神獣の事情
「ウィル様、この子犬、お知り合いですか?」
あまり感情を露わにしないウィル様がこんなに慌てたのは、トーマス様が私のことを『出涸らし令嬢』と呼んだ時以来でしょうか。ウィル様と何かしら関係があるのでしょうが、この子犬、どう見ても生後一、二ヶ月といったところです。ここにきて一月余り、今まで子犬を見たことも飼っていると聞いたこともありませんが……
「おい、ウィル、お前知り合いか?」
「知り合いというか……私の守護獣だ」
「守護獣!?」
守護獣とはまた初めて聞く言葉ですね。今まで読んだ本でもそのような記載はなかったように思いますが……
「エルーシア、この子犬、どこで?」
「庭の奥の方に横たわっていました」
「庭に?」
「ええ。精霊が集まっていたので何かと思って覗いたら……」
「ええっ!? ちょっと待って! エルーシア嬢、あんた精霊が視えるのか!?」
「え? あっ……!」
失敗しました。このことは誰にも内緒なのに……ウィル様だけならまだしもトーマス様にも知られてしまいました。マズいです……精霊が視えるのは国でも数人いるかどうかというレベルで、視えるとわかれば国に報告してその保護下に入ることになります。私はそれが不安で黙っていたのですが……
「なんてこった! 精霊が視える子が見過ごされていたなんて!」
「え? あ、あの……」
「そういうことなら早急に王都に報告しないと」
「え? あ、ま、待ってください。王都には言わないで下さい!」
「そういう訳にはいかない。これは王命なんだから」
「……っ!」
まさかここで失敗するなんて……思いもしませんでした。このことが知られれば国や家族に利用されるだけだと思って黙っていたのに……
「トーマス、落ち着け。エルーシアも大丈夫だ」
「だがウィル!」
「黙れ、小童。 その娘はわしのじゃ。勝手は許さん」
「え?」
「は?」
トーマス様の声を遮ったのは、聞いたことのない声でした。高いけれど古めかしい口調はこの場にいる誰にも心当たりはありませんが……
「エガード?」
ウィル様が問いかけたのはこの子犬でした。も、もしかして今の声、この子犬の……?
「気に入ったからこの娘はわしのじゃ。人間風情が勝手な真似をするな!」
「え? 小童? それって、俺?」
トーマス様が子犬に怒鳴られて混乱しています。子犬も怒鳴るといっても声が可愛らしくて、小さな子供が怒っているようでちっとも怖くありません。
「エガード、エルーシアは物じゃないんだぞ……」
ウィル様がこめかみを押さえて呆れています。
「何を言っておる、ウィルバート。お前の呪いを解いたのはこの娘だろう。この娘の魔力は心地よいし解呪も丁寧であった。わしはこの娘を気に入ったぞ!」
一方の子犬も負けてはいません。というか、一言言えば何倍にもなって返ってきます。そんな子犬にどうやら気に入られてしまったようですが、いいのでしょうか? ウィル様の守護獣、なのですよね……?
「……ウィル、頼む。わかるように説明してくれ」
どうやらトーマス様は想定外すぎる現状に混乱されてしまったようです。でも確かにわからないことがあり過ぎです。ここは説明が欲しいですわね。
「それじゃ、その子犬がこの地の神獣?」
「ああ、ヘルゲン領にはダームの森という巨大な森があって、その中に聖域があるんだ。エガードはその聖域に住む神獣だ」
「そこって……もしかして十年前にスタンピードがあった?」
「ああ、そうだ。あれで聖域が穢されたんだ。魔獣討伐に出た際、エガードに穢れを払う様に頼まれたんだが、その時にお互いの保護のためにと同化したんだ」
「同化? そんなことが出来るのか!?」
「一々煩いのぅ、小童。我らには造作もないことよ。あのままではわしは瘴気に冒されて魔獣に堕ちるところだったし、かといってあのまま森に留まることも出来なかった。そこでウィルバートと同化することにしたんじゃ。そうすればわしは生き永らえられるし、ウィルバートは呪いが効かなくなる。互いに悪い話ではないからな」
なるほど、ウィル様が呪われても無事だったのは神獣と同化していたからなのですね。時々ウィル様から感じた呪いとは違う何かはこの神獣だったのだとすれば納得です。でも、神獣が実在したことも驚きですが、人間の中で保護出来るなんて……
「ウィルバートは魔力が異様に多かったのが幸いじゃった。普通の人間ならわしの魔力に耐えられなかったじゃろう。まぁ、あの時はわしも瘴気で相当弱っていたからな」
「だったらどうしてその姿に?」
「呪いが大分解けたからじゃ。森の瘴気も随分収まったであろう? わしの力が戻りつつあるだけに、このままではお主よりもわしの力が勝ってしまう。だから力の一部を分離したのじゃ」
何というかもう、こうなってくるとお伽噺ですわね。神獣は人間には理解し得ない力をお持ちのようですが、そういうものだと受け止めるしかないのでしょう。トーマス様は頭を抱えていて、どうやら消化出来ずにいるようですが。
「確かに森の魔獣はかなり減った。だが完全にはまだ……」
「そうじゃな。だが、最初の頃に比べれば雲泥の差じゃよ。感謝する。そこの娘にもだ。ウィルバートの解呪が進まねば力を分けることも出来なかったからな」
「そうなのですか?」
「うむ。あのまま呪いを放置しておったら、いずれウィルバートがわしの魔力に負けて消えていたじゃろう。そういう意味ではお主はウィルバートの恩人じゃな」
「ええっ!?」
今、凄く怖いことを聞いたのですが? あのまま呪いを解かなかったらウィル様が消えていたって……嘘でしょ!?




