エアストライクⅣ
通信越しに状況を把握した千景は目線をへルンへ固定する。それまでは周りを飛ぶハルピーの撃墜に留めていたライフルの銃口を敵将へと向けた。
ライフルの下部に取り付けられたレーザーサイトをオンにすると、スコープの先に映るへルンの胸部に紅点が浮かび上がる。直後、千景は有無を言わせずに引き金を引いた。
カチンと小気味いい音がトリガーガードの内側で響くと、それを掻き消すライフルの重低音が跳ねた。ボルトを弾くと金色の薬莢が排出され、それはヘリの奥側へと転がっていった。
放たれた弾丸は群がるハルピーの壁をすり抜け、一直線にへルンへと向かう。初速888メートル毎秒、音速の倍以上の速度で飛翔する18ミリ対物貫徹弾は空を焼き、へルンの胸部を貫いた。
自分が貫かれるまで、へルンは何が起きたのかわからなかった。心臓部を抉り取られ、力無く落ちていくその堕天使を唯一、千景だけが雲下に消えるまで見つめていた。
「へルンを落とした。各位、周辺警戒。共食いを始める個体に注意しろ」
司令塔を失えば群れが瓦解する。そんなありきたりなルールが罷り通るなら、人類はここまで追い詰められてはいない。司令塔を代替できるからフォールンは厄介だ。
危機が迫ると突然変異的に群体の統率者が生まれるスイミー効果。群体生物を念頭に置かれて立てられた説は、フォールンの生態によく噛み合っていた。群をなすフォールンこそ、司令塔の代替は早い。
へルンが落ちたことに気づいたハルピー達はギャァギャァと喚きながら、カシャカシャと頭部の発光器官を点滅させる。それはカメラのフラッシュに似ていて、空の上で拝むにはいささか目に毒だった。
「光らせているやつを集中的に狙え!そいつは他よりも頭の回転が早いってことだ!」
「千景くん、2時の方向!」
ちぃ、と竟の警告に千景は舌打ちをこぼした。想定していたよりも早く、へルンになろうとする個体が生まれた。見てみると、すでに何体か輩を食らったようで、口の周りにはドロッとした肉片がこびりついていた。
そのハルピーが射線から逃れるように輸送機の底部へ逃げようとしていた。また仲間を呼ばれてはさすがに対処しきれない。悪態づきながらライフルを構え、逃げたハルピーを追う。
——さながら普段の行為を反芻するように、自然な形で千景は引き金を引いた。
弾丸とハルピーの距離は100メートルもない。1秒とかからず弾丸はハルピーの届く。
しかし、弾丸がハルピーに届くことはなかった。舞ったのは別のハルピー、その肉と羽毛だ。
「そういう仲間の友情とかは化け物に求めていないんだよ」
空になった薬莢を排出し、千景は次弾を装填する。その1秒かそこらの短い隙をつき、目当てのハルピーは輸送機の底部へと逃げた。
「すまん。弑損ねた」
「だいじょーぶ。あたしがやる」
詫びを入れる千景、それをフォローする朱燈は言うより早く駆け出していた。
輸送機の胴体部から主翼へと降り立った朱燈は瞬時に腰部から二本の影槍を出現させる。空へ飛び出した二本の影槍は瞬時に結晶を纏い、左右に飛び出した。
ビュン、と伸びた影槍は空を舞い、近くのハルピーに突き刺さる。ふらふらと落ち始めた個体の上に飛び降り、それを蹴って空中へとダイブした。
空中に身を投げ出すと同時に彼女は影槍を別のハルピーに突き刺した。まるでターザン。力尽きた端から朱燈はハルピーから影槍を引き抜き、別のハルピーに突き刺した。
その間、彼女に群がる無数のハルピーをことごとく、千景が、クーミンが、撃ち抜き、朱燈自身も手づから切り裂いていく。そうして彼女の輸送機の底部に近づいた時、目標のハルピーはすでに頸椎が大きく突き出しかかっていた。
「ちぃ、うざいなぁ!!」
