エアストライクⅢ
一方、他所が不調なら、本所も不調などという話があるわけで、輸送機の操縦席では二人のヴィーザル隊員が悪戦苦闘していた。
「——クソ!あーしてこーして!燃料パイプのラインはこっちに組み替え」
「ふざけやがって!ちくしょう!」
輸送機機首の操縦室。ヘリの操縦席に倍する様々な計器やスイッチ類、電子機器類にあふれたマニア垂涎の一室である。しかし、二人がその部屋に入った時、彼らが予想していた電子音もなければ、空調の行き届いた部屋などは存在しなかった。
まず正面の曲線が印象的な窓ガラスには風穴が開いており、操縦席には何かのシミができていた。座席に詰められたスポンジなのか、綿なのかわからない詰め物があたりに四散していた。
穴はそれほど大きくはない。せいぜいが1.5リットルのペットボトル程度の直径だ。しかしの小さい穴とは裏腹に窓ガラスには亀裂が走り、びゅおびゅおと風を吸い込んでいた。
操縦室に冬馬と苑秋、二人の傭兵が入った時すでにその有様だった。何が起こったのか。二人は想像するよりも先に計器の安否を確認した。
幸いと言うべきか。計器、機械類には目立った故障はなかった。ただ強いて言うならば一部の操縦系にエラーが生じており、輸送機の速度は規定値を大きく下回っていた。
最初、それを見つけた時、なるほどなと苑秋は得心がいった。いかにハルピーが飛行型のフォールンであろうとその速度は音速を超えるなんてことはない。せいぜいが時速60キロから120キロ程度。乗客の安全を考慮した微速飛行であっても、十分に追い越せる速度だ。
しかし現実は違う。操縦系に異常がある、という懸念は的中したわけだ。
「——とりあえず、速度を戻すか」
そう言いながら冬馬は天井部のスイッチに手を伸ばす。しかし苑秋はその手を掴み、ちょっと待て、と反論した。
「なんだよ?」
「一応、俺は上官なんだが。まぁいい。そもそもどうして速度が落ちていたんだ?」
「そりゃ、あれだろ。この惨状を見ろよ。きっと操縦士の誰かしらが怪我負った時とかに間違って速度落としちまったんだろ」
「一応、これはエデン機関の輸送機だぞ?そんな、旧世代の凡ミスひとつでオートパイロット機能が崩れるものか」
別にサンクチュアリを運営している母体組織に全幅の信頼を寄せているわけではないが、苑秋が操縦資格を取った時に搭乗した小型の輸送機でさえ、試験官が手当たり次第にレバーやらスイッチやらを押してもオートパイロット機能は壊れなかった。況や、さらに大型の輸送機ともなればシステム面はすべてスイッチ操作、レバー操作ではなく、コンピューター制御になっている。
端的に換言すれば最悪、輸送機の操縦席の機材がまるまる吹き飛んでも問題はない。輸送機の胴体部に置かれているコンピューターブロックが無事であるなら。
ではどうして輸送機の速度が落ちているのか。それはわからない。
「コンピューターに細工をされたか?」
「下手な考え休むに似たりってな。なぁ、えんしゅーよ。そんなこと考えてないでとりあえずオートパイロットを切らないか?」
何故だか浮き足立つ冬馬はもう辛抱たまらんとばかりにスイッチを押したげな表情で苑秋を見つめる。愛玩動物が飼い主を物欲しそうに見る表情に似ているが、それは愛玩動物がするからかわいいのであって、20になった長身マッスルマンがやってもかわいくはない。
仕方ないな、と苑秋はオートパイロット機能をオフにする許可を下す。あいよ、と返す冬馬は手際よくスイッチを操作し、液晶パネルに自身のヴィーザルIDをかざした。電子制御が主流である現代において、システムの操作は基本的にカード一枚あれば事足りる。
IDに埋め込まれた冬馬の操縦免許のデータを読み取り、システムが「ACCESS VERIFIED」の画面になった。途端、オートパイロット機能が切れ、それまでは蹴り飛ばしても動かなかった操縦桿が動くようになった。
「とりあえず制御プログラムは正常、オートバランサーも正しく機能してるっと」
「見たところは正常だが」
「そういう変な勘繰りすんなよ。とりあえず速度上げるぞ」
右レバーを前に向かって倒し、次いで計器パネルの下部にある横並びの電子キーをすべて上げる。直後、左右に機体は揺れ、別の計器パネルに表示されている速度値がどんどん上がっていった。
よしよし、と冬馬は満足げにうなずいた。命懸けの銃撃戦も悪くはないがこういった大型輸送機の操縦ほど心が躍るものもない。いつの時代も男の子は銃器ではなく、重機の操縦にロマンを見出すのだ。
そう、ロマン。飛行機の操縦はある種のロマンだ。自分の両手で操縦桿を握り、離床し、加速し、その巨躯でもって大空を羽ばたく。実態はジェットエンジンで力任せに飛び立ち、揚力を得ているだけだが、そんな物理の最先端をその身ひとつでこなせるというのはすこぶるわくわくする。
「あー。こういうのを役得」
「おい。ちょっと待て。計器見ろ、計器」
なんだよ、と冬馬は唇をすぼめた。せっかく人が気分良く操縦しているというのに、随分な横槍だ。
若干、苛立ち気味に冬馬は苑秋を睨みながらも、言われた通りに彼の示した計器に目線を向けた。
「あぁ?なんだこりゃ」
「気づいたか?なぜかエネルギーが漏れている」
「冷静に言ってくれるな。つーか。なるほどそういうことかよ」
「ああ、おそらくな」
二人の間で意見が一致する。
何故、輸送機の速度が落ちていたのかの意見、その結論だ。
「エネルギーを節約して飛んでやがったわけか」
「そういうことだな。早急にエネルギー供給路をいじる必要があるな」
「面倒クセェ!!」
「言うなよ。俺だって面倒くさいんだから!」
二人の出した結論、それはコンピューター制御ならではの極めて非合理な結論だった。
どこかのタイミングでエンジンに送られる電力が漏れていた。それに対処しないまま飛んでいたせいで輸送機の速度はどんどん落ちていたわけだ。輸送機を飛翔させるための動力が液体燃料から電力一本に変わってからも時として漏電は起こり得る。
幸いと言うべきか、輸送機の動力機関はバッテリー式のみではなく、ソーラー発電式との併用型だ。ソーラー発電による電力の生成量はそう多くはないが、輸送機を飛ばし続けることはできる。
「とりあえず供給路はこっちで直す。漏電している箇所への電力供給はそっちで切れ!」
「わーってるって。あークソ。こういうパズルみたいなの苦手なんだよ!」
悪態をつきつつ、二人は突貫工事さながらに液晶パネルを操作する。尾翼の補助エンジンに回している電力をすべて切り、それまでは点灯していた通路表示の誘導灯も消した。
突然の消灯に機内の難民達は驚いたが、決して騒ぎ立てることはなかった。その気力もなかったと言えばそれまでだが。
「とにかくラインは引き直してっと」
「おい、千景!こっちはもうちっと時間がかかる。一応、5分後に速度が上がる予定だ。時間稼ぎ頼めるか?」
電力の供給経路を見直せば、あとはそれが正しく機能するかを検証すればいい。そのための時間が約3分、順次切断していたシステムの復旧に約2分。すべてを終えるのにかかる時間は5分、何かをするには十二分に足りる時間だ。
『わかった。善処する』
抑揚のない氷のような声だけが二人の耳に届いた。そっけない声音だ。聞き馴染みのある狩人の声だった。
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