公爵夫人としての矜持
「プライドはねぇのかよ!?」
「何で黙っているんだよ?」
「あんた見ているとイライラするんだよ!」
ベッドに入ってからもオスカーに言われた言葉が頭から離れず、もう何度目かわからない寝返りを打ちました。夜もすっかり更けていますが、睡魔は全く私に訪れてくれません。
(……オスカーの言う通り、なのよね……)
言われた時は反感のあったオスカーの言葉も、時間が経ってよくよく考えれば真っ当なものだと思えてきました。マーゴの様子からもそれが正しいのでしょう。
それを認められないのは、長年の習慣のせいでしょうか。何も言い返さず、聞こえないふりをして、悪くなくても謝る。こうして両親やお姉様の理不尽という嵐をやり過ごしてきました。そうしなければ生きていけないとずっと思っていましたが……
(本当は、違ったのかしら……)
もっと強く言い返せば、諦めなければ、もしかしたら違う未来があったのでしょうか。お姉様の流す噂にそれは嘘だと、違うのだと言えば、誰かは耳を傾けてくれたのでしょうか。結局まんじりともせず、朝を迎えました。
(酷い顔……)
鏡に映った自分の顔に苦い思いが込み上げてきました。目の下に隈が出来て、目はその色同様にぼんやりしています。「地味で目立たない私」は、お姉様に目を付けられないように息をひそめて過ごしてきた結果です。
「奥方様、今日はちょっとイメージを変えてみましょうね」
そう言ってマーゴが私のメイクを始めました。いつもは髪もメイクも最低限ですが、今日のマーゴは何だか気合が入っています。クローゼットから出てきたワンピースもいつもよりも色がはっきりした深みのある赤です。
「さぁ、どうでしょう?」
姿見の前に立たされた自分に、暫く呆然としてしまいました。目の前にいるのは、いつものぼんやりした色彩の地味な私ではなく、はっきりした顔立ちで華やかなワンピースを着こなす知らない誰かです。
(これが……私?)
俄かには信じられませんが、そこにいたのは学園でよく見かけた華やかな一団と遜色ない令嬢でした。
「奥方様は顔立ちが整っていて、お化粧がよく映えますわ」
「え、ええ……私じゃないみたい……」
「これで少しでも自信をお持ちください」
「え?」
「屋敷の者が奥方様を侮ったのは見た目のせいもあったかもしれません。私の失態でした」
そう言ってマーゴは頭を下げましたが、何もしなくていいと言ったのは私です。でも……
「ありがとうマーゴ。これからは私も気を付けるわ。だから気になることがあったら教えてくれる?」
「勿論です」
部屋を出るとオスカーの姿はなく、別の人に代わったのだとマーゴが教えてくれました。ホッとしてしまったのは公爵夫人としてはまだまだでしょうか。
「今日は随分と雰囲気が違うのだな」
午前のお茶の時間、ウィル様にそう言われました。
「はい、少しはそれらしく見られるようにした方がいいかと思いまして」
「そうか。ああ、昨日はオスカーがすまなかった。私からも謝罪させて欲しい」
「え?」
「彼は……私を慕ってくれるのはいいのだが、少々度が過ぎていて。悪い奴ではないのだが……」
「い、いえ……それだけウィル様を大切に思っているのですわ」
オスカーの指摘は私に考える機会をくれたものでした。彼がはっきり言ってくれなければ、今も気付かないふりをして逃げていたでしょう。
「それでも、あなたに言っていい言葉ではなかった。そして彼にそう言わせたのは私の至らなさ故だ」
「そんな、ウィル様のせいでは……」
「いや、こちらの都合を押し付けたのは私なのに配慮が足りなかった。またつまらないことを言う者がいれば私に教えてほしい。あなたを守るのは私の義務だから」
「あ、ありがとうございます。私も頑張ります」
ウィル様の表情は相変わらずフードで見えませんが、気にかけて下さって心の奥が温かくなった気がしました。ここに置いて下さったウィル様のためにも、公爵夫人として振舞えるようにしっかりしないといけませんね。
休憩時間が過ぎたのでいつも通り書庫に向かうと、向こう側からイデリーナさんが、いえ、イデリーナがやってきました。着飾った私を見て目を丸くしましたが、直ぐにいつものように口の端を上げて蔑むような笑みを浮かべました。
「嫌だわ、みっともなく着飾ったりして」
すれ違いざまにそういうのが聞こえて、心臓が大きく跳ねるのを感じました。やはり彼女はお姉様によく似ています。でも、もう言われっぱなしではいられません。さっきウィル様にも頑張ると言ったばかりなのですから。
「お、お待ちなさい」
心臓はドキドキして今にも飛び出しそうですし、毅然とした声は出ませんでした。それでも声を出せた事実が、不思議と勇気をくれた気がします。
「何よ? 私は忙しいのよ」
「誰に物を言っているのです?」
「はぁ?」
「私が誰か、わからないのかしら?」
「そんなこと、知っているわよ。お飾りの公爵夫人でしょ」
「そうね。お飾りかもしれないわね」
「やっだー! 自分で言ってるなんて惨めったらしい~」
イデリーナは吹き出してけらけら笑い出しました。ウィル様の部屋が近いのに、よくそんなことが言えるなぁと感心してしまいます。
「お飾りかもしれないけれど、私は国王陛下がお選びになり、ウィル様が受け入れて下さった妻です」
「は?」
「呆れたわ、公爵家の中に王命を軽んじる者がいたなんて。あなたはウィル様を反逆者にするつもりなの?」
「そ、そんなわけないでしょう! わ、私はウィル様がお気の毒で……」
「そう。あなたは国王陛下がウィル様に気の毒な縁談を押し付けたと、陛下が悪意を持っていらっしゃると、そう仰るのね」
「あ……」
そこまで言うとようやく自分の言葉がどう受け取られるか理解したのでしょう。先ほどまでは血色のよかった顔が見る見る色をなくしていきます。
「もういいでしょう、イデリーナ」
「マ、マーゴ……」
「これ以上は旦那様の迷惑にしかならないわ」
「……」
イデリーナは糸が切れたようにその場にへたり込んでしまいました。軽い気持ちでやったことがとんでもなくマズいと気が付いたのでしょう。
一方の私も、その場に座り込みたい程に緊張がピークに達していました。こんなに勇気を振り絞ったのは人生で初めてかもしれません。それでも、今まで言えなかったことを言えたことは私にとって大きな一歩で、何とも表現のしようがない爽快感に包まれました。




