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Vain  作者: 賀田 希道
【見知らぬ大地と獣たちについて】
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東京サンクチュアリⅡ

 「朱燈ー。悪いんだけど、食堂からなんか買ってきてくれない?」

 「え、なんで?普通に嫌なんだけど」


 「ほら、お金渡すから」

 「はいはーい。ほら、よこせー」


 しばらくして仕事がひと段落した千景の問いに朱燈は現金に答える。彼が財布から取り出したプログラムチケットを朱燈はパパッと引ったくり、すたんださっさと部屋から飛び出して行った。まるで風のように飛び出す彼女に目を丸くし、呆れて千景は苦笑した。


 現金なやつだ、と部屋から飛び出す朱燈の背中を見送り、千景は室内にただ一人だけ残された。言い表せない優曇を見つけた時のように胸がすぼみ、じんわりとそれは血中にまで広がった。


 ひとりぼっちになった室内に千景のタブレットボードのキーを叩く音だけが響く。陽が少し翳り始めたのを皮切りに千景は席から立ち上がり、照明を付けようと入り口近くにあるスイッチへ手を伸ばした。


 カチンという音と共に蛍光灯に光が宿る。薄暗かった室内に明かりが灯り、光を取り戻した。


 室内が明るくなるとそれまで見えていなかったものが見え始める。見えなかったというよりも目に入れようとしなかったものという表現が正しいのかもしれない。


 部屋に入り、右手の方向を見れば埃を被ったデスクが六つ、鎮座していた。まだ私物の整理も終わっていない、もう持ち主の誰もが座ることのない冷えた座席の一つに腰掛け、千景は背もたれに顎を乗せ、瞑目した。


 視線を上座へ向けてみれば、これまた使われた形跡がない大きめのデスクが置かれていた。しかし使い古されたディスプレイの隣にはいくつものファイルボックスがあり、椅子を漕いで近づいてみれば、一つのボックスの中にみちみちになって膨れ上がった書類を収めたファイルフォルダがいくつも入っていた。


 電子化万歳の世の中にあってしかし未だにアナログな紙媒体を好む人間は一定数存在する。この机をつい一週間前まで使っていた人間はその種の古い思考回路の人間だったということだ。


 興味本位に故人の遺品を開いたり、物色したりするほど千景も無粋ではない。伸ばしかけた右手を自分の左手で制し、彼は椅子を元あった場所まで再び漕いで戻した。


 ちょうど彼がその座席から立ち上がった頃「ひさー」と言って朱燈が戻ってきた。階下の酒保で買ってきたと思しきビニール袋のロゴを引っ提げて入ってきた彼女はその紅灯のごとき目を今まさに立ち上がった千景に向け、「んーどしたん」と軽い調子で返した。


 「いや、なに。少しセンチメンタルでさ」

 「あそー?それよりも千景ー。見てよこれ!」


 ビニール袋から取り出したサンドウィッチを見せびらかし、朱燈は瞳を輝かせた。プラスチックパックではなく、紙によってくるまれたそれはほんのりとしたオレンジ色のソースがかけられたローストビーフが挟んであるサンドウィッチだった。


 珍しいものもあるもんだ、と千景はおーと感嘆符をこぼした。


 サンクチュアリにおいて肉類、根菜類、野菜類は手に入りにくい。畜産となれば相応のスペースを必要とするし、農業も右に同じく多量の水分、上等な土壌が必要不可欠となる。


 それは肉類、根菜類に関わらず、穀物類などにも言えることで、サンクチュアリの敷地の広さを以てしても、そんなことに電力や水を浪費してまで食の確保はできないのが現状だ。もっぱら、市民はもちろん、比較的上層に位置するサンクチュアリの行政官であっても普段の食卓に並ぶのはブロックフードと呼ばれる23世紀初頭に生み出された合成食料だ。


 従来、より高度で細分化された味の分類は料理人や美食家といった一部の人間にしか判断できないものだったが、料理を科学式に当てはめ、味を再現するという試みは古くからなされていた。極論、料理や食材の味を決定するのが内部の諸成分であるなら同量、同質のものを揃えれば再現は可能であるということだ。


 その結果、様々な合成食料が開発され、その完成形がブロックフードと呼ばれる究極の合成食品と謳われる発明品だ。ブロックフードの素体となるのはカレーのルーブロックサイズの小さな直方体だ。それをトマト味やブロッコリー味、果てはアジ味やマグロ味などに「着色」することでイメージ通りの味を再現できる。


 サンクチュアリに置かれている食料プラントで生産されているブロックフードによって内部では自給自足ができており、これなくして現在の人類社会は成り立っていない。まさに神の食糧、ブロックフードこそが現在の人類社会の大黒柱なのだ。


 では既存の天然食品はどうなったかと言えば、一部の好事家などは未だに天然物を好むきらいがある。電子化社会で未だに紙媒体の資料を好む物好きがいるように、やはり人類というものはどうあがいても本物の肉、本物の野菜、本物の穀物に焦がれるものなのだ。


 食糧プラントのスペースを使って飼育された牛や豚、鶏などの肉類はもちろん、じゃがいも、にんじんをはじめとした根菜類、トマト、キャベツなどの野菜類は高額ではあるが、取引がされ、多くの場合は未加工の状態で売られるが、ごく稀に食品として完成した状態で市場に流れることがある。朱燈の手にあるサンドウィッチなどがまさにそれだ。


