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Vain  作者: 賀田 希道
【見知らぬ大地と獣たちについて】
41/97

壁外探査任務

 ヘリのローター音が空を切る。マルチローター機特有の独特のドップラー効果に似た高低差の激しい回転音を頭上に仰ぎ、雨天の空を千景達は飛んでいた。


 横殴りの雨、風は強く時折遠くの空に紫電が走り、遅れて雷鳴が轟いた。外に視線を移せば吹き荒れる風に巻かれた木の葉が舞っている。雨粒が際限なく窓に溢れ、触ってみると、ひんやりと肌を濡らした。


 ヘリの装甲に落ちた雨粒は跳ね、タタタタと鉄を打ち、表面を流れ落ちた。そしてそれは時にヘリの前面を曇らせ、窓に指を這わせるような痕を残した。


 眼下を望めば濃霧が立ち込め、今飛んでいる場所と一体どれだけ地上が離れているのか、見当もつかない。かろうじて操縦席の計器で進んでいる方向がわかるくらいだ。


 説明するまでもなく悪天候、密閉されたヘリの中にいても湿気に伴う野草に似た濃い匂いが漂ってくるほどにひどい天候だ。時折吹く突風の影響でヘリコプターは大きく揺れ、いかずちがヘリを掠めることもあった。


 しかし外のひどい天候に対してヘリの中の第三分室第一小隊の面々は気にするそぶりを見せないどころか、呑気にカードゲームに興じていた。せいぜい外の雷がうるせーなーぐらいにしか思っていない、安穏とした空気が漂っていた。


 冬馬、嘉鈴、そして朱燈が興じているのはポーカーやブラックジャックといった華やかでありながら渋みもあるレトロチックなゲームではなく、ババ抜きだ。英語圏風に言うならば「Lose with the Joker」。神経衰弱と並んで日本人に親しまれているトランプゲームだ。


 すでにゲームは終盤に差し迫っていて、それぞれの手にあるトランプカードは3、4枚にまで減っている。不毛にババを押し付けあって長引いているからか、カードを睨む三人の両目はやけに血走っていた。


 よほど勝負が行き詰まったのか、むむと唸る三人は睨み合ったまま自分の手番になってもなかなか相手のカードに手を伸ばそうとしない。掴んだかと思えば放し、再び掴むを何度も繰り返していた。


 「千景。あれは何をやってるんですか?」

 「ババ抜きだろ」


 「それはわかっています」


 むすっとクリスティナは頬を膨らませ、乱暴に読んでいた本を閉じた。蒼い瞳が暗くなり、今にも立ち上がって三人の団欒の中に核弾頭さながらにつっこみそうだったが、そうしなかったのは彼女の膝を枕にしてクーミンが寝ているからだ。


 くーくーと寝息を立てる彼女は最初はクリスティナの肩によりかかるように寝ていた。よだれを口元から垂らしてそれが防寒ジャケットにかかるのを嫌がったクリスティナはそっとクーミンの上半身を捕まえて自分の膝の上に下ろした。


 外は雷鳴が、頭上はヘリのローター音がうるさいのに、クーミンは微動だにしない。よほどクリスティナの健康的な太ももまくらが気に入ったのか、頬擦りまでしている。


 そんな心地よさそうな表情で寝ている少女を害するほどクリスティナも無粋ではない。苛立ちを落ち着けるために高速で貧乏ゆすりをする彼女を見て、おっかね、と千景は明後日の方向を向いた。


 「こんな天候ですから、少しは愚痴だって言いたくなりますよ。急な天候の悪化とはいえ」

 「関東圏じゃ珍しくことじゃないけどね。それにヘリコプターは雷雨の中でもちゃんと飛べるし」


 なんでだったか、と千景は記憶をさぐる。ローターがどうの、ブレードがどうのという話だった気がする。飛行機は機体の構造がどうのだった。そんなどうでもいい思考が一瞬だけ脳裏をよぎるが、すぐに隅に追いやり、視線を起こした。


 クリスティナの危惧が千景にわからないわけでもない。実際、雨天の中のヘリというものは安全とわかっていても怖いものがある。


 不安定な足場、真隣を走る紫電、吹き荒れる暴風。常に揺れ、安定しない籠の中にいると、ヘリが雷に当たって落ちるんじゃないか、風で煽られてヘリが岸壁に激突するんじゃないか、と変な想像が湧いてきてしまう。


 機能の有無ではない。ただどう感じるかが問題なのだ。


 「壁外探査なんて毎回こんなもんだって。慣れるしかない」

 「そうなんですか。こんな悪天候で調査ができるとは思えませんが」


 「1日、2日の任務ならそうかもしれないけど探査任務は一週間くらいは平気で使うからなぁ」


 端末を取り出し、千景はマップアプリを起動する。立体映像によって映し出されたホログラムを見ながら作業を始める彼にクリスティナは口をへの字に曲げ、そんなにですか、と返した。


