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苦手な方はご注意ください。

ランフォ衝撃小劇場

ランフォ衝撃小劇場VOL.1 平和ってすばらしい!!

作者: 蘭芳琳楠

ランフォが描く衝撃の短編ストーリー第一弾!




この作品には人種差別に関する蔑視表現が含まれます。作品の世界観に必要なアイテムとして、あえて表現させていただきますので、ご了承いただきますようお願いいたします。


「名前はシシウ・ヌバツ・小林くんだ」

 教師は言った。

 ボクは事前に教えられていたとおり、軽くお辞儀をしてみせる。心臓が飛び出しそうなほどドキドキしていた。

 だがしかし、思っていたほどの侮蔑的な視線はなかった。

 春の風が心地よく空いた窓から入って、カーテンを揺らしていた。

「小林くんは……」

 真面目そうな担任教師はボクをその名で呼んだ。

 縁もゆかりもない、ただ難民を受け入れるための手配をしてくれる民間団体が用意してくれた受け入れ先の善意のヒトの名だ。

 ボクの母国にはない発音なので、最初は違和感があったが、今はそれにも慣れつつある。

「アフリカのエウア共和国から来た」

 高校生たちはその名を聞いても、特に動揺する様子もなかった。事前にお世話をしてくれているヒトから聞いていたとおり、この国の若者は海外情勢に興味が薄い。ボクは内心、ホッと胸をなでおろした。

「みんなも知ってのとおり、エウアは一部の狂信的なテロリストたちに支配され、国家は崩壊、代わって……」

「『エウア自由解放の牙』」

 男子生徒のひとりが声を上げた。

「そうだ。テロリストたちは国家を支配したあと、周辺国への侵攻を繰り返し、今や一大勢力になりつつある。しかも彼らのやることが卑劣極まりないのはみんなも知っての通りだ。罪のないヒトを人質にして、周辺国や先進国から金品を巻き上げる。それに足りずにテロリストを難民に見せかけて先進国へ送り込んでテロ。最近では難民に炭疽菌を持たせて先進国へ入らせたり、放射性物質をばら撒かせたり、先進国の優秀な科学者を誘拐して狂気の兵器まで開発しているらしい」

