通じ合った想い
ウィル様の離婚しない宣言に、私は完全に混乱に陥っていました。だって離婚する気でこの場に臨んだのに、当のウィル様は離婚しないつもりだったなんて……あり得ません。家格も顔面偏差値も才能も世間の評価も、何もかもが釣り合っていないのです。
唯一あるとすれば解呪の知識ですが、聖域の呪いが解けた今、私の重要性は格段に低くなりました。聖域が浄化されたからあの森に魔獣が出る可能性は激減しますし、そうなればウィル様が呪われることもないでしょう。仮に呪われても王都から解呪師を派遣して貰えば済むはずです。
「ウ、ウ、ウィル様、何を言って……やっと呪いが解けたのに……」
「何って……そもそもどうして呪いが解けたら離婚なのだ?」
「どうしてって……だって……」
私が混乱している一方でウィル様は冷静さを取り戻したようですが、真剣にそう尋ねてくる姿に益々困惑してしまいます。だって、この結婚は陛下の縁談除けなのです。でも今なら妻になりたい女性などいくらでもいるでしょう。社交界での評判も悪く何の能力も魅力のない私では、ウィル様の足を引っ張るばかりです。
私がそう説明すると、ウィル様ががっくり肩を落として「はぁ……」と盛大にため息をついた後で俯かれてしまいました。その向こうでライナーとデリカもため息をついていますが……皆さん、どういうことですか? うう、沈黙が居たたまれません……
「旦那様、くどいようですが、はっきり仰らないと奥方様には通じませんよ」
「う……」
「ええ、何度もそう申し上げましたのに……」
「……ぅぅ……」
ライナーとデリカが話す度に、ウィル様はダメージを受けているようにも見えました。
「あの、ライナー? デリカも。どういうこと?」
「ほら、やっぱり奥様には何一つ伝わっていませんでしたわ」
「まぁそうでしょうねぇ。旦那様もこっちの方面はからっきしでしたし」
「呪われている期間が長すぎましたものねぇ……」
誰も私の問いに答えてくれず、何だかしみじみとした雰囲気が室内に漂っています。
「旦那様、私共は退散しますから、しっかり奥方様と話し合って下さい」
「あ、ああ……」
「ちゃんと伝えて下さいまし。公爵家の存続が掛かっているのですからね!」
「わ、わかっている……」
「隣の間に控えておりますので、話が終わったらお呼びください」
「ああ」
そういうと三人は隣にある使用人の控えの間へさっさと行ってしまいました。最後にデリカが「ご武運を!」と言っていましたが……どういうことでしょうか?
「エルーシア」
「は、はい?」
呆然と三人が消えたドアを眺めていた私たちでしたが、先に我を取り戻したのはウィル様でした。またまた真剣な表情が一層険しくなって迫力が増しています。美人が怒ると怖いとはこういうことでしょうか……いえ、決して怒っているわけではないのでしょうが。
「エルーシア。先ほども言った通り、私は離婚する気はない」
「え? でも……」
「どうか最後まで聞いて欲しい。私は……あなたが呪いを解いてくれるようになってから、ずっとあなたのことが気になって仕方なかった」
「え? 気に……」
「誰もが私を見て怯え、悲鳴を上げて気を失う者もいた。だがあなただけは私を見ても怯えもせず、何故かお礼まで言った」
「え、あぁ……」
そんなこともありましたわね。お礼は……ウィル様は見せたくなかっただろうに無理やり見せて貰ったからで、特に他意はなかったのですが……
「あの後あなたは、呪いで悍ましくなった手を臆することなく取ってくれた。あの時私はどれほど歓喜したか……この十年で私に触れてくれたのは、父とライナー、デリカだけだった……」
悲しさや寂しさが入り混じった表情のウィル様は今にも泣きそうに見えました。この十年間、ずっと呪いで苦しみ続けてきたのですね。平気だ、痛みもないと仰っていたのは身体のことだけで、あの恐ろし気な姿の下で心はずっと悲鳴を上げていたのかもしれません。
「エルーシア、あなたを愛している。どうかこのまま私の妻でいて欲しい」
そう言うとウィル様は再びぎゅっと手に力を込めて、その麗しいお顔をずいっと近付けてきました。背にはソファがあるし逃がさんと言わんばかりに手をしっかり握られて、もう訳が分かりません。
「あ、あの……」
「何だ?」
「離婚は……」
「絶対にしない」
「……ぇ? 絶対?」
「あ、ああ。すまない。あなたがどうしても嫌だというのなら諦めよう。だが、どうか時間が欲しい。私があなたを口説く時間を」
「く、口説く……」
何を仰っているのですかと思っていると、ウィル様がソファから降りて私の前に跪きました。
「あなたが私を何とも思っていないのはわかっている。呪われた身ではと遠慮していたが……せめて一年、いや、半年でいい。あなたを口説く時間と権利が欲しい」
騎士のように片膝をついたウィル様に、両手を取ったままそう言われてしまいました。
(もしかして、ウィル様の言っていることは……)
「……ほ、本当に……」
「ん?」
「本当に、いいのですか? 私が、妻で……」
「勿論だ。いや、言い方を変えよう。私が妻にと望むのはあなた一人だけだ」
きっぱりはっきりと言い切られてしまいました。これは夢じゃ、ない?
「でも、わ、私は、出涸らしで……」
「そんなことはない」
「無能だって、家では……」
「解呪はエンゲルス先生のお墨付き、学園では首席レベルだろう? 無能な者に出来ることではないよ」
「それに美人でもありませんし……」
「とんでもない。あなたは愛らしくて可憐だ」
「へ?」
そんな風に言われたことがなかったせいか、変な声が出てしまいました。
「あなたはとても美しいよ。それでいて知的で私好みだ」
「そんな……」
「エルーシア、あなたは長年家族にぞんざいに扱われていて自信が持てないのだろう。だが私が望むのはあなただ。どうかそれは信じて欲しい。それともあなたは、私よりも家族の言うことを信じるか?」
ウィル様、その言い方は卑怯です。何があっても私が家族を信じるなんてあり得ません。あの人達にそんな価値など欠片もないのですから。ああでも、レオは別ですが。
「ウィル様、そんないい方はズルいです。私がウィル様より家族を信じるなんてあり得ません。だって私も……ずっとウィル様が、その、す、好きだっ、たから……」
もう恥ずかしさとか色んなものが入り混じって、私の神経はとっくに焼き切れてしまったのでしょう。普通では絶対に言えなかった言葉がすっと出てしまいました。
「エルーシア、それは!」
「お、お慕いしています、ウィル様。ずっと、お側に置いて……下さ……」
もうそれ以上は次々と流れてくる涙と感情の波を止めることが出来ませんでした。そんな私をウィル様はそっと抱きしめて、優しく背を撫で続けてくれたのでした。