輸送機の底部に取りついたハルピーと朱燈の距離は約30メートル。ここにいたるまで、ハルピーを乗り継いで来た朱燈の周りには、相手も警戒してか近寄ってこない。
近づく手段がない。輸送機の底部に影槍を突き刺せば、どこに異常が起きるかもわからない。朱燈の影槍は最長でも8メートルが限界だ。ゆえに彼女はおもむろに自身の腰に垂れ下げているホルスターに手を伸ばした。
「くっそ。射撃は苦手だってのに」
突き出した拳銃のスライドを口で引っ張り、コッキング状態にする。そして、狙いもあやふやなまま、朱燈は引き金を引いた。
中空にパン、という音が鳴る。乾いた銃声、放たれた弾丸は逸れ、空へと消えた。間髪入れずに朱燈は拳銃を撃ち続ける。その内一発は、偶然か必然か。ハルピーの翼をかすめた。
「いいからこっちに興味持てっての!」
銃弾を受け、ハルピーの両目がギョロリと朱燈に向けられる。大口を開き、自身に向かって迫るハルピーを鬼気迫る笑顔で朱燈は迎え撃つ。
彼女自身は身動きがとれない空中。ならば相手に向かってきてもらう他ない。影槍をハルピーに向け、朱燈は放つ。その両翼へ突き刺すと同時に影槍を縮め、朱燈はハルピーの頭蓋に両足をつけた。
ドスンと突如として自身の頭部を直撃した衝撃にハルピーは目を疑う。混乱が勝り、ギョロギョロと焦点が合わない両目を器用に動かす中、朱燈は頭蓋めがけて真っ逆さまに刀を突き刺した。
「いよし!」
仮面を破壊するまでもなく、頭部を突き刺されたハルピーは羽ばたく力を失い、糸が切れた傀儡のように雲下へと落ちようとしていた。無論、それは朱燈も同様だ。
「つ」
絶命と同時に朱燈はハルピーの顔面から飛び退く。わずかな無重力状態、大気のベッドに背を預け、文字通りの青天井を彼女は見つめる。
反射的に影槍を伸ばし、近くのハルピーを彼女は足場にしようとする。しかし頭蓋を砕くよりも前に突き出された朱燈の影槍は雲散霧消し、その目論見は砕かれた。
瞠目し、そんなに使ったか、と朱燈は首を傾げる。気づいていないところでエネルギーを消費しすぎた。そう言われればそれまでだ。
やばい、と彼女が気づいた頃にはその矮躯はもう降下を始めていた。
その身ひとつ、千景やクーミンといった狙撃陣は気づいたようだが、彼らが飛び出したところでもう間に合わない。輸送機にせめて取り付けられれば、と再び影槍を伸ばすが、タラップにすらかすらない。
眼前に訪れる美しい死の光景は思っていたよりも輝かしく、そして忌々しかった。宙空を飛翔する無数の怪鳥も、烈風を撒き散らす鉄の神輿も何もかもが。
「あ、死んだ」
『死んでませんて!』
刹那、黒腕が朱燈を掴む。がっしりと五本の爪が彼女の体を固定し、その華奢な体を持ち上げて輸送機の胴体上部まで運んだ。
爪から解放され、再び鋼の足場を踏み締める朱燈は振り返って、自身を救った黒腕と、その主を見る。紫銀のツインテールを靡かせて、うずくまるクリスティナは口元に血をぬぐった痕があった。
「サンキュ」
「どういたしまして。でも、ゲホ」
「影槍を使いすぎたって感じ?」
「そーですね」
影槍を使い過ぎれば人体に悪影響を及ぼす。吐血はその一例に過ぎない。ひどい場合は脱水症状で失神からの脳卒中でぽっくりなんてこともザラだ。
クリスティナは千景達が到着する前から戦い続けてきた。その過程で何度も影槍を使っていたのだろう。ボロボロと砕けていく彼女の影槍の耐久力のなさを考えれば、その戦いがどれだけ過酷だったかは、朱燈でも察せられた。
「ほんと、ありがと」
体がそんななのにさ、と言外にこぼす朱燈をよそに大丈夫です、とクリスティナは気丈に振る舞い、左右の重機関銃を再び持ち上げようとした。
