第2話 ありがと
この小屋に入る人間なんて、美術部の関係者以外にはいないと思っていたけれど。
何か、背筋がちりちりする。
「黙れ」
そう言って男が右手をあげると、外の陽光が反射してきらめく。
長さはよく分からないが、刃物を持っているらしかった。
指先がこわばる。
「静かにしろ、動きを止めろ。死ぬぞ」
私は半歩、後ろに動く。
「止まれ」
それもやめた。
「だ、誰なの」
「誰でもねぇよ。誰にもなれなかったんだ、俺は。
グドコーを卒業して、成功した奴ばかりが取り上げられる。
俺みたいな落伍者は、いなかったことにされる」
男は震えながら声を絞り出している様子だ。
あまりの異様な光景と、あまりに異様な男の様子に、私の喉はかさつき始めていた。
「だからよぉ、自分の足跡を残しに来たんだよぉ、俺は……」
一歩、近付く。
一歩、後ずさる。
「動くなぁぁっ!」
足が凍った。
「これからお前を犯す。そして殺す。
次は体育館に行って、何人か殺す。
明日、グドコーの名前が全国ニュースになる。
俺の名前も、全国ニュースになるんだ」
へへへ、と笑う男の目が血走っていた。
指輪の物語に出てくる、人間ではない怪物が、こんな感じだった。
でも今、私は姿を消す指輪なんて持っていない。
あるのは……
石だけだ。
「っっっ!!」
言葉にならない声とともに、私は持っていたクラフトストーンを投げつける。男はとっさに顔をかばった。
すかさず、私は手近にあった棚を引っ張って、その上に乗っていた宝物達をまき散らす。
ひどい騒音が響いて、辺りは仄白い煙でもうもうとなった。
「ガキが、何しやがる!!」
「誰かっ、誰かーーーっ!!」
こんなに叫んだことがないと思うくらいに叫んだ。
それとほぼ同時に、別の音が小屋に響いた。
鈍い音。
次の瞬間、男は前のめりに倒れ、その奥に高い人影が見えた。
煙が収まりかけて、それが誰なのか、分かった。
「穂積……?」
「小麦、大丈夫か?」
汗だくのウェア姿で、ぜいぜい肩で息をしている。
てんてんと床で弾むバスケットボールが見えた。
「ボールを、ぶつけたの?」
「小麦が、叫んだから」
次の瞬間、私は膝から崩れてしまった。
「あ、あれっ?」
腰が抜けた、というやつらしかった。
「おい、なんだこいつ!!」
「不審者だ、不審者!!」
「縛れ、縛れ!!」
続々と小屋に入ってきた、バスケットウェアをまとう屈強な男子生徒達が、先の男を、その辺のロープやらなにやらでがんじがらめにしていく。
「そこにいるのは、2年の東か。大丈夫か?」
バスケの顧問の先生も駆けつけ、私の様子を察してくれたらしかった。
「腰を抜かしたか、無理もないな。西、お前、確か東と西で仲良しなんだったよな。」
「ウス……」
コーチの言葉に、穂積が短く答える。
「おぶって、保健室まで連れてってやれ」
「あ、いや、コーチ、ゲーム中ですし……」
しどろもどろになる穂積を、コーチは手で制した。
「こんなことがあって、一人で行かせるわけにもいかんだろ。
練習はなんとでもなるから、ほら、早くしろ」
「……ウス」
そう言って、穂積は私の側に来て、背中を差し出す。
「ほら」
「……お世話になります」
どうにかこうにか体を動かして、穂積の背中に体を預ける。
まさかこの歳になっておんぶをされるとは、しかも男子に。
つくづく、ジャージで良かったと思う。
スカートだったら、とんでもないことになる。
それでも恥ずかしさを紛らわせたくて、私の口が勝手に動く。
「べちゃべちゃする」
「仕方ないだろ、練習中だったんだから」
「しかも、汗くさい」
「だから……」
「なんで来てくれたの?」
少し、沈黙が流れる。
「……小麦が小屋に入ってから、ワンクォーター終わっても出てきていない気がして、見に行った」
「そっか……ごめんね、練習の邪魔して」
沈黙と再会することになって、それはそのあとも居座った。
保健室に運ばれて、私は先生方に囲まれ、事情を聞かれ、心配の言葉をかけられ、親が向かえに来ることを了承させられ、みのりが半べそをかきながら荷物を持ってきて寄り添ってくれ、私は家に帰ることになった。
「私の作品、片付けておいてね」
帰り際の私の言葉に、みのりが力強く親指を立てた。
車に乗ったら乗ったでお父さんが涙目になりながら身を案じてくれ、家に着いたら着いたでお母さんが泣きながら身を案じてくれ、ベッドに横になったらなったで妹の日向が具合を聞いてくれた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ん、ケガはないよ」
「頭は大丈夫?」
「うん、大丈夫だと思うけど、どうして?」
「じゃあ、明日から食パンかじりながら登校しなくなるね、安心した」
どういう意味よ、と声を荒げるよりも早く、日向はおやすみと言った。
妹なりに色々心配してくれてるんだよなぁ、と思いながら、頭に浮かんだのは穂積だった。
ちゃんとお礼言わなかったな。
こういうのって、口で伝えなくちゃダメだよね。
明日の朝、待ち伏せするか。
私はそのまま眠りについた。
朝、目が覚めたのは、まったくいつも通りの時間だった。
相変わらず、遅刻とは縁のない体内時計だと笑ってしまう。
ただ、いつもよりは早く身支度を済ませ、食事をし、早めに玄関を出て、そのまま待つ。
たしか、隣を家から穂積が出てくるのは、もう少しのはずだ。
カラン、とベルが鳴り、のっぽが現れた。
「おはよ」
「ん、おお、おはよう。珍しいな、食パンは?」
妹のみならず、幼馴染みにまで言われるとは、と心が抵抗するが、今は反論するタイミングじゃない。
「昨日のこと、ちゃんと言わなくちゃと思って」
「昨日のこと」
「うん。助けに来てくれて、ありがと、って」
「ああ……ケガがなくて、よかったな」
そう言った穂積は空を見上げて頭を掻く。
そうやって分かりやすく照れられてしまうと、こっちも恥ずかしくなってしまう。
「それじゃ、ま、学校行きますか」
おう、と答える穂積と、珍しく一緒に登校している。
こんな光景を穂積のファンの女の子達に目撃されると、後が怖そうだと思ってしまう。
「食パンの出会いは、諦めたのか?」
穂積の言葉に、私は首をかしげる。
「みのりにも、いい加減にすればって言われるしなぁ。
でも、ファンタジーを追い求めるのって、クリエイターにとっては大事だと思わない?」
俺に聞くな、と穂積はつっけんどんだ。
ほんと、こんな無愛想のどこに魅力を感じるのか、あの女子達に聞いてみたいもんだわ。
そもそもクリエイターってのはさぁ、と持論を展開しながら歩く。
穂積が聞いているのかどうかは、分からない。
私の口から穂積の耳まで30センチ近く離れているから、届いていないのかもしれない。
曲がり角。
さしかかる。
「おいっ!!」
穂積の声。
「えっ?」
衝撃。
はね返った私は、穂積の方に飛ばされた。
「ご、ごめんごめん、前を見ていなくて!」
私にぶつかったのは、スーツ姿の、穂積と同じくらいの背の高さの男性だった。
食パンをくわえてない朝にぶつかったのは、ドラマ的にどうなの?
食パン登校を開始して1年と1日。
ついに、私に新たな出会いが訪れた。
作者の成井です。
今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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では、また。