 みんながうんうんとうなづいている。

「特に」

 教師が眼鏡をさわった。

「特に怒りを感じるのが、サイボーグ技術を使った非人道的な人体改造だ」

 誰かが指笛で応えた。しかし興味なさそうな顔が大半だった。

「体内に爆弾を埋め込まれて、テロに利用されるんだよね」

 女子生徒のひとりが言った。

 しかしそれ以上クラス内の会話は続かなかった。

 どうやら、ある程度の事情はみんな知っているようだが、かと言ってボクを毛嫌いするかのようなそぶりを見せる者もいないようだ。

 一番恐れていたことをやり過ごせたと思い、ボクは少し楽になった気がした。

「小林くんはたいへん気の毒なことにご両親を亡くされ、難民として我が国に受け入れられた」

 そこまで言うと教師は銀縁のメガネを直し、ボクに向き直った。

「なあ、小林くん、大変だったと思うよ」

 妙に感傷的になった教師はオガワさんといった。

 彼は少し目に涙を浮かべていた。

「そこでみんなにお願いだ。どうか。どうか、小林くんを受け入れてやってくれたまえ」

 沈黙が流れた。

 遠くで犬の鳴く声がした。永遠のような数秒だった。

 ボクは辛くなって下を向くしかなかった。

 その時、パチパチと手を叩く音が聞こえた。

 顔を上げると、一番後ろの席に座っていた女生徒が拍手をしていた。

 それにつられるようにパチパチが大きくなり、やがて大きな拍手のうねりとなった。

「そうか、そうか!」

 オガワさんは、いや、オガワ先生は両手を大きく広げて、拍手を制止すると感無量の涙を流して生徒たちに一礼した。

「ありがとう、みんな! ありがとう」


「シシウくんっていうの」

 ボクにあてがわれた席は一番うしろの真ん中だった。さっき最初に拍手をしてくれた女生徒のちょうど右側にあたる。

 横目でみると、ショートヘアがよく似合う活発そうな子だった。

 この国の女性はみな、きれいで清潔だ。

 近くにいるととってもいい香りがしてきて、なんだかお花畑にいるような気になってくる。

「イエス」

 この国へ来て母国語を口にすることはほとんどなくなっていた。難民キャンプにいた二年間で覚えた英語なら、この国の言葉よりは自信があったから自然と口をついて出た。

「英語話せるの? うわ、かっこいい!」

 彼女が歓声をあげると、昼休みの教室にいた男子生徒の何人かが振り返り、残りの何人かは見てないふりをしながら状況確認を始めたのがわかった。

「あ、あたしね。マミ。イノウエ・マミ。あ、マミ・イノウエか。マミって呼んで」

 彼女が白い歯を見せて笑った。

 こんなに白い歯がきれいに並んでいるヒトを見たことがなかったから、ボクはその美しさに吸い込まれそうになった。

「マミ、さすがすぐに仲良くなるねえ」

 数人の女生徒が集まってきた。

 みな好奇の目というよりむしろ、拾ってきた子犬に向けるかのような視線だった。

 ギリシャの難民キャンプやマルセイユの収容施設にいたころの刺すような視線や敵意、ゴミを見るかのような目はここにはまるでなかった。

「ねね。写メ撮っていい? SNSに上げるんだけど、シシウくんは顔出しオッケーな感じ?」

 マミの言葉の意味はよくわからなかったが、手にしているのがスマートフォンだったので写真を撮ろうとしているのがわかった。

「OK」

 遠慮気味な小声になった。

「わー、サイコー!」

 マミはそう言って、椅子をボクの脇に寄せるとそこに座って、顔をボクに近づけた。

「うわ、シシウくん、顔ちっちゃ」

 そういうとみんなが笑ったので、ボクも意味を理解せぬままに笑った。

 マミから若葉の香りが届いて、ボクの胸の中で鐘が鳴った。

「わあ。マミずるい! あたしも撮っていいよね」

 後で聞いたのだが、ハルナという髪の長い女生徒がマミの席をぶんどって、彼らがいうツーショット写真を撮ったから、次から次へと同じ行為を希望する女生徒がそこへ座ることになった。

 ボクはただ翻弄されてオロオロするばかりで、少しこわばった笑みを浮かべた顔で写真に納まるしかなかった。

 しかし、そのあとの彼女たちは全員が座る際に自己紹介をしてくれたので、ある程度は名前を覚えることができた。

 それにしても彼女たちがみないい匂いを発していることに、不思議な感慨を覚えた。豊かとはこういうことなのだろう。

「シシウくんにさ、あだ名付けようよ」

 キララという変わった響きを持つ名前の女生徒が言い出した。

「たしかにシシウくんじゃ、ちょいツマんなさげ」

「ねね、この縮れた感じのヘアってさ」

 さっき自己紹介してくれたリサが言った。

「だめよ」

 制止したのはマミだった。

「そういうのは」

「あ、ごめんね、シシウくん」

 リサは両手を胸の前で合わせて、頭を下げてきた。

 仏教徒の作法のひとつで、謝罪か、依頼をしているのだとわかっていたから、さっきのヘアという単語から、この国のヒトには珍しい髪質について、なにか言ったことに対する訂正だろうと理解した。

