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断章    春の夜の夢

 家族が寝静まった深夜、ヘッドホンで静寂を遮断して静かな雨の音を流し続ける。

 部屋の照明は落とし、デスクライトで手元の周辺のみを照らす。そうすることで、眼前のノートパソコンへとひたすら文字を打ち込んでいく作業に集中できる、ような気がする。


 ひたひた。外では雨が降っている。


 参考資料を探したり、言葉の意味を調べようとして、いつの間にかインターネットサーフィンへと移行してしまっているのが日常。だから、今日は思い切ってパソコンをオフラインで使っている。意外と不自由はない。


 真っ白な画面の前で腕を組み、一行目で点滅するキャレットを眺めて随分と時間が経っていた。再生時間の長いはずの作業用BGMを何度も巻き戻している。


 ぽたぽた。雨が降っているから星は見えるはずもない。


 描きたい物語はあるが——また以前のように酷くき下ろされるのではないか。長い物語を勢いで書き始めて破綻させてしまうのではないか。


 広大な余白に、最初の一文字が打ち込めない。


 いたずらな自己投影やメッセージは、体温のないキャラクターを生み出すだけではないのか。そもそも自分の物語に需要はあるのか。心から楽しみにしてくれる人間の期待を糧に、どこまで歩き続けられるのだろうか——そもそも、期待してくれている人間がそれだけいるのか。


 キーボードに指先を置いた瞬間、燻り出すのは、静かに揺れるプロットと激しい不安だ。

 空白に文字を打ち込んでいくことが傲慢と思えてならない。

 ここには、人間同士の恋愛模様を描くこともできれば、焦げ果てた荒野のような世界を一人旅するディストピアを描くこともできる。全てを薙ぎ払う最強も、情けない小説家も、悲劇のたび何度でも立ち上がる勇者も、全ては自由なのだ。


 広大な余白に、最初の一文字が打ち込めない。


 自分よりも美しい文章を書く人間がいる。自分よりも心震える物語を書く人間がいる。メスを入れれば血液が溢れそうなほどに、生々しいキャラクターを書く人間がいる。予想を裏切り、期待を手で掬う完璧な展開を書く人間がいる——例えば、水瀬凪のような人間だ。


 自分なんかが、とてつもなく大きい可能性を収束させて良いのだろうか。

 けれど、それがもし、僕以外の誰かだとしたら——笑えない未来が待っているのかもしれない。


 それでも小説が書けない時間、ずっと小説のことを考えてしまう。本当は終わらせなければならない仕事があっても、気付けば筆の止まった物語の続きへと思考が流れていく。

 

 しかし、いざパソコンと向き合ってみれば、どこか違う場所へと目が向いてしまう。それは、ある種の自己防衛なのかもしれない。

 自分の中から何ひとつ生まれてこないという恐怖からの逃亡。敗走ではない。こうして画面に向き合っている間は敗北などしていない。けれど、一文字も書けていない。


 誰にも流されず、自分のままでありたい。誰の心の中にも自分の居場所があればいい。 

 自分が書きたいものはなんだ。世の中が読みたいものはなんだ。どちらの手を離すことも出来ず、引き裂かれていくのが目に見える。


 こうして今日も、何も書き出せぬままに夜はふけていった。


 明日は学校だ。一体全体、何回この感情を繰り返せば慣れるのだろうか。


 明日こそは、自分から、綾織さんに話しかけてみたい。それならどんな言葉を携えて一言目を発すれば良いのか、それがすんなりと出てくるならば一行目でつまづくことなど無いのだろう。


 のちにこの文章すら彼女に読まれるのだから、木刀で殴られないよう(せめて竹刀にしてほしい)自重して書き進めていく必要がある。


 今日の水瀬のTシャツには、何が書いてあったか。変なプリント。変なプリント。


 僕は小説を生まれて初めて完結させた。その瞬間は奇妙な感覚だった。


 凪いだ水面に畳んだ帆。遠くに潮風が薫り、漕ぎ出した陸地は遥か南に萎んでいく。ふと仰向けに寝転んでみれば、青紫の星雲が見える。

 サイダーの気泡よりも遥かに多い星々の、どれを目印にしたものか。夏の大三角を知らないから、北極星の見つけ方がわからない。何を目印に進めばいいのか。北極星は自分の隣の席に座っていたのだから。


 眩しく眩しく落ちてきた。


 彼女に課せられたテーマは、孤高の変態もとい天才——水瀬と僕の出逢いと馴れ初めを文章に起こすことだ。


 過去の自分を原稿用紙の上に記し、今の僕を追いかける。もしかすると、これを書いている今の僕ですら、未来の僕の原稿用紙の上なのではないか——そう訝ってしまうのも、無理はない。

 もしも、自分が本当に文字の上の住人だったとしたら笑える。誰かが、僕と同じような苦しみを味わいながら、僕のことを書いている。本当に笑える。


 ケタケタ。悪戯っぽい微笑み。


 けれど、それがもし、僕以外の誰かだとしたら——笑えない未来が待っているのかもしれない。


 決して疲れを癒すためではなく——ヘッドホンを外すと雨は止んでいた。閉じた瞼の裏には書き出せなかった物語の断片が映る——この不安を振り払うために眠ろう。

デペイズマン的な書き方をしてみました。明日から二章開始です。よろしくお願いします。

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