第1話 僕が一人で訪れたトコ
★スキースノボで現世と常世を巡るファンタジー★
大学生のアキラは、一人でスキーケースを肩に担ぎ、雪道を歩いていた。彼は一緒にスキーを滑る相手がいないため、寂しさを感じている。
彼は高校生の頃、一人旅をした経験があり、高校2年の夏休みに京都に訪れたことがある。その旅行では、窃盗犯を捕まえようとして取っ組み合いとなった。その後、被害者の女性から介抱を受けたらしいが、記憶が飛んでいる。
アキラは山麓の小さな旅館に到着し、若女将に出迎えられる。部屋に案内された彼は、荷物の整理しながらスキーの思い出を回想する。
曇り空のクリスマスイヴの午後、僕はスキーケースを肩に担ぎ、大きなキャスターバッグを引いていた。除雪されたばかりの道を黙々と一人きりで歩いている。一緒にスキーを滑る相手はいなかった。
(一人旅なんて、高校2年以来だな)
◇――
初めての一人旅は高校2年の夏休みに出掛けた京都だった。同じタイミングで両親と妹は家族旅行に出掛けていたが、僕は一緒に旅行するのが嫌だったのだ。それに、自分一人でも何かを成し遂げることができると、証明したかった。
あのときは大変な目に遭った。宇治駅から歩いて平等院の近くを観光していたとき、女性の手提げバッグを奪おうとした窃盗犯と、取っ組み合いになってしまったのだ。目の前で行われた犯行を、僕は見逃すことができなかった。興奮していたからか、そのときの様子は断片的にしか覚えていない。
ぼんやりとした記憶では、犯人がナイフを取り出し、最後の抵抗で僕を刺した――。
その場に崩れるように倒れた僕は、窃盗の被害者の女性から介抱され、何か水のような物を飲まされた気がするが――、ここからの記憶が飛んでいる。僕は意識を失っている間、どこか別の場所の楽しい夢を見ていた。夢の内容は覚えていないが、介抱してくれた女性が登場したような気がする。そして、何か大事なことを忘れてしまった喪失感があった。
『あなたのおかげで、大切な手提げを奪われずに済みました。ありがとうございます。どこか痛むところはありませんか?』
『はい……、頭はぼんやりしていますが、身体は大丈夫みたいです』
『ご無事でよかったです。自らの危険を顧みず、とても勇敢な行動でしたね』
『僕の方こそ、ご面倒をおかけして、すみません』
警察が騒ぎを聞いて駆けつけたとき、犯人は意識がなく、ぐったり横たわっていた。女性の介抱を受けていた僕は、ゆっくりと立ち上がった。僕の服には穴が開き、僅かに血の跡も残っていた。でも、幸い運が良かったらしく、ナイフは表皮を傷つけただけで臓器に届いていなかった。僕の身体には、直ぐに取れた小さな瘡蓋だけが刺された痕跡として残されていた。
『あなたとは、またいつか、お会いするような気がします。お元気で』
被害者でもあり、僕を介抱してくれた女性は、着物姿の水色の髪をした女神のように綺麗な人だった。その女性は凛として優しく、僕には女神に見えた。
この窃盗犯を捕まえたことで、僕は警察から賞状をもらえた。その武勇伝は休み明けの学校でちょっとした話題になった。
高校では、あまり活動が活発でない文化系の部に入っていたこともあり、それからときどき一人で旅行に出掛けるようになった。旅行の目的は、観光とスキーだった。ただ、流石に受験を控えた高校3年の1年間は、旅行をせずに予備校に通った。そして、晴れて受験が終わり、大学のサークル活動に参加するようになると、僕はその仲間と旅行をするようになった。
――◇
そんなことを思い出しながら歩いているうちに、今回の目的地に着いた。ここに来るのは二度目になる。僕は山麓の小さな旅館の門をくぐった。
前回は晴れ晴れした気分での一人旅だったが、2年ぶりとなる、今回の一人旅は少し気が重い。僕は旅館の開き戸を開けた。
「……いらっしゃい」
フロント付近の掃除をしていた、割烹着姿の女性が振り向いた。
「アキラ君だよね? 2年前より背が高くなったね。久し振り」
「はい。今日から年末までお世話になります」
僕はスキー道具を乾燥室に運んでから、宿泊の受付を済ませた。
――
女性はこの旅館の若女将で、僕は2階に案内された。
若女将には、高校2年の冬休みに一人で来たときにもお世話になり、とても親切で温かく接してくれた。その良い印象があって同じ宿にしたのだが、直前の予約だったので満室になるギリギリで部屋を確保できた。
「まだチェックイン時間にはなっていないけど、部屋の用意ができているから、今から使ってもいいから――。ただ、以前と同じ部屋なんだけど、大丈夫?」
若女将がドアを開けると、そこは2年前にも使った6畳の和室だった。この部屋では楽しいことも悲しいこともあった。
「ありがとうございます。大丈夫です」
僕はお礼を言って部屋に入った。
「そうそう、今年は暖冬だから、カメムシが冬になっても活動していて、たまに部屋に入ってきちゃうことがあるから注意してね。見つけたら、テレビの横に冷凍殺虫スプレーがあるから使って」
「分かりました。刺激をすると、ゴキブリより厄介ですからね」
「本当よ。部屋に出ると消臭も大変で。これも、地球温暖化の影響なんでしょうね。以前は、冬に姿を見なかったんだけどね……。じゃあ、何かあったらフロントにいるから声をかけてね。ごゆっくり」
若女将は笑顔でそう言うと静かにドアを閉めた。
この旅館で一番安い、バスとトイレが共同の6畳の和室、ここがクリスマスから年末までの僕の山籠りの拠点になる。僕はキャスターバッグを開けて荷ほどきを始めた。同じ旅行でも僕はスキー旅行が好きだ。
僕がスキーを始めたのは物心がつく前だった。スキーブーム世代の親に連れられ、僕は高校1年まで毎年家族と一緒に長い時間をゲレンデで過ごした。そんな経緯で始めたスキーだったが、決して嫌いではなかった。
◆――
小学校高学年までは、妹と一緒に基礎スキーの検定を受けて級別のバッジをもらうのに夢中になった。その目標の達成後は、僕はフリースキーに足を踏み入れた。ゲレンデ内のパークにあるキッカーというジャンプ台を飛んだり、ジブという人工物の上を擦って滑ったり、ハーフパイプを滑るものだ。
それまでの基礎スキーとは違い、型に嵌まらないスキーは面白く、僕は夢中になって練習した。反対に妹の方は段々と練習をしなくなった。
『スキーだと友達ができない……。もっと学校の友達と遊びたい』
妹はそう言ってスキーから遠ざかっていった。僕の方はフリースキーが楽しくて練習を続けたが、それも高校1年の冬までだった。
――◆
キャスターバッグから出した荷物を整理し終えた僕は、カーテンを開けて部屋の窓から真っ白な山を見た。ふと網戸を見るとそこにはカメムシがいる。
(デカッ!?)
僕はテレビの横にあるスプレー缶を手に取って、窓ガラスを開け、網戸越しに殺虫剤をかけた。網戸から大きなカメムシがあっけなく落ちる。
(討伐完了! あー、びっくりした。そういえば、前回来たときには押し入れに一匹いたな……)
僕は窓ガラスを閉め、ガラス越しに雪山を眺めながら、2年前にこの旅館に来るまでのことを振り返った。
つづく