「No Problem」

「うわ、発音かっけー」

 マミが言うと、みんなが盛り上がった。

 ボクは何が彼女らを興奮させているのかよく理解していなかったが、当初いだいていた不安は今のところ、杞憂だったと考えることにした。

「そうだ! シシオはどう?」

マミが言った。

「シシオ?」

「そう。獅子の男、シシウくんと発音似てるし、それにライオンマンって意味でしょ。アフリカンな彼にぴったり!」

 笑い声に嘲笑的な響きがないことが、ボクにとっての救いだった。

「いいね! 獅子男くんにしよ! 決定!」

 ボクはその瞬間からシシオ、獅子男になった。

「シシオくん、あたしとも写真撮ってよ!」

 その後も教室は盛り上がり、男子生徒の一部もボクと写真を撮ってくれ、午後の授業開始を告げるチャイムが鳴るまで続いた。


「どうだった、初日の感想は?」

 オガワ先生は放課後の職員室で笑顔を見せた。

 午後の授業を担当した教師からどんな報告が出ているかはわからない。ただ、ボクは午後の数時間を夢心地で過ごしていたから、授業態度に対する評価が悪くてもしかたないと思った。しかし先生はボクの肩を抱くだけで、苦言は口にしなかった。

「アリガトウゴザイマス」

 この言葉が今の自分の心境のすべてだった。

「そうか、そうか。小林くん、その調子で頼むよ。あ、そうそう。トラブルだけは絶対に回避してくれたまえ」

 小川先生は感動屋のようだ。ボクの両手を取って喜びを表現してくれたが、実のところ彼の言葉の意味はあまりわからなかった。

 ただ、言葉の後半はこの後にも何度も繰り返し聞かされたから、意味は理解するようになった。

「先生、お掃除終わりました」

 あとで知ることになる学級日誌と呼ばれる記録簿をもってマミが入ってきた。

 彼女の持つ雰囲気はこの殺風景な職員室でもキラキラと輝いてみえた。

「おー、井上!」

 オガワ先生が立ち上がって、彼女から日誌を受け取った。

「今日のあれな。ファインプレイだぞ、ほんと」

 オガワ先生が言った。

「へ? なんのことっすか」

「小林くんに拍手くれたろ」

「あー、だって、拍手しないと失礼っしょ」

 マミとオガワ先生のやりとりはよくわからなかったが、どうやら何か褒められているようだ。

 マミは褒められている。褒められることをしたのだ。

 それはきっと、このボクに関係することなのだろう。

 ボクに対して教師から褒められたのなら、きっとあの拍手のことに違いない。

 推測にしかすぎないが、ボクは素直に自分の感情を伝えたかった。

「アリガトウゴザイマス」

 きょとんとしたマミの顔が次の瞬間笑顔にかわった。

 あのまぶしいまでに白い歯が少し見えた。

「どういたしまして」

 その言葉は知っていた。この国に来て以来、なにかと世話をしてくれた関係者やボランティアのヒトに感謝の言葉を伝えたとき、彼らは決まってその言葉を返してくれた。小林さん夫妻もしょっちゅうそう言ってくれる。

 ボクは自然と笑顔を浮かべていた。

もちろん、自然と笑みを浮かべるなんてことが自分にできるとは思っていなかったのに。


 月日が流れ、梅雨という名の雨季が来るころには学校での生活にも慣れた。

 優しい教師や優しい同級生たちに励まされ、時には守ってもらい、時には力になってもらいながら、ボクは必死でこの環境に適応しようと努力した。

 まず、言語を習得すること。

 この一点だったから、ボクはより多くのヒアリングをするため、メディアを漁り、生の声、生の言語の獲得のため、友に話しかけた。

 誰も嫌がらずに付き合ってくれたし、ついには友人になってくれるものも現れた。

 ショウジとタクヤは今や親友といってもいい存在だったし、それ以外にも友人の名をあげたらきりがないほどに増えていた。

 学校だけじゃない。地域社会だけじゃない。

 支援団体の主導でメディアを活用した。

 かわいそうなエウアの難民が必死でこの国の社会に溶け込もうとしている姿をあえてSNSなどに流すことで、より多くの知見を得ることに成功したボクは、いつの間か報道メディアにも取り上げられ、ほんの一部の心ないヒトの攻撃があったとはいえ、難民キャンプ時代の苦痛を思えばそれさえ良い思い出であるかのような錯覚まで抱くようになるほど、健全な精神性を獲得していた。

