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第二章3  学級委員

「面倒なことになったな。この局面、どう見る? 弟子よ」


 将棋の先生のような口調で水瀬は言った。六限目の科目は体育——否が応でも走らざるを得なかった彼女のテンションは、狂乱を極めていた。


「雨上がりでドロドロにも関わらず、校庭でランニングさせられたんだぜ。背の順に並んで走ったから、わたしが先頭でサボりようがないし……」


 めっちゃ綾織さんの視線感じたし、と水瀬は机の上で干物のようになっている。


「正直、これは僕の落ち度だと思う。もっと上手いこと言い訳するなり……そもそも、もっと上手くサボれば良かった」

「自分の非を認められるとは、大人だねえ」


 英語の時間終了、すなわち放課まであと七分。

 隣席の人間と、実際に喋って英文法を確認すべき時間に、僕たちは机にうつ伏せて作戦会議をしていた。


「もう、素直に言ってしまった方が楽なんじゃないか?」


 水瀬は腕を枕にしてこちらを眺め、どうでも良さそうに欠伸をしながら言う。

 素直に言う——とは、どこまでを白状するつもりなのか。


「細田は小説家として、弟子になったから。これから一緒に行動している様子を頻繁に目にするかとは思うけれど、気にしないでください。我々に恋愛感情はありません」


 とでも言うのだろうか。


「君は、ばかなのかな」

「久しぶりに聞いた気がするけど……ムカつくな」

「もっと、シンプルな言い方があるでしょうに」


 僕を無視して、彼女は眼鏡を直す。「シンプルな言い方?」と僕は復唱して聞き返した。


 素直かつシンプルな言い方、そんなものが存在するのか?

 かなり複雑にこじれた関係じゃないか、と僕は思っていたけれど、水瀬——小説家の語彙力をもってすればシンプルになるのかもしれない。


「わたしと一夜過ごした、って言えばいい」

「余計拗れるわ」


 少しでも期待した僕が馬鹿だった。

 水瀬は変態。これを大前提とし、物事を考え進めていかなくてはならない。


「語弊の塊だろうが。そもそも僕はロクに寝てない」

「そうだね。一人で朝まで忙しかったもんね」


 何故だろう。いやらしい。

 写実的な表現ではあるのに、いやらしい。何故だろう。結論はすぐに弾き出された。彼女が変態だからである。


「黙れ。却下だ」

「えー、なんで。漱石の未完のやつじゃん」

「名案って言いたいのか?」

「よくわかったな、こわ……」


 決して名案ではない。明暗でもない。

 確かに、綾織さんが問いただされる事は無くなるだろう。

 しかしそれは、完全なる彼女との絶縁を意味する。綾織さんが彼女になってくれるかもしれない、淡い希望を捨て去ることになる。


「わたしは三四郎がすこすこのすこなんだけど——」

「夏目漱石の話はまた今度な。頼む、真面目に考えてくれ」

「ええ……やだよ」


 水瀬は気怠そうに体を起こし、頬杖の姿勢へと移った。さらりとした己の黒髪を猫みたいな仕草で撫でて、彼女は欠伸を手で覆う。


「意地悪なこと言うけどさ——」


 眼鏡を直し、唇を舌で湿らせてから彼女は僕を見下ろす。見下ろされているように感ぜられるのは、僕がうつ伏せで彼女が起き上がっている所為せいでは無い。


「いや、いいや。やっぱやめた」

「は?」

「気にしないで。いつものヤツだよ」


 推理小説の肝心な部分だけ、曖昧に濁された感覚に似ている。話し出したなら最後まで言えよと怒鳴りたい。

 そもそも、いつものヤツとは……暴言か。じゃあ、いいや。


「とにかく、あと二十秒しないで授業が終わる。水瀬は先に帰ってろ——」

「言われなくても」

「僕は、綾織さんに上手く説明しておくから。それに、ちょっと考えがある」


 へいへい、と水瀬は頷く。『考え』について聞かないんかい、と思ったところで、ちょうどチャイムが鳴った。

 居眠りしていた生徒が一斉に起きる。呆れた英語教諭の溜め息、終わったと伸びをする者——教室の空気が緩んで、視界の彩度が高くなったような気がする。


 僕は起き上がり、水瀬は教科書を机に仕舞う。帰り支度をする綾織さんのもとへ女子が集まっていく。

 一瞬、振り返った彼女と目が合う。くすっと目尻が上がった。


「あー、あれは可愛いねえ。惚れますわ。細田選手、口がぽかんと開いております」

「やかましい」

「そうムキになるな。気持ちは解るよ。あれだけ顔と胸が素晴らしければ誰でも魅かれますわ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら水瀬は立ち上がり、リュックに荷物を詰め終えると、何気なく己の胸を撫で下ろす。


「あーあ、つま先がよく見えらあ」

「待て、そんな風に言うんじゃない」

「お、慰めてくれるのかい? きめえな」

「違う、そうじゃない。綾織さんのことを、顔と胸だけの女性みたいに言うんじゃない」


 彼女はしばらく沈黙した。そして、


「え、ああ、そっちね……何だよ、もう。外見だけで好きになったんじゃないのか? てっきり細田ごときはそうかと」

「違う。綾織さんは良い子だ。そして、ごときって言ったな?」

「言ってねえよ」


 息を吐くように嘘をいた。

 水瀬は俯いて眼鏡を直し、眠そうに目を擦る。


「ところで……自転車、乗って帰ってもいい?」

「ダメ」

「ケチ」


 この小学生のような遣り取りは、担任が入ってくるまでしばらく続いた。

 入ってきた担任は、よく言えば端的、悪く言えば適当に連絡を済ませてホームルームを終えようとする。そこで、


「そういえば、綾織以外に学級委員をやりたい者はいないか?」


 思い出したように担任が言った。これだ、これを待っていた。僕は堂々と手を挙げる——


「えっと、僕が……やります」


 頑張った。僕は頑張った。おずおず、と言う言葉をを擬人化したような挙動だったろうけれど、僕は頑張った。

 綾織さんが振り向き、目を丸くする。


「他に、やりたい者は?」


 担任が全体へ問いかける。

 当然、誰も異論を唱える者はいなかった。隣の水瀬が面白がって手を挙げそうだった。が、空気を読んでくれた。


「それでは、前期の学級委員はこの二人に任せるものとする。拍手を」


 教室からまばらに拍手が起こり、やがて大きなものとなった。なんだか、教会で結婚を祝福されているかのような気持ちである。


「おい細田、ニヤけすぎ」


 隣で不満そうにゆっくり拍手して、水瀬は僕の脇腹を肘で突いた。幸せだからか、あまり痛みは感じなかった。けれど、


 ——ひどく、頭痛がした。

お疲れ様です。次回もよろしくお願いします。

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