壁外探査任務Ⅲ
「冬馬、嘉鈴、降下してくれ。クー、お前は俺と一緒に援護」
「うい」
眠そうな目をこすりながらクーミンは頷く。冬馬と嘉鈴が降下するとガラ空きになった甲板に中腰で膝をつき、彼女はスコープを覗き込む。千景も同じ姿勢をとった。
どれを狙うべきか。スコープで覗きながら千景は思案する。
初手、ネメアを狙えと言ったのは千景だ。群れのヌシではないにしてもオス個体であり、影響力はそれなりにある。メスであるスフィンクスよりも心理的効果が望めた。
その目論見は成功し、ネメア達の動きは止まっている。プライドの王と思しき最後列の個体も見ているものが信じられないのか、唸るばかりだ。
一番いいのはボスを潰してしまうことなのだろうが、狙おうとすれば他のネメアやスフィンクスが動いて守ろうとしてくる。もう片方のネメアを狙っても答えは変わらない気がする。そも、ライフル銃の一撃で倒せるほどネメアらの仮面は脆くもない。
雨天というネメアの力が十全に発揮できない最高のタイミングではあるが、別にそれは千景達が強くなったわけではないのだ。相手がデメリットを背負うならば、相応のデメリットをこちらも背負う。そううまくはいかないのが自然界だ。
「んー。よし。まずはスフィンクスを討つ。雨天ならむしろ、こっちの方が厄介だ」
どの個体を狙うのか。その指示を千景は声に出して言わない。その代わりに適当なスフィンクスに対して銃撃を放ち、こいつを狙えと無言のアピールをした。
『出たよ。カッコつけ』『本当に可愛くない子』『飽きなさすぎじゃない?』
クリスティナ以外の三人がげんなりした様子でなんか言ってきた。
「うるせー。さっさと狙え」
はいはい、と三人は頷きまず朱燈、次いで冬馬が飛び出した。冬馬は利き手に盾、もう片方の手に軽機関銃を握り朱燈がスフィンクスと接敵する直前に彼女達の間に割って入ると挨拶代わりの銃撃を放った。
強襲を受け、狙われたスフィンクスはその体躯からは想像もできないしなやかな動きで跳躍し、距離を取る。着地し、迫る朱燈に対抗するかのように背部のF器官を持ち上げると彼女めがけて振り下ろした。
その一撃を朱燈は弧を描いて回避する。地面に突き立てられたF器官の周りをくるりと一周し、ガラ空きになった腹部へ転がり込んだ。
「はい二匹目」
『アホ、避けろ』
冷厳な警告を千景はこぼす。直後に放たれた彼の弾丸は朱燈が懐に潜り込んだスフィンクスの仮面に直撃し、ヒビを入れた。
仮面にヒビが入ったスフィンクスはわずかにのけ反るが、すぐに体勢を整えると放電する。可視化された雷火は青白い光を放ち、バチバチと空気の中で跳ねた。
『スフィンクスの発電量はネメア以下だ。ただし』
銃撃と同時に岩肌を回転しスフィンクスの股座から逃れた朱燈に千景の指摘と叱責が飛ぶ。
『雨の中じゃむしろそれが厄介だ。自分が感電する覚悟で放電しても死なないからな』
わかってる、と言いたそうな面持ちで朱燈は唸った。言いたくてもその事実が抜け落ちていた朱燈は反論ができない。千景が警告していなければ間違いなく黒焦げになっていた。
部隊の前衛が消えるということはわかりやすい火力担当が消えるということだ。クリスティナの重機関銃もどちらかといえば支援火器だ。ネメアの仮面を一撃で破壊できる力はない。
「朱燈、俺が間に入る。鎌くらいなら捌いてやるよ」
立ち上がる彼女に駆け寄る冬馬は利き手の盾を構え、牽制の銃弾をばら撒いた。銃弾から逃げるようにバックステップで身を翻るスフィンクス。その胴体目掛けて千景は銃弾を放った。
着弾と同時にスフィンクスの悲しげな声が漏れた。ネメアほど硬くはないその外皮は100メートル以内であれば対物ライフルでも十分に通用する。
やっぱり風向きか、などとイヤーキャップ越しにのほほんと風速や風向きを計測する千景を他所に朱燈はさらに追い討ちをかけた。仰け反ったスフィンクス目掛けて彼女は一刀を振り下ろす。
「しゃぁあああらぁ!!!」
ヒュンという風を切る音が鳴り響く。空中に跳んだ朱燈は落下する力を利用して回転し、さながら木枯らしのようにスフィンクスの仮面を刀で切って捨てた。
それは咬合する刃と仮面の衝撃音を置き去りにして、彼女が空を切った音だけを残した。高速で赤熱する太刀による一刀は容易くスフィンクスの仮面を切り捨て、その内側に隠された醜悪な正体を浮き彫りにする。
飛沫のせいで赤黒く染まった内側の筋肉が脈動し、歯茎が揺れて爛れた肉塊がこぼれ落ちる。震える前足が折れて前のめりに倒れるスフィンクスを足蹴にして、朱燈は残るネメア達に殺気を飛ばした。
千景、朱燈、そして冬馬がスフィンクスの相手をする傍、残るクリスティナ、嘉鈴、クーミンの三人は残るネメア達を牽制していた。一度火を噴けば自分達の外皮を貫く火器があるとわかって突っ込める度胸もないネメア達は遠巻きにスフィンクスが倒される光景を見ているしかなかった。