 爆弾サイボーグのことはこの国も話題になっていたが、ボクには関係ない。

 入国時に厳重な検査を受け、体内に異常がないことは証明されていたし、精神鑑定も受けており、洗脳や記憶改竄の影響がないこともハッキリしている。

 メディアではこの検査を受けさせることが人権に及ぼす影響について語られることもあったが、この検査をパスしたことでボクの安全性が証明されたわけだから、むしろ感謝しているくらいだ。

 本当にこの国へ来てよかった。本当に自由で、本当にシアワセだ。

 つまり、ボクを解放したのは『エウア自由解放の牙』ではなく、この国のヒトたちの優しい心遣いや、同情とは少し違う接し方の方だった。

「な、獅子男もいこうぜ、マック」

 ショウジとタクヤとともに駅前へ続くの長い下り坂を進む。

「そういえばさ、3組の木下と2組の山本ってさ、付き合ってんだって」

「え? 木下って、あの陸上部の美形?」

「そそ」

「うわ、オレ、木下のこと狙ってたのにさ」

「ムリムリ」

 くだらない与太話にも入れるくらいに言葉に慣れてきた。

 そんな中、付き合うという言葉にある特別な意味を理解していたボクはふと、マミのことを思い出していた。

 6月の席替えでマミとは離れてしまい、言葉を交わすこともすっかり減ってしまった。

 女子たちの好奇心も慣れからくる鎮静に霧散し、今やボクはクラスの中でも目立たない方になっていた。

 実のところ、二十人ほどいる男子生徒の中にも派閥があり、髪を長くして染めているグループ、ボクは通称ロックンローラーズと呼んでいるのだが、彼ら五人のグループが女生徒たちの一番人気だった。

とりわけサッカー部のキャプテンをしているカガミくんが長身でスタイルがよく、普段は寡黙だが自分の意見ははっきりいうタイプで、どちらかというと控えめなこの国のヒトの中では目立つキャラクターのように思えた。

 彼はリーダーシップを発揮することが多く、クラスの決め事が紛糾したことに一声を発してまとめあげたことがあった。

 そんな彼にほのかなあこがれをいだいていたボクは、彼らのグループに入りたかったというのが本音だ。

 しかし彼らからはお誘いがなく、ショウジとタクヤとグループを組むことになっていた。

 二人には申し訳ないのだが、このグループはいわゆる消極派の集まりで、女の子たちからも敬遠される派閥だった。

 ニタニくんとヨシダくんという構成員もいるが、ショウジやタクヤよりさらに消極的な性格で、ボクを含めた五人は放課後のクラブ活動をしない、いわゆる帰宅部だった。

 駅前のマクドナルドに到着する。

 他の派閥であるスカラーズとワーカーズはさておき、ボクのもっぱらの関心はロックンローラーズ入りなのだが、ショウジとタクヤといる時間も決して楽しくないわけではなかったから複雑な想いをいだくことになってしまっていた。

「でさ、新しいシナリオ追加されたじゃん。あれさ」

 ボクの所属するこの派閥は呼称をゲーマーズとしている。その名の通り、スマホのアプリゲームが趣味な者の集まりなのだ。

 ボクもこの国の政府やNPO法人の尽力により、普通に同年代の高校生が持つものは一通り与えられていたから、携帯電話、いわゆるスマホも所持していた。

 お小遣い的な資金も与えられており、その大半がゲームへの課金に消えたとしても特に咎められることもない。

 ボクは幸運なことにこの国へ来て、自由を与えられ、その自由を満喫する権利を得たのだ。

なんと幸せなことだろう。

「獅子男は相変わらず『グレシチ』やってんの」

 タクヤに言われる。『グレシチ』とは『グレートシティビルダー』という名の都市育成ゲームだ。

 ボクがショウジやタクヤから勧められたゲームの中でも、ひときわこのゲームに魅かれたのは、都市を建設し、住民を増やしてさらに都市を大きくするというゲーム内容が、ボクにとって画期的なものだったからだ。

