第二章1 朝チュンのすゝめ
翌日、教室の隅にて。僕と水瀬は机を並べて居眠りをしていた。
結局、小説を書き終えたのは翌朝四時のことだった。書き続けること十時間と少し。ほとんど記憶がない。
接着剤か何かで癒着されたかのように、僕は小説——水瀬との出逢いから、この小説を書くに至るまで——を書き続けた。
人間は無意識で呼吸を繰り返しているものだろうけれど、原稿用紙から顔を上げた瞬間ばかりは、深く深く呼吸した。
まさに長時間潜っていた、という喩えが適切である。
視界の端に4の字を指す短針を捉え、イケメン抱き枕に両手両足を絡めて眠る水瀬を見たところで、僕の記憶は終わっている。
おそらくは、そのまま畳に散乱した原稿用紙の上へ——僕はぶっ倒れた。
つまり、僕は隣席の女子高生の家で朝を迎えたのだ。
なんていかがわしい響きだろうか。消し去りたい過去ランキング堂々の一位だ。
その後、時刻は六時半。水瀬を起こしに来た水瀬姉(店長)の絶叫で僕は目を覚ますことになる。
畳の上にごろ寝して痛む体を起こすと、クズを見る目で店長が僕を凝視していた。隣の水瀬はTシャツの裾をめくって、しきりに下半身を確認していた。
「おい、細田ァ。貴様ッ、マイシスターに何を……!」
店長は僕の胸ぐらを掴み、寝ぼけた頭をむちゃくちゃに振った。あわや拳骨が僕の頭蓋へとめり込みそうなところで「ちょい待ち」と水瀬が声を上げた。
「下着は何ともなし。わたしの下半身も異常なし。細田はシロだよ」
そもそも、ザ・チェリーボーイみたいな顔した細田に、そんな度胸があるとは思えない——と水瀬は僕を擁護してくれた。心が痛いのは何故か。
「四百字詰めの原稿用紙が二百枚くらいあったはずだけど、ほとんど無くなってる。宿題とは言ったけど、多分こいつは……全部書きやがった」
気怠そうに四つん這いで移動し、水瀬は床中の原稿用紙を拾い集める。その一枚一枚に目を通し、
「ほんとに全部びっちり書いてる……」
やがて、化け物を見るような目で僕を見た。店長もまた原稿を拾い、数枚を読んで水瀬と同じ表情になる。
「凄い、とか通り越して……きめぇな」
「同感。一日でこの文量はヤバすぎる」
ほとんど寝ぼけていた僕にとって、それが褒め言葉なのかどうかは後に分かることであり、当時はひたすらに困惑していた。
ただただ脳味噌が働かず、吐き気にも近しい睡魔に襲われて——再び僕は倒れた。遠くで店長が僕のリュックを漁り、携帯を取り出すのが見えた。
次の記憶は、日差しの照りと潮の香りである。ガタガタと、尻の下に振動を感じた。座った状態で移動しているようだった。
右腕は、何かに巻き付くような形で固定されている。不意に指を動かす——
「ひゃあっ……!」
と、水瀬の叫びと共に体が左右に振られ、僕は落下した。
「痛え……」
「運転中に腰はダメだ! くすぐったいだろうが!」
アスファルトから起き上がり、見上げた先には、僕の自転車に跨るセーラー服の少女——水瀬の姿があった。
大体の状況は察した。僕は、彼女の運転する自転車の後ろに乗せられていたようだ。
そういえば、綾織さんにも「後ろ、乗ってく?」と訊かれたような気がする。奇妙な縁を感じた。春休みに縁結びを祈願したのは記憶に新しいけれど、縁ってこういうことだろうか?
「もう学校に遅刻しそうだから、コンビニで朝ごはん買いながら行くぞ」
息を切らした水瀬が自転車の上で言う。カゴには僕と水瀬のリュックが、それぞれ詰め込まれていた。
「親御さんから『今日は帰れない』って連絡きてた。焦ったけど、不幸中の幸いだったよ」
携帯、勝手に見ちゃってごめん。と姉が申しておりました——と、水瀬は付け加える。
「細田の親って、何の仕事してるの?」
「……雑誌の、編集」
彼女は僕の一言で全てを察し「あー」と諦めたような顔で頷く。
水瀬も高校生とは言えど小説家。出版業界の不規則(悪く言えばブラック)な業務スケジュールは、そこらの高校生よりも深く理解しているのだろう。
「それなら、家に帰ってないのはバレてない?」
「多分。親と顔合わせること、少ないし」
「……そう。了解了解、ほっとした」
何か不穏な空気を察したのか、水瀬はさっさと話題を切り上げた。
「意識もはっきりしてきたな。とりあえず、コンビニまで歩けそうか? 弟子よ」
僕はこくこくと数回頷いて、水瀬から自転車のハンドルを受け取る。自転車に体重を預けて、歩行器のようなかたちで歩き出す。
しばらく歩いたのち、コンビニの看板が見えてきた。出勤前の車が忙しく出入りしている。
「わたしは昨日トンカツ食べられなかったから、カツサンド買ってくるけど……細田もおにぎりとか必要だよな」
ポテチやコーラを買っていったことからか、水瀬は僕が金欠であることを察していた。けれど、
「いや、野菜ジュースあるし。食欲無いから大丈夫」
そう言って、僕は先日買っておいた野菜ジュースを開封してみせた。水瀬は不思議そうな顔で、僕の手元の野菜ジュースをしばらく見つめていた。
「何か、気になる?」
「え、いや。何でもない。カツサンド買ってくる」
慌てた様子で、彼女は店内へと駆け込んでいった。
数分後、「カツサンド売り切れてた、ムカつく!」とハムチーズサンドを持って水瀬が帰ってきた。
「弟子よ、半分食べるか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼女はレタスの切れ端を差し出す。もちろん受け取らなかった。
その後、野菜ジュースを飲みながら何とか学校へと辿り着き、倒れ込むようにして僕たちは居眠りをした。
お疲れ様です。
今日から二章です。応援よろしくお願いします。




