第四章 対馬の宿命 その一
「こらー、お前たち、いい加減にしろ! こん馬鹿もんたちが」
静かな観光地に崎村老人の怒鳴り声が響いた。
和多都美神社の境内から続く駐車場を出ると道路があり、海に向かって鳥居が三基建っている。道路のすぐ先に建つ最初の鳥居と次の鳥居との間で、雄太と宗太が水をかけあいながら、けんかをしていた。
「はよ、あげってこい! この神聖なところで、なんばしよるか」
二人はあわてて、海からあがり、崎村老人のところへきた。足元は水と泥で汚れていた。服もぬれている。
「二人とも、はよ、車に乗れ! みつる、みんなを呼んできてくれ!」
七人の子どもたちは全員車に乗り、崎村老人は無言で車を走らせた。
崎村老人の家へ着くと、すぐに雄太と宗太は、風呂に連れていかれ、体を洗った。 崎村老人はずっと無言のままだ。
雄太と宗太は、はじめふくれっ面で、ふてくされたような態度だったが、崎村老人が何も言わないのが不安になったのか、いつしか二人ともしゅんとなった。
「お前たちはもともと争うようにできているんじゃ」
一言、そう言うと、みんなに座るように促した。
「なんで、あんなことになったのか?」
雄太と宗太の方を向いて尋ねた。
「宗太君が、真理子ちゃんが拾った真珠を馬鹿にしたけん」
「馬鹿にはしてない。本当のことを言っただけだ」
二人はまた口げんかになりそうになったが、崎村老人は、二人には構わず話し始めた。
「魏志倭人伝という、外国から日本をみて書かれた初めての書物がある。そんな古い本に、こん対馬んこつが日本として最初に書いてある。
対馬という国は、断崖絶壁が多く、山が深く、道は獣道のように細い。また水田が少なく、海産物を食し、朝鮮半島と日本本土を往来して交易を行っていると書いてあるんじゃ。
これが書かれたのが三世紀ぐらいで、今から千七百年くらい前のことだ。
こんな小さな島で、田畑も少なく米も獲れない島がなぜ外国の書物に、しかも一番最初にのるんだと思う?」
「それは、こんなに外国が近いんだから、いろいろと魅力もあるし、対馬を守らないと外国に取られると大変だからだよ。
そして、外国からしても、日本の最初の島。日本を手に入れたいと思ったら、対馬は重要な拠点となるよね」
宗太がそう言うと、みんなの目は崎村老人に集中した。
「おお、さすがだな、宗太。その通りだ。対馬は大陸と日本という国を結ぶ交通の要所で、とても重要な位置にある島だからだ。
対馬は攻めるも守るも、どちらも兼ねた要塞の島なんじゃ。それが、ずーっと古くから形を変えても、対馬が背負ってきた宿命だ。
もともと対馬には土着の民がおったとは思われるが、日本という国が形づくられると、その時々で、役人が派遣されてきておる。
対馬には、もともと『県のあたい』という一族がおって、そのあと郡司という役職についたようだが、県のあたいについては驚くことがある。
昨日行ったタカミムスビ神社は、造化三神のうちの一柱を祀ったすごい神社だ。
日本書紀という日本の歴史を書いた古い書物に、こう書かれておる。
日本の国のはじまりにおいて重要なタカミムスビの神を対馬の豆酘から大和、今でいう奈良だな。そこに移したと言うんじゃ。
その時、下県のあたいを祠官として招いていると書かれておる。そして、 その子孫が七二〇年から三代にわたり、伊勢神宮の大宮司となっておる。
これはすごいことじゃな。日本の神の先祖と言われる神さまが対 馬に祀られており、その神事をしていた宮司が、大和朝廷があった と思われる地へ行き、対馬流の祭祀が脈々と受け継がれ今に至る。誇らしいことじゃ。
もともと対馬で力をふるっていた県のあたい一族は、郡司という 役職となっていくんだが、その上には、中央から遣わされた国司という役人もおった。
今度行こうと思うとるが、金田城「かねたのき」とも言うがな、日本最古の山城が作られたのもこのころだ。