 他の戦闘や争いをするゲームでは、どうしても難民時代のできごとを思い出してしまうし、ほかのカードゲームやスポーツゲームでも他のプレイヤーとの争いをしなくてはならないことから、どうしても触手が動かなかった。

「ヤッテルヨ。タノシイシ」

 タクヤに聞かれて、ゲームの進捗に答えている間に、ハンバーガーにかじりついていたショウジがつぶやいた。

「『ファイナルアーケーダー』」

 その名なら知っている。今、一番人気の格闘ゲームだ。ショウジはゲームアプリの起動に、音声入力を使ったのだ。今ではごく当たり前のこと。しかし、ボクにはまるで魔法のような技術だった。

 しかしショウジは自分のスマホを見ておらず、何かを見つけて首をすくめた。

「ん? なんだ。どうした?」

 そう聞いたタクヤにショウジを小さく指で示した。

 午後のお茶をするヒトでにぎわう店内に、ボクたちと同じ制服を着たカップルが入ってきた。

 その様子を見た瞬間ボクのハートに電撃が走った。

 それはカガミくんとマミだった。

「おいおい、あのふたり、付き合ってんのかよ」

「それもわが校の生徒なら誰でも出入りするこんなとこで堂々のデートとはね」

 二人の会話は耳に入ってこなかった。

 戦争の恐怖をかいくぐってきたときに経験したイヤな汗とはまた違う汗をかいた。

「ん?」

 そんなボクの様子にタクヤが気付く。

「あれ、獅子男、もしかしてショック受けてる?」

「そりゃそうだろ。獅子男といえば井上だもんな」


 夏が来た。

 何もかもいいことずくめだったこの国の生活だったが、失恋という痛手は想像以上にボクの心にダメージをあたえてくれた。

 面倒を見てくれているコバヤシさん夫妻には迷惑をかけられないので、ボクは彼らのまえではつとめて明るくふるまった。

 しかしあてがわれている二階の個室に戻ると、心臓のあたりに重い石を抱え込んだような感覚に苛まれた。

 そんな日が何日も続いているうち、ついに夫人がボクの異常に気付いた。

「ダイジョウブ、ダイジョウブ」

 ボクはそういうしかなかった。

 夫妻はすぐに難民事務局というお役所に相談に行ったみたいで、カウンセラーが手配された。

 戦争で手足を喪ったり、目の前で親を殺されたりしたわけでなく、好きな女の子にカレシがいると知っただけでこの手当だ。

 熱心にボクの心理状態を確かめてくれるカウンセラーに正直に伝えると、彼女は微笑んでこういってくれた。

「恋愛できるのも、失恋できるのも喜びですよね。だって、平和があってはじめてできることなんですもの。平和ってすばらしいですよね」

 平和ってすばらしい。そうだ。たしかにそうだ。ボクはそう思うことにした。


 今日の体育実習はプールだ。体育教師が班分けをして、ボクはカガミくんの班になった。

あの日以来、彼の目を見るのが辛かった。

別に彼がなにか悪いことをしたわけでもなく、こちらの一方的な嫉妬にすぎないのだが、ボクはカガミくんとは普通に接することができなくなっていた。

「それじゃあ、一班から三班までは休憩」

プールサイドで整列すると体操座りというやつを全員で実行する。

この国では休憩の際のポーズまで指定されているが、別の班が泳いでいる間、身体を休めるというわけだ。

授業は男女別に行うが、難民キャンプで座らされるときと同じポーズをとるボクの目は、いつしか遠くの女子の中にマミを探していた。どうしても彼女への思慕の想いが捨てきれなかった。

