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Vain  作者: 賀田 希道
不思議な国の話
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未踏破領域の食糧事情

 洞穴から顔を出した千景は眼下に広がる樹林へ視線を向ける。


 千景と朱燈、二人の傭兵が逗留している洞穴は斜面に面していて、一歩外に出れば斜面の真下に樹林が広がっている。周囲の木々は低く、だからこそ森ん奥の方まで見ることができる。


 正面には鬱蒼と木々が覆い茂る森がある。奇怪な成長を遂げた独特な形状の樹木が頭ひとつ抜けて巨大で、それが間隔を開けて森冠から顔を出していることを除けば、極めて普通の森だ。雨の中でもわかるほど青々とした緑が白紙に滲んだインクのようにどこまで広がっており、その向こう側にぼんやりとだが、黒い大きな山の影がいくつも見えた。


 側面を見れば、さっきまで歩いてきた斜面に沿って生える低木林が右にも左にも広がっている。歩いてきた道は泥でぬかるんでいたせいか、足跡がまだ消えずに残っていて、逆にこれから歩くルートは人間の足跡はもちろん、フォールンの足跡もなかった。そしてそちらに向かって目を凝らせば、うっすらと霧に紛れて、白いガードレールがぼんやりと見えた。


 方位は間違ってなかったと一安心する千景は、すぐに気を取り直して自身のライフルのボルトを構え、正面に向き直った。ちらりと足元を除けばそこそこ急な斜面がある。木々が生えているから完全な坂道ではないが、雨の中、ぬかるんだ滑りやすい地面に斜面に足を伸ばすのは少し勇気が必要だった。


 足を滑らせれば最後、ゴロゴロ転がって折れた枝に首なり、目なり腹なりと体の柔らかいところが突き刺さるかもしれない。そんな嫌な妄想が脳裏によぎり始めたので、意を決して千景は泥の中に足を差し込んだ。


 足を入れた直後、ずるりと体が滑り一瞬心臓がふわっと宙を浮いたような感覚を覚えた。初手で失敗した、と焦るが、しかし滑る感覚はものの数メートルでなくなり、前に突き出した足が木の幹にぶつかったことが幸いして滑る千景の体は停止した。


 滑っている時、尻が地面にこすれたせいでちょっと痛かったが、それを気にしていられるほど余裕もない。自分の足の裏がぶつかった木の幹がまだ中身が無事であることを確認し、起き上がりながら千景は軽率に斜面をまっすぐ降ろうとしたことを反省した。バカをやった、と己を恥じた。


 「俺もちょっと冷静でなかったのかもな」


 下手に妹の話をしたのが不味かったのかもしれない。わざわざ生きるための理由、仕事を続ける理由を言ってしまって、いらぬ冒険心が出てしまった。意味のない勇気ある行動をしてしまった。それを蛮勇と呼ぶことを知っていたはずなのに。


 空いている方の手で頬を叩き千景はひとりごちる。そして今度は失敗しないように斜面を斜め方向に向かって降り始めた。それでも足を踏み出すたびに僅かに体が滑ることはあったが、まっすぐ降りようとした時のように滑り落ちるというようなことは起きなかった。


 無事、斜面の麓まで降り、さて、と千景はあたりを見回した。


 これまでの行軍で決して千景と朱燈はフォールンを見なかったわけではない。遠目にではあるが確かに彼らの姿を視認したし、なんなら二人が山道を歩いている原因はフォールンにある。


 初日、公道に沿って進んでいた二人は遠目にオーガフェイスの群れを見た。彼らは獲物と思しき草食性のフォールンを囲んでいた。おかげで千景と朱燈の存在には気が付かなかったが、その群れの隣をすり抜けていこうとすれば、さすがに気づく。刹那の思考の末、二人は泣く泣くガードレールを飛び越えて山野に飛び込んだ。


 その過程が山の斜面に沿っての行軍であり、朱燈が泥だらけになった理由だ。だが一番、朱燈が泥だらけになった理由は山道を歩いたからではない。一番の理由はやはりフォールン対策だ。


 「お。発見」


 ライフルスコープに瞳を近づけながら、千景は木々の合間から顔を出した一体のフォールンに銃口を向ける。それは立派な角を生やした体長2メートル半ほどのシカに似たフォールンで、広背筋が発達しているためか、妙に前のめりな姿勢になっていた。