その時だった。急に輸送機全体がガクンと揺れ、その高度を下げ始めた。なんだ、と二人が目を見張る中、ヘリに乗る千景から通信が入った。
『問題ない。すぐにまた上昇する。冬馬達がやってくれた。これから輸送機は速度を上げて、全力でこの空域を離脱する。振り落とされないように注意しろよ?』
気づけば、ヘリもまた輸送機と同じ方向を向き、先行するそぶりを見せていた。竟達が乗るヘリが先頭を、千景達が乗るヘリが輸送機の後方へと飛んでいく姿が見える。
千景の明言通り、高度を下げた輸送機は十数秒足らずで再び、高度を上げ始めた。同時に速度も上がっていき、向かい風の風圧が強くなっていった。
並走していたハルピー達は輸送機からどんどんと距離を離され、まるで駅のホームに立つ人々のように、みるみる内に後ろの方へと流されていった。
「やっと終わった」
「本当に、そうですね。はぁー」
輸送機の上で大の字になる朱燈、その隣にクリスティナは座り込み、後方へ流れていくハルピーを見つめていた。輸送機の背後に迫る巨大な積乱雲に吸い込まれていくハルピー達は悔しそうにギャァギャアと吠える。
『ん?——各員、周辺警戒!』
——唐突に千景の声が響く。やっと終わったと肩を荷を下ろしていた傭兵達はその警告に再び背筋を張り、しまいかけた銃器を持ち上げた。
大の字になっていた朱燈も起き上がり、周囲に視線を向けた。なんだなんだ、と通信に割り込む冬馬や苑秋を無視して、立ち上がった二人はおもむろに後方へ目を向けた。
——直後、後方の積乱雲が爆ぜた。
バフと積乱雲の表層部分が爆発し、中から低いいななきが聞こえた。舞い上がった雲は風によってさらに細かく薄くなり、その手前にいたハルピーの群れへと波のように押し寄せる。
なんだ、と朱燈は反転し、ゴーグルをかけた。ゴーグルのズーム機能を用いて彼女が何が起こっているのかを確認しようとすると、それに先んじて巨大な影が雲海を割って姿を現した。
巨大、そう巨大だ。
雲の層を貫く形で現れたその影は只中にいたハルピーの群れへと迫り、一息にそれを飲み込んだ。無論、すべてではない。だが千景達が撃ち漏らした群れの大部分をたった一口でその影は飲み込んだ。
雲海から跳ぶように現れたその影はザトウクジラを思わせるブリーチングを千景達に見せると、そのまま下降し、雲の飛沫を上げて迫る積乱雲の中へと消えていった。
光景はそれだけ。遠目で何が起こったのかよくわからない者もいた。しかし何が起こったのかを把握した人間にとっては圧巻の光景だった。しばらくは誰も声を出せなかったほどに。
「——なに、あれ」
やがて朱燈が疑問をこぼした。目にした黒い影、その正体について。
『モビーディックだろ、多分』
答えたのは千景だ。ひどく浮き足だった、楽しげな声音で彼は朱燈の問いに答えた。なにそれ、と間髪入れずに彼女は聞く。千景は即答した。
『バハムートの覇種さ。多分、この世で一番有名な』
バハムート。それはサンクチュアリに住むものは一生見ることはない最上位に分類されるフォールンの名称だ。壁外で活動する朱燈やクリスティナのようなヴィーザルの傭兵だって滅多にお目にかからない。まして、特異な存在である覇種ともなれば、宝くじを買って当選するくらいの確率だろう。
瞠目する朱燈は静かに薄れゆく積乱雲を見つめ続けた。周りの傭兵も気まずそうにしていて、言葉を発さない。直接見ていない冬馬や苑秋でさえ、何も言わなかった。
『ま、気にするな。世界は広いんだ。ああいうのだっているだろ、多分』
そんな場の空気を和まそうとする千景の発言は、案の定なんの効果ももたらさなかった。
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