プライドのヌシもまたクーミンによってその動きを止められていた。彼女の放つ銃弾が時に足元を、時にF器官を穿ち注意をヘリへと向けさせられた。忌々しげに放電を繰り返すが、それはヘリには届かずただ周りで火花が散っただけだった。
「届くわけないんだよなー」
迫る雷撃はしかし10メートルと飛ばずにネメアの周辺に迸る。直後、無慈悲な銃弾がネメアの仮面を掠めた。
忌々しげにネメアは吠え立てた。掠める銃弾はチクチクと鬱陶しくその身に降る。それを高所の安全地帯から撃ってくる小娘が腹立たしくて仕方がない。しかし今のネメアに彼女を穿つ手段はなかった。
「使えないからな、電磁装甲」
マガジンを取り替え、クーミンに加勢する千景はポロリとこぼす。
「あんな高電圧の防御フィールドを大雨の中使った日には一発で感電死だ。かといって弱い電圧じゃ弾丸は反らせない。ま、自業自得ってことで」
スフィンクスを一体削ったことでそれまでヌシであるネメアの周りにいたスフィンクスも戦線に入ってきた。朱燈と冬馬は別れてそのスフィンクスに応対する。
上位種を一個小隊で相手取る。そんな妄想とも幻想とも取れる光景が現実のものとして実現できているのは主に環境が要因だ。
雨天、雷撃を利用するネメアやスフィンクスは十全にその力を使えない。デンキウナギと異なり、体内の脂肪が絶縁体のような働きをしない彼らは普段はF器官を用いて雷撃を放つことで感電するリスクを回避している。
それも体が濡れてしまえば意味がない。発電器官が体内にある都合上、少しなら耐えられても最大放電で行う電磁装甲は発動できない。
特技を封じられた雨天のネメアは並の中位種程度にまで危険度が下がる。他方、スフィンクスは発電量がネメアよりも低いためか、身体能力が高い。まず優先して倒す必要がある。
そのスフィンクスも5体中1体が消え、朱燈と冬馬が弄んでいる状態だ。片やクリスティナと嘉鈴は前線で相手取る二人の援護に周り、間断なく銃撃を続けていた。
銃声が常に響き渡り、その中を掻い潜って朱燈が翔ける。泥土の中を滑り、熱刀で以てネメアのF器官にぶつかり、スフィンクスの鋭刃と切り結んだ。
「よし、そのまま朱燈はネメア達の意識を自分に向けさせろ。冬馬、朱燈が危なそうだったら割って入って注意を逸らせ。クリス、嘉鈴。フェイクを入れろ。狙いはお前達から見て2時の方向!」
指示を下しながら千景はいまだに動かないヌシのネメアを一瞥する。ネメアもバカじゃない。劣勢になれば逃げる可能性もある。敗走することで自身の強さが疑われ、プライドの秩序が乱れるリスクはあるが、死ぬよりはマシだ。
それでも動かないのは王者としての尊厳か、それとも単に打つ手がわからないからか。なんにせよ、絶賛戦闘中の朱燈達のところへ走り出さなければそれでいい。
今の自分達の優勢はひとえにネメアが力押しをしてこないからだと千景は考えている。さすがに上位種6体が束になって猛然と向かってきたらもう勝ち目はない。素直に撤退するに限る。
「だから動いてくれるなよ〜。俺達にはお前らと殴り合ってる余裕はないんだからな」
雨天というハンデがありながらしかしネメアは強いし、スフィンクスは手強い。急襲、強襲したネメアとスフィンクス以外は倒せていないのがいい証拠だ。
切り結ぶ朱燈の刀もそれほどF器官にはダメージを与えていないし、射線がわかればクリスティナの重機関銃を躱すことはネメアやスフィンクスには容易い芸当だ。当てたければフェイクを入れる必要がある。
それでも状況は千景達有利になんとか傾いていた。次第にネメアの動きが鈍り始め、弾丸が当たるようになった。
疾走する朱燈はネメアを庇おう突出したスフィンクスの懐に潜り込み、掬い上げるように走らせた熱刀で振り下ろされたF器官を切断する。ヤケクソになったスフィンクスは折れたF器官を力任せに朱燈に向かって振り下ろすが、驚異的な反射神経でそれに対応した朱燈は根本を切り対処した。
追い詰められていくネメア達。彼らが一歩下がるごとに朱燈達は一歩前進する。威嚇するネメア達に出会った時の覇気はなく、ひどく弱々しかった。
ふとよこしまな考えが千景の脳裏によぎった。それを皮切りに確実に相手の死亡が確認できるまで言ってはいけない、考えてはいけない言葉のオンパレードが堰を切ったように頭の中に溢れ出す。
あってはいけないこと、しかし考えたくなってしまう。思いたくなってしまう。傲岸に。
——刹那、その妄想をかき消すようにして漆黒の影が木々の合間から現れた。
「は?」
それは一瞬にして傷ついたネメアに組みかかって動脈に噛み付くと絶命させた。漆黒のネメアだった。
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