第20話 よっ
「え……?」
心臓が、ぎゅうっとなる。
「私も出かけてて、帰ってきたらちょうど慌ててるおじさん達が車に乗るところだったから、どうしたんですか、って聞いたら、練習試合でなんかあったみたい。
でも、お姉ちゃん、学校に行ってたんじゃないの?」
てっきり穂積さんの試合を見に行ったのかと思ってたのに、と言って残し、日和は居間に降りて行ってしまった。
私はベッドのふちに座り、バッグを床に下ろす。
そういえば、午後から男子の練習試合だって灯里が言ってたっけ。
でも、試合中に倒れたって、どういうこと?
バスケって、救急車で運ばれるようなことがあるものなの?
私はスマホを取り出して、灯里と交換した連絡先を開く。
「バスケで救急車に運ばれることってある?」
そう文字を打ち込んで、送信せずに文を消した。
いきなりこんなことを聞かれても、灯里も困るかもしれない。
でも、気になる。
穂積に、何があったんだろうか。
指で画面を繰り、穂積のページを開く。
当たり前だが、そこに新規メッセージはない。
「サンキュ」
穂積からのメッセージが一番下に表示されている。
春展の日程について聞かれて、それを教えたときに返ってきた文だ。
「あ、ハンカチ……」
私はひとり呟いて、バッグの中に、穂積のハンカチが入れっぱなしになっているのを思い出した。
取り出すと、タオル地が柔らかかった。
私はそれをもう一度バッグに入れ、そのバッグを持って居間に降りた。
「日和。おじさん達、どこの病院か言ってた?」
「確か、中央病院だって」
ソファに寝転がったまま、日和が声だけで答える。
自転車で、30分くらいかな。
「ちょっと出かけてくるから、お母さんたちに言っといて!」
私が言うと、日和は体を起こした。
「何しに行くの」
「ハンカチ返してくる!」
怪訝そうな顔をする妹を後目に、私は靴を履いて、物置にある自転車にまたがった。
日はまだ高い位置にいて、容赦なく射してくる。
制服のまま出たのは失敗だったな、戻って動きやすい格好に着替えてこようかな、と思ったのは結構自転車を漕いでからで、私は諦めてそのまま足を動かした。
病院に着く頃には、私は下着と肌着の濡れた感じに不快感を覚えるくらいになっていた。
自転車を降りて施錠し、病院に入る。
心地より涼やかな風が頬を撫でて、露出した肌を労ってくれた。
さて、だ。
勢いで飛び出してみたはいいものの、どこに行けばいいやら、誰に何を聞いていいのやら、分からない。
思えば、大きな病院に来たことなんて、何かの予防接種のときと、親戚のお見舞いに連れてこられたときくらいで、それもずっと小さい頃の記憶だ。
入口近くの館内図を見て、受付の文字を探す。
近くにあったらしいそれは、見渡しただけで見つけることが出来た。
「あの」
受付で私が声をかけると、感じのよさそうな、若い女性が顔を上げてくれた。
「はい、どうなさいましたか」
「少し前に救急でこちらに搬送されてきた……男子高校生がいたと思うんですけど、分かりますか」
うーん、と女性は困った表情を浮かべた。
「ご家族の方ですか」
「いえ、あの……」
どう答えたらいいんだろう。
そもそも、私と穂積の関係って、なんだ?
