最期の約束
あの結婚式から十四年後、エルは私と子どもたちの前から姿を消した。
その一年ほど前からエルは徐々に眠る時間が増えていった。四年前には彼女の父親が、三年前には母親が、そして前年には姉が亡くなっていた。魔力不足だった。彼女の祖母のゼルリダ殿も二年前に志半ばで病に倒れ、魔力提供を失ったエルがゆっくりとローレに取り込まれて行くのを、私は、私たちはただ見つめるしか出来なかった。
何も出来ないというのは、私の貧弱な語彙力では到底表しようもない苦しみだった。どうしようもないもどかしさと途轍もない無力さに打ちひしがれる。それでも子供たちがいたからそれを表に出すことが出来ない。心臓を抉られるような苦しさを抱えながら、私はエルの分も子供たちと過ごすようにしていた。
そんな私たちにエルは、何度も謝ってきた。魔力が少なくて申し訳ない、心配をかけて、悲しませてごめんなさいと。だが、エルが悪いわけではない。悪い者がいるとすれば、それは聖域に呪いを掛けた者だろう。
「謝られるよりもお礼を言われたいと言ったのはエルだろう?」
そんな風に言えば彼女は泣きながら笑みを浮かべ、ありがとうと言った。それからの彼女は常に穏やかな笑みを私たちに見せ、二度と謝ることはなかった。
あの日のことは、昨日のことのように覚えている。爽やかな風が気持ちいい夏の初めだった。その頃のエルは一日の大半を眠って過ごし、目が覚めても直ぐに眠ってしまうのを繰り返していた。それでも痩せ細るでもなく、いつもの姿を保っていたのはローレの影響だろうか。私と子どもたちはその日、エルの部屋を離れ難く感じてずっと寄り添っていた。
「エル……」
「ウィル様、そんな悲しいお顔をなさらないで」
ベッドに背を預けるエルは、いつもの笑みを浮かべながら私に手を伸ばした。その嫋やかな手を握れば彼女の体温が伝わってきて、私を安心させてくれた。
「だが……」
「私、とっても幸せですから」
そう言ってエルは、私の隣に立つ子供たちにも慈愛に満ちたその笑みを向けた。
「メアリー、愛しているわ。ハンスとお父様とお願いね」
「お母様……」
「ハンスもよ。いつでもあなたのことを思っているわ。どうかお父様とお姉様と仲良くしてね」
「は、はい、母上……」
手にした二人の手を、愛おしそうに頬に当てるエルの笑顔は春の陽だまりのように温かく穏やかだった。幸せそうなその笑みの記憶だけを私たちに残すかのようにも見えた。
「ウィル様、どうか二人をお願いしますわ」
「ああ、もちろんだ。二人とも私たちの大切な宝物だ。私の命をかけて守るよ」
「ありがとうございます。でもウィル様、私、これからも三人を見守り続けますから」
「お母様?」
エルの言葉に、メアリーが不思議そうに首をかしげた。十歳になった彼女は日に日にエルに似てきた。しっかり者だけどまだまだ母親が恋しい年で、懸命に泣くのを我慢しているのは一目瞭然だった。
「私は……ローレの中に残りますから」
「ローレの、中に……?」
「ええ。私、もうローレの一部になりつつあるのでしょうね。眠っていても皆の姿が見えるし、声も聞こえるんですよ」
不思議ですよね。そう言って微笑むエルはとても嘘を言っているようには見えなかった。それに、その感覚はエガードを受け容れていた私にもわかる気がした。
呪いで身体を失ったローレは、エルの魂だけでなく身体も取り込みつつあるけれど、死を迎えると完全に消滅する人と違い、エルはローレとして残る。その言葉は私にも子どもたちにも、大きな慰めになった。
その日の夜、エルはローレの姿に変わり、エガードと共に聖域へと帰っていった。
エルを失った喪失感は耐えがたいものだった。それは子どもたちも同じだっただろう。それでも、寂しさと悲しさに堪え難くなるとどこからともなくローレが現れた。私たちは交代でローレを抱きしめ、話しかけ、時には歌を歌い、そのままともに眠ることもあった。ローレは一言も話さないが、全身で私たちへの親愛の情を示してくれた。あれはきっとエルだったのだろう。
耐えがたさを埋めるべく、私は聖域を呪った者を追った。犯人が見つかったのは八年前で、その者は旧ヘルゲン公爵家の一族の一人で、その理由は嫉妬という些末なことだった。その者も共犯者も極刑となったが、それでもこの虚しさを埋めるには至らなかった。
それでも、子供たちの成長は私の生きる源になった。子どもたちの中にエルの面影を感じて涙腺が緩むようになったが、どうしても苦しい時にはローレの姿があった。
エルが去ってから二十年。エルが消えた初夏を過ぎ、夏を越え、庭の木々が色付き始めた。
メアリーは十一年前に嫁ぎ、ハンスは六年前に嫁を迎えた。二人とも私たちの影響で恋愛結婚だったが、メアリーの結婚はショックだったのを今でも覚えている。あの子は大きくなるとエルそっくりになったから余計にそう思ったのかもしれない。それでも、彼を選んだ理由がお父様に似ているからと言われれば、反対など出来る筈もなかった。
二年前にハンスに家督を譲って、今は屋敷の一角でのんびりと隠居生活を送っている。メアリーのところには三人、ハンスのところには四人の子が産まれて、私は七人の孫がいる爺になった。昼間は孫たちが元気に走り回るのを、エルが好きだった四阿から眺めるのが日課だ。空は青く、今日も庭には孫と使用人の子供たちの笑い声が響いていた。
「旦那様、お寒くありませんか?」
「ああ、大丈夫だ」
怪我で騎士を辞めて家令になったオスカーが声をかけてきた。年よりも老けて見えるが、それは私もだった。エルという優秀な解呪師を失い、エガードの加護も失った私は呪いにかかるたびに身体を蝕まれていった。定期的にトーマスが来てくれたが、それでも随分と老け込んでしまった。
「ウィル、また老けたな」
突然現れた声の方にゆっくりと振り返ると、銀と金の小犬がちょこんと座っていた。ああ、待っていたんだ、来てくれるのを。私はもう森には行けないから。
「エガード、久しぶりだな。来てくれて嬉しいよ」
懐かしくも愛おしい姿に自ずと笑みが浮かんだ。彼らは時々、こうして私の元にやってきた。そう言えば最後に会ったのは一年前、ハンスに子が産まれた時だったか。エルがいなくなった後は頻繁に姿を見せてくれたが、最近は年単位で間が空くようになっていた。
「エル」
手を差し出すと金色がちょんと私の膝に乗った。抱きしめると森の清々しい匂いがした。話は出来ないけれど、それでもこれは私が愛したエルだ。愛おしさが胸に広がる。
「エガード、あの約束を忘れないでくれよ」
「……本当にいいのか?」
「ああ。私は……エルと共にいたいんだ」
「……承知した」
乗り気ではないのかもしれないが気付かぬふりをして、その後は孫たちの声を聞きながら他愛もない昔話をした。殆どがエルのことだったけれど、時折出る父の話が懐かしい。
(何度も頼んでいたが……最後に念を押せてよかった)
約束を確かめられた安堵と日差しの温かさが眠気を誘う。膝に乗ったエルの重さも心地いい。
『ウィル様』
薄れゆく意識の奥で。笑顔のエルが私を呼んだ。
【完】
最後まで読んで下さってありがとうございます。