 みんなお揃いの紺色のスイムウエアだが、マミを探すことはむつかしいことではなかった。

 いつもと同じように白い歯の笑顔を弾けさせる彼女なら、この距離からでもわかる。

「おいおいおい、獅子男くん、未練タラタラはよくないよ」

 同じ班のショウジがカガミくんには聞こえないよう小声でいった。

 たしかにそうだ。

 これからはクラスメイトのひとりとして、最初に自分を勇気づけてくれた恩人として、彼女と接していこう。

 そう決意した。

「アリガトウゴザイマス」

 ボクは小さくつぶやいた。


 タクヤは塾で、ショウジはバイトだそうだ。

 めずらしく一人で帰ることになったボクは、マミのことを忘れたい想いもあったからか、今日はいつもと違う選択をした。

 駅の反対側にある商店街に向かう。

こちらへはあまり来たことがなかったがちょっとした冒険のつもりで足を向けてみたのだ。

 この国ですっかりなじみになったクマゼミが鳴く街路樹を抜け、アーケードをくぐる。

 立体映像の看板や、にぎやかな音楽がボクを迎えてくれた。

 べつに悪ぶって、なにかしてやろうというわけじゃない。

 ただ、なんとなく心の痛みを和らげる何かを見つけたっただけだ。

 商店街を奥に進む。

 慇懃な看板、すっかり廃れたはずのタバコの臭い。それに時代がかった服装の高齢者。

 いつものこの国とはちがう、どこか、あの戦場と化した母国のような雰囲気のある場所。

 ボクは何を求めてか、漂白の心とともに歩いた。

「マッサージ5000新円」

 ようやく読めるようになった看板を読み上げてみる。

 ぼくは母国の今を想像してみた。

 いつか帰ろう。そしてあのゲームのように、土地を改良して田畑を増やし、家を建ててヒトを呼び戻すんだ。ビルも建てよう。学校を増やして、子供たちを育てよう。

 そしてこの国のように優しくて、素敵なヒトがいっぱいになるような平和な国づくりをするんだ。

 空を見上げようと天を仰いだが、そこには古びたアーケードの天井があるだけだった。

「シシオ」

 背後に声に振り向いた。

 そこにはあの白い歯が印象的なマミの姿があった。

 全身を電撃が駆け抜けていった。

「どうしてこんなとこいんの? 駅はあっちだよ」

 どう答えてよいかわからず、笑みを返すだけだった。

「まいっか。たまには違う道を歩きたいときもあるよね」

 図星だった。

「あたしね。こっちに用事があるんだよね」

 そういうとマミは先行して歩き出した。

 呆然と立ち止まったままのボクに手招きする。

「ちょっと、いっしょに歩こうぜ」


「もう学校に慣れた?」

「ナレマシタ」

「敬語でしゃべんなくていいよ。タクヤやショウジといるときは、そんな口、きいてないじゃん」

 マミは意外にも自分のことを観察していたのか。

「あたしね。小学校んときに転校したんだ。わかる転校?」

「ワカリマス。イ、イヤ、ワカル……ヨ」

「そそ、その調子。でね、とっても不安だったんだ」

 マミの横顔が美しかった。

「でね。その転校した先の学校でね、とっても気を使ってくれた子がいてさ」

 マミは自分の経験から、ボクの不安を取り除こうとしてくれていたのか。

「ちょっととなりの街から来ただけであんなに不安だったのに、キミはアフリカから来たんだよね。そりゃ不安になるわなと思ってさ」

 マミが立ち止まった。

「だいじょうぶ。ここはキミの居場所だよ。なんかあったら、あたしが味方になるかんね」

 マミの言葉の重みがボクを包んでくれた。

「アリガトウ」

「礼はいいよ。あ、あたしね。用事あるから。じゃね」

 マミがバイバイと手を振った。何か言わねばならない。何かを伝えなくてはならないという衝動が全身を貫いたが、言葉はおろか、身体すら動かなかった。


 漂泊の想いで商店街を歩いた。

