壁外探査任務Ⅱ
続くセリフにヘリ内の全員が起き上がり、緊迫した雰囲気が漂った。
『複数のフォールンの群れです。数値、照合します。——解析出ました!ネメア、それからスフィンクスです!』
操縦士の語気が強まる。話ぶりからそれぞれ一体ずつということもないだろう。
「数は?」
『ネメアが3、スフィンクスが5です』
気がつけば操縦士の後背に立っていた千景は正面に見える開けた岩肌を見つめた。
古くは展望台だったのか、落下防止用の柵の名残が見える開けた岩肌。ロッジハウスを模したトイレが展望台の隅にはあり、よく周りを見れば登山道が通っていた。
だが本題はその上を闊歩しているネメアの群れ、プライドだ。ネメアが3体、そしてネメアのメス個体であるスフィンクスが5体の計8体の大所帯だ。
雨に濡れ、泥がついたネメアは自慢の赤毛が茶色く汚れ、いつにも増してワイルドな雰囲気を漂わせる。泥と水が滴る背部のF器官はさながら悪魔の黒翼に見えた。
片やスフィンクス、ネメアのメス個体でありながら別個の上位種に数えられるそのフォールンはネメアと比べて体毛の色素が濃く、赤ではなく橙色の元来のライオンに近い毛色をしている。特徴的な二本の細い鎌に似たF器官は雨水が滴り、よく研がれた処刑用の剣や斧を彷彿とさせる。
体躯はネメアよりも一回り小さく、立て髪も少ない。仮面の意匠もかなり異なっており、ネメアを勇ましい鬼面とするならば、スフィンクスのそれはだらしない笑顔の般若という表現が適切だろう。
彼らは上空を飛ぶ千景達のヘリに気づいており、人に似た双眸を浴びせてきた。別に目からビームが出るわけでもないのにとっさに片手を前に向かって突き出してしまったのは、きっとヘリのライトに照らされた彼らの双眸がぼんやりと白く光っていたからだ。
まずいな、と千景は心の中でこぼした。
ネメアのプライドと千景達の距離は100メートル以上あり、ジャンプで届く距離ではない。大雨の中ではお得意の雷撃も使えない。しかし多くの肉食動物がそうであるように、自分達の縄張りに入ってきた無粋な輩をネメアが見逃すわけもない。
全身の毛を逆立て威嚇する姿がはっきりと見えているから、それは確実だ。この場から離脱しても執拗に追いかけてくる。それこそ縄張りから出ていくまで。
運が悪いことに調査エリアはネメア達のプライドと重なってしまっている。よしんばこの場はうまく切り上げられても、再び戻ってくるのは二度手間だ。
「仕方ない。ここで戦うか」
足場は十二分に確保されている。岩肌のせいで多少は滑りやすいが、戦えないほどではない。むしろ千景の心配は眼下にあった。
展望台は絶壁の上にあり、その下を茶色に染まった濁流が流れている。落ちれば一巻の終わり、例え影槍を備えた強化人間だろうと波に揉まれてぐちゃぐちゃになるだろう。
飛んでいる時は気にも止めていなかったが、いざ降りて戦うとなるとどうしても背後の危険が目に入ってしまう。厄介な話だ。
「——各位、傾聴」
冷たい声音で千景はイヤーキャップ越しにヘリ内の隊員達に命令を下す。近づけば声を張る必要はないが、ヘリのローター音がうるさくては声も枯れる。元々声が大き方でもないから、楽な手段を使いたかった。
振り返り、千景は隊員達の顔を見る。
すでにトランプをしまい、武器庫から各々の銃器を取り出した彼らは臨戦態勢を整えていた。朱燈などは今にも刀を抱えて飛び出しそうだった。
「これから俺達はネメアのプライドを撃滅する。手短に言うぞ。朱燈、冬馬、嘉鈴それからクリスの四名は地上に降下。俺とクーはヘリに待機して、援護射撃を行う。質問はあるか?」
簡素なブリーフィング。しかし文句の一つも出なければ、疑問の声を上げる人間も出なかった。言われるがまま、彼らは降下用装備をヘリの座席の下部から取り出した。
命令を受け、朱燈達はベルトに降下用のワイヤーを取り付け始める。元々、彼らが着ているヴィーザルの戦闘員用の隊服は降下用装備を取り付ける仕様があるので、時間は1分とかからなかった。
手早く装備をつけ終わった彼らは一様にヘリのドアの前に並ぶ。横一列になった彼らの正面にあった横開きのドアは千景が壁に取り付けられたハンドルを回すと、ゆっくりと開いっていった。
ドアが開いていくにつれて雨風が彼らの頬を撫で、その身に降りかかった。上空を舞う木の葉がヘリの中に入り込み、夏場のかぐわしい濡れた匂いが一層濃くなっていった。
