呪喰らい公爵
(うう、胃がもたれたわ……)
両親やお姉様、弟と一緒に夕食を頂いたのは随分久しぶりです。数年前から自室で食事を摂っていましたが、普段はパンと野菜や肉が入ったスープにサラダ、時々肉か魚が付くという内容なので、今日のようなフルコースは量が多すぎる上に脂っこいのです。
こうなったきっかけは来客との晩餐でした。そうは言っても特段変な発言をしたわけではありません。お客様に学園での成績を聞かれたので、直前の試験では一番だったとお答えしただけです。
でも、それは両親やお姉様にとって望ましくない答えだったのでしょう。我が家では優秀なのはお姉様で、お姉様を引き立てるために私は不出来な娘である必要があったのです。その日以来、私は来客と食事を共にすることはなく、自室で食事を取るように言われて団らんからも遠ざかっていました。
(それにしても……ヘルゲン公爵様だなんて……)
両親やお姉様はあんな風に言っていましたが、ヘルゲン公爵は国王陛下の弟君を父に持つ高貴な血筋の方で、伯爵家の私たちがあんな風に言っていい方ではありません。
それでも異形となられてからは社交界にも出て来られなくなったのもあり、王都では畏怖される一方で嘲笑されている面もあります。勿論国王陛下の甥御でいらっしゃるので表立って揶揄する方はいませんが……両親や姉のような態度を取る人が少なくないのも事実です。
ちなみに呪いとは魔獣がまき散らす瘴気のことです。断末魔の魔獣が吐き出す毒のようなものですが、魔力が含まれているので洗い流したり薬で解毒したり出来るものではありません。魔術を使って無効化するしかないのですが、それを行うのが解呪師という専門家です。
解呪は魔術の知識、魔力を視覚化出来ること、そしてそこそこの魔力があれば出来るのですが、失敗すればしっぺ返しもある上、地味で単調な作業になるために中々なり手がいません。それに多くの解呪師は魔術師になれるほどの魔力がなかった方がなることが多いため、魔術師よりも下に見られています。それでも私にとっては目標としている職業でした。
(でも、残念ながらそれも無理そうね……)
王命での婚姻ですから拒否権はありません。こうなっては学園を辞めるしかなく、解呪師になるのも不可能です。お姉様と指名されていても、あの様では手違いを装って私を送り込み、何だかんだとはぐらかしてその間にお姉様と第三王子殿下の婚約をまとめるつもりなのでしょう。そこまですれば変更は出来ませんから。
(結局、最後まで要らない子だったのね……)
お姉様とは双子でしたが、私はこの家には不要な存在だったようです。幼い頃からお姉様との差は感じていましたし、いつからか両親の愛情を求める気持ちもなくなりました。それでも、お姉様ほどとは言わなくても、私のことも見て欲しいと思うのはそんなに贅沢なことだったでしょうか……そうは思っても、今はもう涙も出てきません。ずっと前に涙も枯れてしまったのですから。
コンコン……
ぼんやりと暗闇に包まれた窓の外を眺めていると、控えめにドアを叩く音がしました。
「……姉上?」
「レオ? どうぞ」
訪ねてきたのは弟のレオナードでした。サラサラの金の髪に夏の空色の瞳、たれ目で優し気な顔立ちはまさに天使です。私よりも三つ下の彼はその風貌通りとても優しい子で、こんな私のことも気にかけてくれます。私にとっては唯一家族とも言える存在、いえ天使ですわね。
「姉上、聞きました。ヘルゲン公爵に嫁ぐと……」
「ええ。その様ね。私に縁談が来るなんて思わなかったからびっくりしちゃったわ」
心細そうな表情が痛々しくて、おどけるようにそう言ったのですが、レオは益々眉をしかめて泣きそうな表情になってしまいました。ああ、何て優しい子なのでしょう。この子の優しさが少しでも両親やお姉様にあったらと思わずにはいられません。
(ううん、むしろ優しくない方がよかったかもしれないわ。そのせいでこの先もレオは彼らに傷つけられるでしょうから……)
ここに来ていることを知られただけでも何を言われるかわかりません。レオは優しいので両親やお姉様に強く言い返すことも出来ませんから。だから私からは接触を避けていたのですが……嫁ぐ相手を知って心配してくれたのでしょう。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「姉上、私から父上にお願いします。出来るなら同じクラスの王女殿下に話をしてもいいです。何とかこの婚姻を……」
「ありがとう、レオ。でも私、行こうと思うの」
「姉上!?」
私の言葉にレオが驚いて声を大きくしたので、思わずしーっと口の前で人差し指を立てました。
「私ね、解呪師になりたかったの」
「ええ、ですから……」
「ヘルゲン公爵も公爵領も、呪いに冒されて大変だそうよ」
「はい。それは……」
「だからね、私でも役に立てると思うの。私は魔力が少なくて魔術師にはなれないし、ここにいてもお父様やお母様、お姉様の邪魔にしかならないわ」
「そんなことはありません! そんなことで姉上の価値が下がるなんて……」
「でも、ここにいても幸先がいいとは言えないわ。もしかしたらもっと条件の悪い相手に嫁がされるかもしれないし」
「それは……」
そんなことはない、とレオも言いきれなかったのでしょう。でも、両親やお姉様の私への態度を見ていればわかり切ったことです。
「私ね、誰かの役に立ちたいってずっと思っていたわ。だから公爵家に行くの。この家のためじゃなく、私自身のためによ」
「姉上……」
「ありがとう、レオ。でも大丈夫だから心配しないで。こう見えて私、結構図太いのよ。あの人達のお陰でね」
そう言ってちょっと意地悪い笑顔を浮かべると、レオは泣きそうになったけれど私の気持ちをわかってくれたみたいでした。
「……わかりました、姉上。ですが、どうか無理はしないで下さい。僕はいつでも姉上の味方ですから」
「ありがとうレオ。大好きよ」
そう言うと私はレオをそっと抱きしめました。童顔でまだまだ幼い顔立ちのままですが、いつの間にか私よりも背が高くなっていました。