 だから端的に換言すれば彼女の手にあるサンドウィッチはレアなのだ。例えるなら大航海時代のスパイスや塩、コショウのような価値あるものなのだ。


 自慢げにサンドウィッチを見せびらかす朱燈は代わりとばかりに千景に新たにビニール袋から取り出したブロック食品が入った箱物を渡す。リサイクルプラスチック、俗にリプラと呼ばれる透明なケースに入っていたのは赤い部分と茶色い部分がムース状になった長いブロックが三つと白い大きなブロック、そして小さな四つのブロックだった。


 「うげ、ハンバーガー弁当かよ」

 「いらないならもらうけど?」


 腹は減っているが、実を言えばあまり重たいものを食べる気分ではなかった千景はここぞとばかりに難色を示す。なんなら自分からもらった金で珍しいサンドウィッチを買い込みやがった朱燈には憎悪にも似た感情が芽生えていた。


 決して安くはなかっただろう、本物の肉、野菜が使われたサンドウィッチを外の自販機で買ったと思しき合成サイダー片手に朱燈は頬張る。その正面の席で千景は決して不味くはないが、やはり物寂しさを感じるブロック弁当をポリポリと齧った。


 ハンバーガーといえばこのちょっとの赤い部分と大部分を占める茶色い部分がムース状になった合成食品以外に千景は知らない。齧るとトマトの風味と牛肉特有のインパクトある味が舌先に広がるが、すぐに全部齧って飲み込んでしまうため、あまり満足感とか、充実感のようなものは感じられない。


 昔食べた肉類や野菜類のあの味わい深さと比べると、やはり味気ない。白い薄べったいブロック、ご飯も同じだ。そもご飯とはこんな食感だったかとさえ感じるほど淡白な味で、食っているのが過去映像で見たあのふっくらとしたご飯なのか、それともチップスの類なのか、判断つかなくなっていた。


 「なぁ、それ一口もらえない?」

 「えー。やだ」


 もう半分以上を食い終え、なお朱燈は強欲にサンドウィッチを頬張った。その余裕ある態度が癪に触ったので、千景は切り札を切った。


 「それ、俺の金なんだけど?」

 「ぐぅ」


 「いくらだったんだ?請求しようか?」


 千景もそうだが、朱燈も決して財布の中身に余裕がある立場ではない。様々な保障や手当がでる《《身体》》とはいえ、それでものっぴきならない事情がそれぞれある二人にとって金銭の貸し借りは死活問題だった。


 朱燈も意固地になるのは意味がない、と考えたのだろう。サンドウィッチの一部を千切り、千景の机の上に置いてあるブロック弁当の空きスペースにそれを置いた。なんとご丁寧に肉と野菜まで付けての待遇だ。


 「おお、これだよ、これ」


 久方ぶりの本物の肉の歯応え、風味、味わいに千景は感激する。ブロックフードは味は完璧に再現できるかもしれないが、歯応えや肉汁、野菜のシャキシャキ感などは再現できない。一度、本物の肉や野菜、パンのほのかな甘味を味わってしまえば、その味は一気に陳腐化する。


 しかし多くの市民、特にサンクチュアリで生まれ育った子供達はそうは思わないだろう。彼らからすればこの味が、この淡々としたつまらない一直線の味が当たり前で、いざ本物の肉や野菜を食べても、きっと獣臭いとか、苦いとかいう感想しか出てこないだろうから。


 「あーほんとこの仕事就いててよかったー!!」

 「贅沢ものー。ま、あたしも初めて食った時はちょっと感動したけどさ」


 チューチューとストローから合成サイダーをすする朱燈は感激する千景は少しだけ恥ずかしそうに見つめ続けた。てかさー、と彼女がストローから口を上げ、千景に顔を戻す。


 「千景って」


 『——招集要請の受諾を報告します』


 不意のアナウンスに千景と朱燈は視線を頭上に向けた。別に頭上に何かあるわけではなく、天井に埋め込まれた立体音響スピーカーによる音声だという自覚はあったが、なぜか反射的に視線を頭上へあげてしまった。


 奏でられたのはクリアな、しかし日本人離れした清音。ところどこのアクセントに訛りを感じる極めて事務的な声だった。


 『サンクチュアリ西部外周防衛領域2-23A区域に現生下位の群像種オーガフェイス12匹の侵入が確認されました。当該領域の哨戒を行っていたサンクチュアリ防衛軍所属西部第四哨戒小隊より応援要請を受諾。至急、当該領域の担当となっている宿直社員は現場に出動してください』


 繰り返します、と再度復唱するアナウンスの声が聞こえる前に千景は残っていた弁当の中身を平らげ、その容器をビニール袋に入れるとゴミ箱に捨てた。何を隠そう、オーガフェイス、フォールンが侵入した区域は彼の所属する「外径行動課第三特務分室第一小隊」の担当区域だからだ。


 同じように朱燈も渋々立ち上がり、サンドウィッチを飲み込んだ。飲みかけの合成サイダーもまとめてゴミ箱へと捨て、言葉をかわさずとも息ぴったりに彼らは部屋から出動した。


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