眼下に見えるネメア達は仕切りに吠えたて、ヘリを警戒する。横腹をさらし、中に朱燈達を見た時、彼らの咆哮はより一層激しいものへと変えた。
人間に対する明確な敵意。縄張りに侵入した不届きものへの純粋な殺意。獲物を見て抱く真っ黒な悪意。なるほどそのあり方は獣というよりも人に近い。
しかし彼らは人間ではない。説明することも馬鹿らしいまごうことなき悪魔達だ。
ならば殺すしかない。
「冬馬、嘉鈴、銃撃開始。15秒後、朱燈とクリスは降下して拠点を作れ」
『『了解』』
普段のおちゃらけた雰囲気はなく、二人の中衛銃撃者はその手に持った軽機関銃の引き金を引いた。
直後、アブの羽音にも似た快音が鳴り響いた。オレンジ色の閃光が彼らの銃口から発せられ、豪雨の中で弾けた。
霧中、灰色の世界に生じた火花は熱された鉄礫をその中から射ち出した。それは降り注ぐ雨の中を一直線に突き進み、地べたを這いずる獅子らに直撃した。
銃撃を受けネメア達は鳩が豆鉄砲を食ったように威嚇姿勢から一転して戦闘態勢へと移った。距離を置き、喉を鳴らす彼らは背部のF器官を持ち上げ、鳥が威嚇する時のようにめいいっぱい左右へ広げた。
降り注ぐ弾雨に苛立ち、怒号を上げる彼らを他所に千景は朱燈とクリスティナに降下後の指示を下す。降下地点にネメアもスフィンクスもいないことを確認し、二人はヘリの甲板から飛び降りた。
降下する二人を上昇する雨が襲う。二人の体は一瞬でびしょ濡れになり、着ていたワイシャツやズボン、中の下着が肌に密着した。
地面との激突スレスレでワイヤーの回転は止まり、反作用で二人の体は一瞬、宙を舞った。その瞬間、それまで止まっていたネメア達が一斉に動いた。
正面から走ってくるネメアが2体、スフィンクスが4体。無防備になったその一瞬を突き、彼らは怒涛の勢いで迫ってきた。
刹那、クリスティナの重機関銃が火を噴いた。軽機関銃と比べ物にならない雷鳴にも例えられる銃声が周囲一帯に響き渡る。それはネメア達が聞いたこともない音で、見たことない武器の産声だった。
銃口から吐き出された銃弾は迫るネメア、スフィンクスに向かって左から右へ、順ぐりに掃射される。空中かつ不安定な姿勢で撃たれたその銃弾はネメアに当たるわけもなかったが、彼らの突撃を止めるだけの力はあった。
ネメアらが突撃を停止したと隙をついて朱燈とクリスティナは展望台に着地する。手早く腰の降下用装備を取り外し、朱燈が前にクリスティナがその背後に立つ一列縦隊の陣形を取った。
クリスティナが自分の背後に立つとすぐ朱燈は抜刀し、ネメアに向かって走り出した。すでに帯熱刀のスイッチは入っており、彼女の等身に触れた雨は瞬時に蒸発し霧となった。
走り出す朱燈を援護するため、左右の重機関銃を構えるクリスティナは間髪入れずに引き金を引く。およそ人間が携行できる最大級の火力が無造作に解き放たれ、足を止めたネメアに襲いかかった。
軽機関銃、アサルトライフルは言うに及ばず、対物ライフルの一撃すら時として弾くその強靭な外皮を彼女の銃弾は刺し貫く。象の倍は分厚いとすら言われるしなやかでしかし強固な皮膚は重火力の連打を受け、血飛沫を上げた。
無論、それはクリスティナが銃撃を集中しているからだ。もしこれが散らして撃っていたらネメア、スフィンクスにはせいぜい、ちょっと痛い一撃だな、というくらいでしかなかった。
前足を貫かれ、自重を支えられなくなったネメアの一体が前のめりに倒れゆく。すかさず雨の中を疾走する朱燈がそのネメアめがけて刀剣を突き立てた。
硬質なネメアの仮面と言えど、無敵なわけではない。熱された刀剣は湯気を吐きながらその真っ白な曲線美の集合体にスルッと入り、真横へと走って、黒ずんだ血潮を纏わせて切り落とした。
元来、フォールンの仮面は元となった生物の骨が原型となり、変化しているイメージで言えばサイや鹿の角に近い。いわば体外に露出した強固な骨だ。それが肉体を司る脳機能と直結しているため、損傷すれば命を奪う。
瞬く間にネメアを一頭倒し、朱燈とクリスティナは次の獲物を見定める。どれを狙えばより効果的か、より心理的影響が強いか。群れを作る社会性がある獣ならばこそ、仲間の死は強烈な一撃となった。
ネメア達は動かない。わずかな時間で仲間を殺した朱燈とクリスティナを警戒して。その空白を利用して千景が動かないわけもなかった。




