一世一代の名演技
女性の元を辞したウィル様は、私の手を握ったまま黙って歩を進めました。後ろからはマーゴが付いてきているのがちらっと見えました。どういうことかと目配せしましたが、マーゴからの反応はありませんでした。現状がわからない私は戸惑うばかりですし、ウィル様に呼び掛けても返事がありません。いつもよりもペースが速くてついていくのが精いっぱいです。
「エルーシア、少し話をしたい」
ウィル様は私室のソファに私を座らせると、その隣に腰かけられました。手は相変わらず繋いだままですが、表情も固いままです。先ほどの女性のことをお怒りなのでしょうか。それとも……
(わ、私の社交界での評判を聞いて、結婚を後悔されたのかしら……)
呪いが解けてからは随分前向きになったと感じていますが、王都が絡むとどうしても気が重くなってしまいます。それだけ嫌な思い出があるのですが……
でも、もしかしたら今が離婚を切り出すいい機会なのかもしれません。先ほどはオスカーの容態が急変して話せませんでしたが、こうなったのなら今がその時なのでしょう。
「エルーシア、私たちの結婚のことなのだが……」
(や、やっぱり……!)
凄く言い難そうにそう切り出したウィル様に、私はとうとうこの時が来たのだと悟りました。うう、今までの温かく幸せな日々は終わったのですね……
でも、ウィル様の妻が私では釣り合いがとれないのは事実ですし、何のメリットもありません。我が国では公爵家の当主は王家か侯爵家以上の家から妻を迎えるのが一般的で、伯爵家の私がウィル様に嫁ぐことが異例なのです。寂しいけれど離婚はウィル様の幸せには必要なことなのでしょう。
「ウィル様、わかっていますわ」
「エ、エルーシア、それは……」
もう片方の手を添えてウィル様の手をそっと包み込むと、自然に見えるよう静かに笑みを浮かべました。ここで泣いてはウィル様の負担になってしまいますし、円満離婚のためにも笑ってお別れを言うのが最善ですよね。これまでのご恩に報いるためにも、ここは一世一代の名演技を演じてみせます。
「エルーシア、私は……」
「ええ、わかっておりますわ、ウィル様。私もそのつもりでした。だから大丈夫です」
「そ、そうなのか?」
「ええ」
私は女優! 私は女優! そう心に念じながら笑みを浮かべました。一瞬でも気を抜けば泣いてしまいそうですが、今は涙厳禁です。私の涙腺は王都にいた時に枯れ果てたのです! だから大丈夫!
「それでは……」
「はい。離婚致しましょう。それがお互いにとって最善ですわ」
言葉の最後ににっこりと笑みを添えました。ここ大事です!
(い、言い切りましたわ、私。頑張りました!)
きっと一生で一番頑張ったと思います。泣きたい気分ですが、今にも泣いてしまいそうですが、言い切った達成感がそれを押し留めてくれています。後はこのまま最後まで演じ切るだけです。ウィル様に覚えていて貰うなら、泣き顔よりも笑顔の方がずっといいですから。
「………………は?」
私が達成感に満たされていると意外な言葉が聞こえました。何だか戸惑いが含まれているようにも感じます。実際ウィル様は困惑した表情で私を見下ろしていました。
(え? ど、どうなさったのかしら? 私、何か間違え、た……?)
ここは「そうか、あなたがそういうのなら」とウィル様が言って、円満離婚の筈ですが……予定では私に向けられる表情は少し寂しそうに見える笑顔だった筈で、困惑ではなかったはずです。
「あ、あの、ウィル様?」
私が呼びかけてもウィル様は固まっているのかピクリとも動きません。どうしたことかとマーゴに視線を向けると口元に両手を当てて驚きの表情を浮かべていますし、いつの間にかライナーやデリカもいますが、ライナーは額に手を当て、デリカは盛大にため息をついているところでした。えっと……?
「……旦那様……あれほどご進言致しましたのに……」
「旦那様、何度も申し上げたではないですか。言わなければ伝わらないと……」
「…………」
デリカとライナーが可哀相な者を見る目を向けて諭すようにそう言うと、ウィル様はがっくりと肩を落とされました。マーゴもその隣でうんうん頷いています。どうやら私以外はその意味が分かっているようです。どうしたことかと私が戸惑っていると、ウィル様が改めて私の方を向いて座り直し、今度は両手で私の手をがしっと音がしそうなくらいに力を込めて包みました。
「エルーシア」
「は、はい!」
何でしょう、物凄く真剣な表情で名を呼ばれて、思わず背筋がピンと伸びてしまいました。薄紫の瞳が何だかいつもよりもその存在を主張しているようにも見えますし、手が、握られた手が痛いです。でも、何だかそれを言える雰囲気ではありません。
「エルーシア、私は、あなたと、離婚する気は、ない」
「……は?」
しっかりゆっくりと区切ってウィル様がそう言われました。でも、区切られたせいか逆に言葉が頭に入ってきません。
(えっと……私は、あなたと、離婚する気は、ない……私はあなたと離婚する気はない……)
心の中で何度も繰り返してみます。この場合、私はウィル様であなたは私ですよね? 敢えて区切られた言葉を繋げて、ようやく頭に入ってきました。入ってきましたが……
「え、えええええ―――っ!!?」
その言葉の意味を理解した時、私は盛大な叫び声を止めることが出来ませんでした。
「離婚する気はないって……離婚しない? ど、どうして……どうしてそんなことを仰るんですか!!?」
今や私は大パニックです。