 「本来はサンクチュアリ防衛軍の仕事さ。だからきっとクリスには馴染みがないんじゃないかな?」


 千景はクリスティナをクリスと呼ぶ。それもクリスティナが入隊することが決まってすぐにだ。なんで愛称ニックネームで呼ぶのかとすぐに聞き返すと、彼は三文字で呼びやすいから、と返した。


 曰く、白河 朱燈は朱燈、草苅 冬馬は冬馬、阿澄 嘉鈴は嘉鈴、クーミン・ミハイロフはクーと彼は呼ぶ。ならばクリスティナはクリスだ。ティナの方がいいか、とも聞かれたが、クリスでいいと彼女はきっぱりと断った。


 その安穏とした雰囲気は激戦区で昼夜を問わず戦ってきたクリスティナには新鮮であると同時に、ひどく危ういように思えたことだろう。愛称で呼ぶ時、彼女は常に千景に少し不機嫌そうな顔を向ける。


 今回もダニを見るような目、すぼんだ唇、カモメの翼を思わせる寄せられた眉によって形成される不愉快を詰め合わせた表情が見れると思っていた。しかしクリスティナが浮かべたのは全く別の表情だった。


 「それは、本当ですか?」

 「え、なにが?」


 「だから今言ったことです。本来は防衛軍の仕事だって」

 「え?あーうん。そうだな。そーだけど?」


 傭兵とはなんだ、と百人に聞けば百人が武装した人間と答える。雇われの部外者である傭兵の本懐とは戦闘し、戦闘し、戦闘することだ。もちろん生き残るために多少のお勉強はするが、比率は戦闘力が7、それ以外が3といった具合だろう。


 探査とは、調査とは誰の仕事だ。当然ながら専門的な知識を持っている人間の仕事だ。傭兵の仕事ではなく、彼らに求められる知識の中にそれはない。


 クリスティナは憤慨する。だべるカードゲーム三人衆に対して抱いた怒りに似た、しかしそれよりもさらに強い怒りを感じ立ち上がりそうになった。しかしすんでのところで自身の太ももを枕にしているクーミンのことを思い出し、彼女は上がりかけた腰を座席に戻した。


 「それは、俗に言う不適切な業務委託では?」

 「そーかもな。けど、どこでもやってることだろ?」


 「そんなことは!いえ。ないとは言いませんが、私がいたサンクチュアリでは」

 「そりゃオムスクは前線だからな。防衛軍も熟練揃いだろ。けどここは違う。それは今日までの任務でなんとなく察してるんじゃないか?」


 明確に危機が迫るユーラシア西部と違い、東部におけるフォールンの脅威というのはサンクチュアリから出ない人間にとっては壁の外の出来事に過ぎない。比較的襲撃が多いのは北海道は函館のサンクチュアリで、それ以外の場所ではフォールンがサンクチュアリを襲うのは滅多なことだ。まして日本列島最大である東京サンクチュアリを襲うフォールンというのはほとんどいない。


 フォールンの襲撃が少なければ兵士の練度も知れている。オーガフェイス数体に怯えるような人間ばかり、壁外で油断する人間ばかりだ。


 必然、防衛軍が怠ければその皺寄せを傭兵が受けることになる。雇用関係、契約と言ってしまえばそれまでで、提携関係をよくしたいとする営業部の後押しも相まって、本来は防衛軍がするべき仕事もこうして千景達のような木端がする羽目になるわけだ。


 事実、千景達が今遂行中の壁外探査も本来は防衛軍の情報部が行うべき仕事だ。危険な壁外の、それも奥地に出向いての探査。フォールンの生態調査や土壌の変化、気候変動などを調べる仕事だ。


 本来は専用の機材や観測用の計器を積んだ輸送ヘリが編隊を組んで調査班やその護衛の部隊を輸送するだろう任務だが、しかし千景達に用意されたのはランドセルサイズの計測器類一式とマルチローター機一機だけだ。


 「本当に、いいんですかそれで」

 「委託なんてそんなもんそんなもん。特別手当が出るだけ有情だよ」


 「お金なんてどうでもいいんですよ。憤りを覚えたりはしないんですか?」

 「別に。まぁ雨の中出向くのめんどくせーなーってぐらい?」


 ヘリがサンクチュアリを出発した時は確かに晴れていたのだが、旧富士ヶ峰付近にさしかかったあたりから急に天候が悪化した。珍しくはないが白ける天気だ。テンションもダダ下がりである。


 しかしクリスティナが聞きたかったのはそんな感想ではないようで、不機嫌そうに彼女は喉の奥から低い唸り声をあげた。


 「わかったよ。真面目に答えるよ」


 バツが悪そうに千景は両手をあげて降参の姿勢を取った。


 「そーだな。俺としては」


 『——メーデーメーデー!前方の岩床地帯に強いF.Dレベルを感知しました!』


 直後、緊張した操縦士の声が全員に届いた。

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