友達、幼馴染、お隣さん。
浮かんだ言葉のどれも、女性から良い反応が返ってこないことは明白に思われた。
「ごめんなさい、個人情報の観点から、ご家族以外の方にはお教えすることが出来ないんです」
そうですよね、と言って私は口をきゅっと閉ざした。
感謝を伝えて、私はホールにたくさん並べられているベンチのひとつに腰を下ろした。
小脇にリュックを置いて、スマホを取り出す。
日和に聞いても、知っているはずは無いし。
穂積に聞いても……。
「今どこ?」
私は、諦めながらも穂積宛てにメッセージを打ち、送信した。
「病院」
思いがけず表示された返信に、私は短く硬直した。
「何号室?」
慌てて、さらにメッセージを送る。
さっきまでとは違う汗が背中を伝う。
少ししてから、新しいメッセージが表示された。
「中央病院の2階の待合室みたいなところ」
私はスマホを握ったまま立ち上がり、ホールにある大きな階段を上がった。
ホールの上は吹き抜けになっていて、あちこちに通路が伸びている。
きょろきょろ見回すと、それらしい表示が目に入り、私は少し足早に向かった。
「あっ」
すぐに見つかった。
たくさんあるベンチの中の、隅っこのひとつのさらに隅に、にょきっと突き出た見慣れた頭があった。
ふーっ、と息を吐いて、歩いて向かう。
ベンチに近づき、私はその反対側の隅に勢いよく座った。
穂積はぎょっとしてこちらを見て、私と目が合った。
「よっ」
私が右手を上げて口を開くと、穂積は、おう、とだけ答えた。
涼しい沈黙が流れた。
「これ」
私はリュックからタオル地のハンカチを取り出し、穂積に差し出した。
「ああ、忘れてた」
穂積はそれを受け取り、持ったまま見つめている。
「このために来たのか?」
穂積がハンカチを見つめながら言葉を紡ぐ。
私はすこしためらってから、うん、とだけ言った。
心配だったから、という言葉は浮かんだけれど、声にすることは出来なかった。
頭の中で、いろいろな言葉が渦を巻く感じがした。
友達、幼馴染、好き、彼氏、彼女、恋、関係。
穂積を心配する気持ちがあるのは、間違いない。
でも、その気持ちは薄いベールのようなもので、それをはいだら、「好き」という気持ちが見つかってしまうように思えて、私は小さなおびえを感じた。
私と穂積の間に、ちょうど、人が一人座れるスペースが空いている。
これが、今の二人の距離ってことだ、と私は思う。
「あれ、小麦ちゃんじゃないか」
「穂積パパ」
私は顔を上げて、それから慌てて立ち上がった。
「もしかして、わざわざ来てくれたのかい」
「ええ、あの、日和に聞いて」
穂積のお父さんは、私たちが座っているベンチの隣のベンチに腰掛けた。それに合わせて、私もまた座り直した。
「試合中に気を失った、なんて連絡があったから驚いちゃったよ」
笑いながら話す姿を見て、私もつられて笑ってしまう。
「大丈夫だったんですか」
「大丈夫も何も、救急車が付く頃には目を覚ましてたらしくてね。プレー中に空中で接触して、後頭部から落ちて、軽い脳震盪を起こしたっていうだけだったらしい」
そうですか、と胸をなでおろして、私は穂積を見た。
「平気なの?」
私が言うと、穂積はおう、とだけ答えた。
「体幹の鍛え方が足りないってことだ。また、鍛え直しだな」
父親の言葉に、穂積は眉をひそめた。
「今日のは向こうのラフプレーのせいだよ。完全にハードファウルだし、アンスポだった」
そう言うと、穂積は憮然とした表情で前の空間に視線を移した。
穂積の言葉も、その後に始まったお父さんとの会話でも、バスケの用語が飛び交って、間に座っている私の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
でも、何も無くてよかったと、心から安心している自分が居た。
それからほどなく穂積のお母さんも現れて、私に感謝を伝えて、穂積を叱った。
「心配で来てくれたに決まってるでしょ、ほんとに鈍感なんだから!」
自転車で来たことを理由に、私は家まで送ってくれるという優しさを断らざるを得ず、また容赦ない陽射しの下に出た。
ペダルを漕いで、汗をかきながら、私は自分の中で形になりはじめた気持ちの扱いに、戸惑いを覚えていた。
作者の成井です。
40話くらいを予定しているので、折り返しです。
今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、
下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。
では、また。