『白村江の戦い』と言って中国と朝鮮の一国の連合軍に日本軍が敗れた後、攻め入られるのを恐れ、壱岐・対馬、九州北部の防衛を強めた。その一環として、六六七年に金田城は作られたんじゃ。
城だけでなく、見張り、連絡経路もちゃんとつくられておった。
朝鮮半島からの船は韓国に一番近い展望所で見張られ、攻めてくる船があれば、のろしを焚き、途中何か所かの山で確認すると、そこでまた、のろしをあげ、そして、金田城で確認するというリレー方式で知らせをとばした。短時間で、防衛体制がとれるようになっておったらしい。
奈良、飛鳥時代以降、権力者が対馬に人を派遣するようになってからは、九州本土に近い厳原に中心が移ってきたんであろう。
平安時代、中央から遣わされた役人たちの締め付けがよっぽど厳しかったんじゃな。こんなこともあった。
『文徳天皇実録』という書に記されておる。
八五七年、対馬の上と下の郡司らが国府を焼き、国司を殺害したという「変」が起きた。
もともと対馬を治めとった地の役人が、当時の政府が遣わせたお役人に抵抗したったい。
しかし、かなうはずがない。大宰府より派遣された兵によって鎮圧され、厳しい刑罰が下された。
縄文、弥生などの古い時代は、今日行った佐護や、休憩した峰町、そして和多都美神社のある豊玉などを中心に栄えておったようじゃ。半島に近い地域じゃ。半島との行き来による貿易で栄えておったということだろう。
だから、中央に政権ができると、壱岐や対馬には必ず、役人が配置された。中央の権力者にとっても、貿易での利。そして、海外への足掛かりという意味でも壱岐・対馬は魅力的な要所だったんじゃ。おさえておきたい所だったんじゃよ。
縄文時代や弥生時代は、強力な力で日本の国という形にまとめられておらんじゃったから、対馬の土着の人々も、独自に貿易もやり、大陸とも交流があった。
大陸に近い上対馬や、上県の方が大陸との交流が盛んだったはず だから、文化の伝来も、対馬でも北の方が中心だったんだと思うとる。古い遺跡が豊玉町までに多いのはそういう理由だ。
あたい一族は、当時、上対馬、上県、下県すべての地域で力をふるっていて貿易も一族の手にあった。しかし、さっき話したように、国司に反抗して、乱を起こしたのちは、『県のあたい』の名は消えたようじゃ。そのあとに出た士族が阿比留一族だ」
「阿比留! 雄太君の名字と一緒じゃね」
佐原たけしが雄太の方を見て言った。
「そうやね」
雄太はまだしこりがあるのか、不機嫌な顔をしている。
「そうだ。雄太、おまえの先祖だ。
阿比留一族はもともと千葉県から来たともいわれておるが、乱を起こしたあがたの一族、特に下県、今の厳原を治めておった
が、名前を変えたのではないかという説もある。対馬下県のたあたいというたら、さっき言ったように豆酘のタカミムスビ神社と深いつ ながりがある。阿比留一族もすごい一族じゃ。
とにかく、阿比留一族は十世紀後半というから、九百年代後半には、対馬全島に力をおよぼした。
国の役人は任命されても実際、自身は九州本土にいて対馬には行かず、地元の役人に任せていたようなので、一時期、対馬は、阿比留一族の思いのままだった。
阿比留一族の力は、対馬全体に、対馬ならではの栄え方をしたようだ。対馬は神への信仰、そして対馬独自の天道信仰というのが根強くある。
県のあたいもそうであったが、阿比留一族も、神道と深いつながりがあった。阿比留神楽、阿比留文字なるものを残しておる。実際、その頃、宮司を務めるものも多かった。神社、祭祀が重要な役割や力をもっておったんじゃな。
昨日行ったタクズダマ神社の中に、豆酘寺の梵鐘があって、そこに阿比留宿弥良家と名前が彫られておる。昨日、タカミムスビ神社に行くときに左手に大きな鐘があったのに気づいとったか?
みんなにも説明しようと思ったのだが、あんまり、多くを話すと頭がこんがらがってしまうかとやめた」
「もう、じゅうぶん、こんがらがっとるよ!」
あははは......