 マミは手の届かない存在だ。しかし、間違いなく自分のことを気にかけてくれている。そう思うと少しは心が晴れやかになるはずだが、そうはいかなかった。

 彼女の笑顔をもっと見たかった。髪から流れるあの若葉のような香りをもっと楽しんでいたかった。

 しかし今のいままでここにいたマミとの果てしない距離に絶望するしかなかった。


 その時だった。

 声がした。マミの声だ。たしかに彼女の声だと確信したボクは考える前に駆け出していた。

 子供ながらに死地を潜り抜けてきたボクの勘は鋭い。

 営業していない古いパチンコ屋の路地に三人組と制服姿のマミを見とめると、ボクは一心不乱で追いついた。

「なんだ、てめえ」

年のころなら自分と同じが少し上くらいだろう。一人は帽子を目深にかぶり、もう一人はサングラスをしている。

 さらにもう一人はヘルメットをかぶっていて人相はまったくつかめなかった。

 マミに続いて強引に腕を取られ、路地に引きずり込まれた。

「ちょ、ちょっと、この子は関係ないでしょ」

 マミが帽子の男に言った。

「ナンデスカ?」

「おめえ、西高のクロンボだよな」

 その呼び名は蔑称であることはわかった。

「カッコつけてんじゃねえよ」

 いきなり胸倉をつかまれる。

「ボウリョク、イケマセン」

 脳裏にオガワ先生の言葉がよぎる。

「トラブルだけは絶対に回避してくれたまえ」

 難民の許可証に傷がつくかもしれない。トラブル、とりわけ暴力は国外退去処分もありえると教わった。しかし。

「あー、なんだ。このコを助けに来たヒーローのつもりか?」

「関係ないよ、シシオ! 逃げて!」

 ヘルメットの男に羽交い絞めにされたマミが叫ぶと、口をふさがれる。

 ボクは憎悪の目で男たちを見た。マミを助けるためなら、ここまで享受してきたこの平和の国でのシアワセを放棄しても構わない。

いきなり顔を殴られた。

 『牙』の兵士に殴られた子供時代のことを思い出した。

 歯が折れたかもしれないが、痛いのは心の方だった。

 この国にもこんなひどいことをする奴がいたことを知って、忘れていた感情がよみがえってきた。

「コロス」

 そうだ。ボクはシシオ。ライオンマンだ。マミが名付けてくれたボクは、この時のために生まれてきて、この時のためにこんなに遠くまでやってきたんだ。

 怒りが全身を突き動かす。ボクは立ち上がろうとした。

「あ? いま、なんつった、テメ」

 もう一発殴られる。

「国から生活を保障してもらってんだよな。それ、俺たちの税金だからな」

「返してもらうぜ」

 今度は鳩尾に一発くらった。

 思わず息ができなくなって突っ伏した。

 そこを蹴り上げられる。持っていた学生鞄が飛んで、地面に中身をぶちまけた。

「ほら。あるじゃんか」

 財布を見つけられ、国から預かっているクレジットカードを抜かれる。

 取り返そうと試みるが、息ができずに立ち上がれもしない。

「このコと遊びたかったんだけど、カネで解決してやるよ。暗証番号いいな」

 絶望に目の前が真っ暗になった。

 こんな理不尽な暴力がこんなに平和な国にもあるなんて。

「おめぇ、エアウから来たんだろ。あのテロ組織の国からよお」

「エアウの連中、難民にまぎれてテロしたり、最近じゃサイボーグ技術まで身につけて、先進国にケンカ売ろうってしてるらしいじゃねえか」

「そうそう。記憶消去に人体改造。お前さ、ヒーローのつもりだろうけど、まるでヒーローもんの悪の秘密結社だぜ」

「まったくとんでもない奴らだよなあ」

「ボ、ボクハチガウ」

「内戦で共倒れしときゃあいいものを、下手に先進国から技術だけ盗んだもんだから、ヘンにハイテク兵器使ってるらしいが、おめぇもテロリストなんじゃねえのか」

「チ、チガウ」

「ふん、記憶消されてちゃ、わかんねえだろが」

「チガウ」

「なんでも本人が改造されてることを知らなくて、パスワードを口にしたらドカーンだってよ」