 シカガミ。そのフォールンはそう呼ばれている。廃墟都市(ネクロポリス)ではまず見ない山林地帯に生息する下位種のフォールンで、外見に違わずその生態はシカに近い。


 耳もよく、足も素早い。自分に気づいていないように見えて小刻みに両耳が震えている姿を千景は見逃さなかった。


 呼吸を整えた千景が撃とうと思って引き金に指を添えたその直後、シカガミは身を翻して森の奥地へ消えてしまった。ちぃと舌打ちをこぼし、千景はため息混じりに自分のジャケットを見る。


 「やっぱ泥でもくっつけとくべきだったかな」


 頭をかきながら、千景は反省の弁をこぼす。そして即座に足元の泥を救うと防寒ジャケットの上にそれを塗り始めた。ひとしきり泥を塗り終え、ダメ押しとばかりに顔の周りにも泥を塗りたくって千景は一言、よし、と頷いた。


 シカガミに限らずフォールンは五感が優れている。匂いや音、果ては人間では見えない暗闇を見通す目など、その感覚の鋭さはどんな歴戦の兵士も舌を巻くほどだ。


 そんな彼らの嗅覚や聴覚を騙すため、千景は泥を塗り、なるべくゆっくりと森林地帯を歩いていた。泥をぬるのは体臭を誤魔化すため、ゆっくりと歩くのはなるべく音を立てないようにするためだ。


 こんなこと前もやったな、と数週間前に戦ったスカリビのことを思い返しながら千景は一人、笑みを浮かべる。思えばあの時もスカリビの反響器官を誤魔化すために動かず、その舌先のセンサーを掻い潜るために埃や泥の中で銃を構えた。


 しばらくやるまいと思っていたことを数週間振りにやる羽目になり千景は世界の過酷さを嘆いた。せめてもう少しスパンを置いて欲しい。それこそ一ヶ月くらい。おかげでただでさえ汚く、衛生面で不安な衣服がいっそう汚れてしまった。


 ——まぁ、それでもあの時よかマシか。


 過去の振り返りに幕を下ろして千景は自嘲めいた微笑を浮かべながら意識を現実に戻す。シカガミが消えてから数分が経ち、新しい獲物が彼の前に現れた。


 視線の先、30メートルほどの距離にそれはいた。


 全高で言えば成人男性の膝頭(ひざがしら)を超えるくらい。全長は1メートル程度のかなりの小柄なのフォールンだ。茶色い毛の中にうっすらと白いラインが見えるそれは千景の接近に気づかず、呑気に足元に落ちている木の実を食んでいた。


 ——ゴアーか。


 ライフルを構えながら千景はそのフォールンの名前を脳裏で思い起こした。感知領域から未踏破領域の範囲で見られる種で、カテゴリー上は中位種にあたるが、成長したオス個体は上位種と遜色ない戦闘力を持つ。ただし、目の前にいるのはその幼体、つまりまだ子供だ。


 反撃の心配はないな、と千景は冷淡に引き金を引いた。ピュンという音と共に円筒状の銃口から弾丸が放たれ、ゴアーの頭蓋を粉砕した。着弾と同時にゴアーの頭を覆っていた仮面は砕かれ、その後ろにあった頭部の中身と一緒にあたりに飛び散った。


 倒れたゴアーの幼体にすぐさま千景は駆け寄り、飛び散った頭蓋の中から大きめのパーツを瞬時に見繕い、四方へそれを投げた。保持者(ホルダー)の腕力で投げられた肉塊は木々の合間をすり抜け、軽く100メートルは飛んでいき、近くの木や地面に着弾した。


 これでしばらくはよし、と頷きつつ、千景は残ったゴアーの胴体を持ち上げる。持ち上げた時に頭部と一緒になって砕かれた脊髄の一部がどろりと傷口からこぼれ落ちたが、千景は気に求めず傷口を下にして、取り出したサバイバルナイフでその腹を割いた。するとそれまでチビチビと溢れていた血が内容物と一緒になってドバッとこぼれ落ち、その溢れた内容物を千景はさっきと同じように遠くへと投げた。


 「ま、こんなの気休めにしかなんねーだろーけど」


 ただよう血臭に吐き気を覚えながら、千景は作業を続ける。ひとしきり血が溢れ終わったところで素早くその開いた腹を閉じていくぶんか軽くなったゴアーの亡骸を千景は傍に抱えた。そして周りにフォールンがいないことを確認しながら、彼はゆっくりと移動して斜面を登り始めた。


 ——そして今に至る。

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