。嫌そうにブロック肉を睨みつけていた。
「食えよ。てか、食わないとこの先やっていけないぞ?」
「いや、そうなんだけどさ」
言わんとすることもわかる、と千景は頷く。しかしそれでも敢えて千景は一歩踏み込み、彼女にブロック肉を近づけた。
「だいじょーぶ。ほら、俺が毒味したろ?」
「いー。毒味とかそーいうんじゃなくていや、やめろ!死ぬって!!」
*