雄太の言葉に、やっとみんなの笑い声が戻った。
「崎村のおじいさんは、どうして、そんなに歴史に詳しいんです
か?」
みつるが聞いた。
「ん? わしか。わしには対馬の先生がおってな」
「せんせい?」
雄太が目を丸くしてすっとんきょうに言った。
「なんば、そげん驚くとや? 雄太。じいちゃんにも先生くらいおるさ」
「先生ってだれ?」
「対馬市観光物産協会ってあるじゃろが。ティアラの横のふれあいどころたい」
「うん、知っとるよ」
「あそこに西局長っておるったい。西局長がじいちゃんの先生。
対馬の歴史でいうたら、永留さんをはじめ、他にも熱心に研究されておられる素晴らしい方もたくさんおられる。もう亡くなられたが、永留久恵さんは、たくさんの本も出され、対馬の歴史の第一人者だった。
西さんもそんな歴史の本をたくさん読んで勉強もしとられると思うが、西さんのすごいところは、現地調査たい。砲台跡も、神社も、山も海も動物も昆虫も、自分の足で歩き、自分の目で見たものを、話してくれたり、冊子にしてくれたり、ほんにわかりやすいんだ。
観光案内所にいったら、西さんが作った冊子がたくさんあるから、読んでみろ。写真付きでようわかる。わしの話より何倍もわかるぞ」
「へぇ、一回、西さんの話を聞いてみたくなりました」
すっかり機嫌が戻った宗太が口を開いた。
「さぁさ、ご飯ば食べよう。明日は、万松院という対馬の有名な観光地にもなっとるお寺にいくぞ」
翌日、八人は崎村老人の家から歩いて、万松院へ向かった。崎村老人の家を出て細い道を歩くと、大通りにでた。道沿いに大きな八幡宮の神社がある。
「あとで、この八幡宮にも参りに行こう」
国道を進むと、ティアラという厳原で一番大きいショッピングセ
ンターがあり、その角を曲がった。
「道の向こうにあるのが、夕べ言った西局長がおる観光物産協会の案内所とふれあいどころだ。対馬のお土産がいろいろ売ってある」 そこからまっすぐ歩いていくと、右手に大きくて立派な建物があった。
「万松院てあれ?」
みつるが聞いた。
「あれは、この春に建て替わった対馬の歴史博物館。帰りにあそこにも行くぞ」
「あんな新しいところに、秘宝の玉はなさそうだけど」
「玉はないかも知れんけど、ヒントがあるかもしれんぞ」
さらに進んでいくと急に道が狭くなった。
崎村老人が、左のほうを指さして、
「この建物は朝鮮通信使歴史館。万松院と深いつながりがあるから、ここにも寄らんといかん」
「行くとこいっぱいあるねー」
真理子がスカートのすそをひらひらとさせながら、楽し気に言った。
いよいよ道が狭くなったその先に山門があり、仁王像が見えた。左右対に並んでいる。
「ここは、対馬藩藩主、宗家の菩提寺だ」
崎村老人は、入り口の横にある受付で入場券を八枚買うと、山門ではなくく本堂の横から庭にはいり、本堂の戸を開けた。中に入ると、靴を脱ぎ、畳の部屋へ上がるようになっていた。入ってすぐ右側に金属でできた置物のようなものが三つあり、説明書きがあった。
「これは何?」
珍しく宗太が尋ねた。
「これは朝鮮通信使で、対馬藩が接待したお礼にと朝鮮国の国王からいただいた三具足だ」
「亀の上に大きな鶴が乗ってるね! 亀さん重そー」
みつるがふざけ気味に言うと、
「これは、仏具でろうそく立て、香炉、花びんだ。仏壇は見たことあるか?」
「うん。うちにあるよ」
「仏壇にも、ろうそく立て、お香立て、花びんがあるじゃろ。それの上等なものだ。本当は三セットいただいたそうじゃが、戦争の時に、金属が必要でお国に差し出さないといけなかったから、残ったのは1セットだけだ。朝鮮からもらった本物の三具足は、日本国中でもこれだけしかないかもしれんぞ」
「ふーん。すごいけど、玉に関係ありそうではないなー」
みつるは、興味なさそうに言った。
「ねぇ、ねぇ、さっきも朝鮮通信使って言ってたけど、朝鮮からのお便りがきてたの?」
真理子があどけない可愛い目を、さらに大きくして聞いた。
「お便りだが、手紙ではなく人が来たんだよ。あとで、詳しく話してあげるからなぁ」
本堂には、真ん中に立派な観音像があり、厳かな雰囲気を漂わせていた。
崎村老人は、用意された真ん中の座布団に座ると、子どもたちにも横に座るよう促した。
ろうそくに火をともし、お線香に火をつけると鐘をちーん、ちーんと二度鳴らし、手を合わせた。子どもたちも崎村老人をちらりと見ると、かしこまったように、目を閉じ手を合わせた。
お堂の横にもう一つ部屋があり、八人はそこへ進んだ。
「おー! すごい。これはなに?」
中国から来たワン・ルイファが驚いたように崎村老人を見た。
「これは、徳川家代々の将軍のお位牌じゃ」
そこだけ柵があり、入れないようになっている。柵の奥には棚があり、黒塗りに金箔がほどこされた位牌がたくさん並んでいた。
「徳川家の位牌がどうして対馬に?」 「それだけつながりが強く、対馬の力を誇示する必要があったん じゃろうな。朝鮮通信使の使節団を江戸まで案内し、もてなすのが対馬藩の役目だったんじゃ」
「へー。対馬は重要な仕事ばしよったんやね」
雄太が誇らしげにつぶやいた。
部屋の中を一通り見学すると、外へ出た。
「さぁ、宗太。ご先祖様にごあいさつにいくぞ!」
「え? ご先祖様ってどういうこと?」
みんなの視線が宗太に集中した。