登城要請
ウィル様から離婚しないとのお言葉を頂いた私は、結局あの後、泣いたまま眠ってしまいました。何という恥ずかしい失態でしょうか……子どもじゃないのに泣いて眠ってしまうなんて、恥ずかしくて穴があったら入りたいです。
それでも、ここを出ていくことを考えていた私には、今の状況は想定外すぎて心臓に悪いです。というのも……
「ウ、ウィル様、あの……」
「どうした?」
「どうしたって、ち、近過ぎます……」
今やお茶をするとウィル様が隣にピタッとくっ付いてくるのです。呪いを解く時も隣り合わせに座っていましたが、これほど近くはありませんでした。さすがに距離が近過ぎやしないでしょうか。
「そうか? だが私たちは夫婦なんだから、これくらいはいいだろう?」
「で、ですが……」
「出来れば私の膝の上にと思っているくらいだけど。エルがまだ慣れないだろうからと我慢しているんだよ?」
(ひ、膝の上って何ですか? しかもエルって……)
あの時以来、ウィル様は私のことをエルと呼ぶようになりました。私がウィル様を愛称で呼んでいるのだからと。それは何とも……思った以上に恥ずかしくて、呼ばれるたびに私は身悶えする羽目になっています。そして今のところ私たちの関係は清いままです。まだ心の準備が出来ていないので、もう少し時間を頂きたいとお願いしたところ、ウィル様も快諾して下さいました。でも……
(ウィル様って、こんな方だったかしら……)
最初の素っ気なく感情が全く伝わってこなかった印象が強過ぎるせいでしょうか。別人ではないかと思ってしまいます。いえ、感じる魔力は間違いなくウィル様のものなのですが……
ウィル様との話し合いから三日後、再びウィル様から話があると言われました。何でしょうか……あれから毎日膝の上に乗せる日が待ち遠しいなどと言われていますが、まさか今日こそ実行するおつもりじゃない、ですよね? そんな危惧を抱えていた私でしたが、内容は至極真面目なものでした。
「王都へ……ですか?」
「ああ、叔父上から登城要請が来てね。エルを連れてくるようにと。ついでに一月後の夜会にも出るようにとの仰せだ」
「夜会に……」
今まで一度も夜会に出たことがない私には、気の遠くなるようなお話でした。私、デビュタントもまだなのです。我が国ではデビュタントは十七歳の誕生日なのですが、お父様は私には出る価値がないからと留守番を命じられ、美しいドレスを身にまとったお姉様を羨ましく眺めていることしか出来ませんでした。
そのことをウィル様に話すと大層驚かれた上に苦々しい表情になりましたが、直ぐに「だったらあなたのためにデビュタント用のドレスを用意しよう」ととっても素敵な笑顔で言われてしまいました。ウィル様の笑顔が眩し過ぎて慣れそうにありません。
「そういう訳で、二日後には出発しようと思う」
「ふ、二日後ですか?」
「ああ、ドレスもどうせなら王都で選んだ方がいいだろう? 付き合いのあるいい店があるからそこで頼もう。その為には早く着いた方がいいからね」
そう言われてしまえば、反対する理由もありません。ドレスを作るのには時間がかかりますし、ここから王都までも最短で十二日はかかるのです。でも、王都に着いてからドレスを作って間に合うのでしょうか……
「心配いらないよ。腕がよくて仕事が早いデザイナーを知っているからね」
「そ、そうですか。では、お願いします」
ウィル様にそう言われてしまえば、それ以上心配することも失礼な気がします。ウィル様が大丈夫というからには大丈夫なのでしょう。何と言っても公爵家ですから。
そして本当に二日後には、私たちはヘルゲンの屋敷を出発しました。ここから王都までは馬車で十二日かかかる筈ですが、何と行きは船を使うのだそうです。
「船に乗るのですか?」
「ああ、ここから流れるヘルゲン川を下れば馬車よりも早いんだ。王都までは八日もかからないよ」
ヘルゲン川はこのヘルゲン領の北、国境にまたがるヘルゲン山脈から流れる川で、王都まで続いています。その為昔から王都に向かうのは船を使うのだそうです。馬車よりも早く快適なのだとか。
「船は初めてなので楽しみです」
「そうか。船は船で風情があっていいものだよ。馬車のように腰が痛くなることもないしね」
それは何という朗報でしょう。確かに馬車での長旅は腰やお尻が痛くなってしまうのですよね。王都近くの道が整備されているところならまだしも、地方ではそうはいきません。ここに来る時は強行軍で十分な準備もなく来たので、お尻がどうにかなってしまうかと思うほどに大変だったのです。
ウィル様が仰る通り、船の旅は穏やかで快適なものでした。最初は怖く感じましたが、思っていたよりは揺れも少なくて馬車よりもずっと快適でした。それにしても……
「エル? 寝ていた?」
「あ……ウィル様、ご、ごめんなさい」
「ああ、いいよ、そのままで。これまで色々あって疲れたんだろう。魔獣討伐なんて騎士でもない女性が行くことはまずないからね」
そうです、あれから何だか眠くて仕方ないのですよね。魔獣討伐やその後に続いた騎士の解呪に忙しかったので、その疲れだろうとお医者様にも言われました。確かにあの体験は想像以上に疲れましたし、衝撃的でしたから……精霊の儀式をしてからは解呪で疲れを感じることはなかったのですが、知らない間に疲れがたまっていたのでしょう。
「王都に着けばまた慌ただしくなる。今のうちにゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございます」
ウィル様の優しさが身に沁みます。でも、王都に着けば国王陛下との謁見や夜会もありますし、家族と顔を合せることになるのでしょう。想像するだけでもずしっと肩に重しが乗ったような気がします。どれ一つをとっても緊張するし、気も荷も重いです。せめて両親とお姉様が関わってこないでくれるといいのですが……不安はありましたが、それでも船の旅は快適で視るものすべてが目新しく、私は生まれて初めての船旅を満喫していました。