「なんだよ、それ。笑えるな」

 この国で自分に対する嘲笑を初めて聞いた。

 許せない。

許せないが、自分のチカラではどうしようもない。母国でのあの屈辱を再度味わうことになろうとは。

悲しみとも怒りともつかない感情のまま、そこで四つん這いになっているしかなかった。

「へへ。カネで解決してやるって言ってんじゃん。さ、暗所番号いいなってばよ。それだけで済むからよう」

 ヘラヘラと笑う男の顔が近寄ったその時だった。

「このお!」

 怒声とともに何かが振り下ろされた。

 マミを羽交い絞めにしていたヘルメットの男が変な声とともにその場に崩れ落ちる。

 他のふたりが唖然とする中、次の一撃が彼らを襲った。

 呆然と見つめる自分の視線の先に、彼がいた。

 カガミくんだった。

 どこで見つけてきたのか、彼が持っているのはデッキブラシだった。それでヘルメットの男が背中を叩きつけられたためにマミを手放して気絶したのだが、ほかの二人は鬼の形相のカガミくんの攻撃に彼を見捨てて逃げていってしまった。

「だ、だいじょうぶか、獅子男」

 カガミ君がその名を口にしたのはこれが初めてかもしれなかった。

 彼が伸ばした右手を支えに立ち上がった。

「唇、切れてるぞ、病院行こ」

 カガミくんはマミより、ボクを心配してくれていた。

「井上、だいじょうぶか。待ち合わせに遅れるってラインしたろ」

「てへ。ごめんごめん。早く会いたかったからこっちまで来ちゃったよ」

 二人の仲のよさを目の当たりにしたが、この時、カガミくんになら、マミを任せてもいいと自分に言い聞かせた。

「オレんちさ、この先なんだよ。ガラの悪ぃエリアの生まれだから、あんま知られたくなかったんだけど」


 秋が来た。

 そして冬が去り、また春が来た。

 この国には季節の移ろいがある。

 それはそれは素敵なものだ。

 ボクはタクヤやショウジとはもちろん、カガミくんたちとも時間を共有するようになっていた。

 そんな幸せな時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 そして、卒業式を迎えた。

 ほぼ全員が進学を決めたなか、ボクは難民受け入れ用に設立された職業訓練校へ通うことになった。

 卒業式のあと、クラスメイトたちとともにオガワ先生との最後の時間を過ごした。

 ひとりひとりが一分ほどのスピーチをするのだが、オガワ先生が最後に指名したのがボクだった。

 教壇に立ち、クラスメイトのみんなを目の前にしたら、自然と涙があふれてきた。

 オガワ先生もみんなももらい泣きをする中、ボクは事前に用意していたスピーチ用原稿をポケットに押し込んだ。

 見渡すと、ひときわマミの笑顔が印象的だ。目に涙を浮かべてはいるが、白い歯をこぼして微笑んでくれている。そして普段はクールなカガミくんが涙を拭う姿が印象的だった。

「アリガトウ」

 そういった。

 もう一度、大きな声で言う。

「アリガトウ!」

 感謝の言葉しかない一年間だった。

 この国の人々のやさしさに触れ、温かさに支えられながら、ボクは平和の大切さを知った。

 一日も早くこの気持ちを母国の人々に伝えたい。

 だから、一日も早く紛争を終わらせる。そのためにボクはこの国で学び、この国で成長する。

 そして、平和のすばらしさを母国の人々に知らせるのだ。

 クラスのみんなの顔を見渡した。オガワ先生、ゲーマーズのみんな。カガミくん、そしてマミ。

「ヘイワッテスバラシイ!」



「臨時ニュースです。午前十一時三十分ごろ東京都新山手区の都立西山手高校で大規模な爆発があり、警察、消防が出動しています。多数の負傷者が出ている模様です。くりかえします……」


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