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 川を渡ると同心らは先を急ぐと言って白河へ向かった。四郎は、小一郎と竹姉妹を連れて奥州街道を目指した。イズミはひんやりとした法螺貝の中へ身を隠している。

 道中、鍋や窯の押し込まれた天秤棒を担いで、渡船場へ向かう職人らと何度もすれ違う。洋装の官軍兵士とも度々行き交う。この地の名産は鋳物だが、技術を応用して大砲の弾を製造していた。そのため官軍兵士が多くいる。

 関東は完全に掌握され、今や官軍にとっての敵は越後と奥州勢のみだ。とはいえ街道は鈴掛職人やら善光寺の参拝客も多く、至って平穏だった。

「先ほど御堂で、イズミ様は『我らは運命に導かれた者同士』と仰っていましたが、あの言葉はどういう意味なのでしょう」

 日光御成道を四郎と並んで歩く竹は、執拗に言葉の真意を確かめてきた。だが表情は存外に穏やかである。

 豪気な女だと四郎は思った。その後、すぐに容易ならぬ言葉を聞かされたというのに平然としている。

「あれは単に言葉のあやだと思う」

「愚弄は許しませんよ。それでは、まるで私が呆けたような言い種です」

「そうは言っておりません」

「いえ、言ってます」

 竹は薙刀を持たせれば、赤岡道場では一、二を争う男勝りらしい。それが四郎の前では素に戻り、小娘が悪態をつくような所作を見せている。

 戊辰の戦いがどういうものかも知らぬ二十二歳の女。会津へ戻れば否応なく死と隣り合わせの戦いが待ち受けている。彰義隊士の惨たらしさを見ただけに、四郎は竹に不憫さを感じていた。

 小一郎もそうだが、幼馴染の優も無益な戦いで死なせてはならないと思っている。けれども時代は川の流れと同じで、いくら抵抗しようとも押し戻せやしない。

  

 そんな四郎の気持ちを知ってか知らずか、小一郎が茶々を入れてきた。

「二人とも、まるで夫婦みたいですよ」

「思うのは勝手ですが、間違っております」

「そうですか。じつは、私も小一郎殿と同じことを思っておりました」

 小一郎に続いて優までもが竹を皮肉る。しかし相手を変えれば、本音に近い言葉だと四郎は思う。肉親なら、まったく危険を顧みない姉の意識を変えてでも、平凡な幸せを願うものだ。

「お優と小一郎殿、戯れはやめなさい。私が恋焦がれるのは、最後まで武士道を貫く赤岡様のようなお方です。この方のように、あっさり武士を捨てるような山伏ではありません」

 竹が、いくぶん鼻を膨らませ勝ち誇ったような表情を見せた。

「お竹殿。お言葉を返すようですが、どちらかといえば某も、しとやかな女人に心を惹かれます」

「無礼者」

 竹が頬を上気させる。「お優よ、聞きましたか。これが、この方の本性ですぞ。自身を顧みずに平気で人をへつらう性悪です」

「では水間様たちとはここで別れて、二人旅をしたほうがよいのですか」

「無理です。イズミ様から、まだ回答を頂いておりませんから」

 竹が間を置かずに言った。

「それほど、お聞きになりたいですか」

 イズミが法螺貝の中から顔を覗かせる。

 戦いは会津が主戦場になる。であるならば、四郎は小一郎と竹らに加勢する形になる。しかし、はたしてそれだけで運命に導かれたという真意なるのだろうか。今一つ、腑に落ちなかった。

「お竹殿、今はまだ聞かれないほうがよいかと」

「水間様は、私が怖気づくと思っていますね。度々の愚弄、今度こそ許しませんぞ」

 行き交う旅人たちが、山伏と浪人の掛け合いを奇異な目を向けて通りすぎていく。ふと後ろを向くと、小一郎が小さな声音で優に話しかけていた。

「お優。お竹様と師範は仲がいいのか、それとも悪いのか」

「悪くはないと思います」

 竹の性分を知りつくしている優が、真顔で返した。さらに聞こえよがしに付け足す。「小一郎様。あなたは、あの旅人を見て如何に思いますか」

 優が目で示した先には、道中着に身を包む商人の男女がいた。梅雨時のしっとりした日差しを浴びて仲睦まじく歩いている。

「どうと言われても、私には仲がよさそうだとしか……」

「人の所思はそれぞれ。夏もあれば冬もあります。じつに千差万別です。ただ望んだとしても、かくの如く春を謳歌できるとは限りません」

 鈍感な小一郎に投げかける言葉ではなかった。暗に竹へ伝えているのだろうと四郎は解釈した。かれら姉妹の平和な暮らしは、気づくと朝敵として討伐の標的に変えられていた。正義とは何だ。そうした鬱屈する思いが優にはあるのかもしれない。だからこそ竹には、そうした関わりのない場所で関わりのない生き方をしてほしいのだろう。

 竹は一言も発せず、無表情を保ったまま旅人を見つめている。

  

 日光街道と交差する幸手宿へ着くと、日は大きく西へ傾き赤味を増した。四郎は一軒の宿屋の前で足をとめた。

「路銀もある。ここで宿をとろうと思うが、よいか」

「かまいませんが、もちろん部屋は別々ですぞ」

 竹は四郎に視線を当て、一つ咳払いをした。了承したのは、あくまでも懇願されたからだと言いたげだ。

 しかし二十七ヶ所ある宿は、江戸を見限った武士でどこもいっぱいだった。四郎が宿の女将に掛け合い、ようやく町はずれの宿に泊まることができた。農業の片手間にやっているらしくもぐりで、客は四郎たちの他に誰もいなかった。

       *

 夕餉は鰺の焼き魚と味噌汁だった。

 食べ終えると小一郎は、会津の実状を知りたいと竹と優の部屋へ行った。イズミは腹を満たしたのか、夜具の上で横になっている。

「ところでイズミ殿、これからどうなされるおつもりか」

 同心衆と竹姉妹に接し、四郎の心の内に変化が起きていた。当初は小一郎を会津へ送りとどけた後、山伏の聖域である羽黒山へ行くつもりだった。だがイズミの投げかけた言葉に思案されていた。

「こんなご時世です。特に望みなどありません」

「では、某と一緒に居られるつもりなのか」

「ええ、我らには複雑に絡んだ糸のような因縁があり、敵もいます。縺れをほぐせば和解できるはずなのですが、育てられた環境によって心は荒んだのでしょう。そのため確執からは逃れられない者がいます」

 それが誰かはわからないが、稽古場で巻き込まれた騒動から始まる会津への旅。いやそれ以前に、四郎の消えてしまっている過去の記憶の中に、真の理由が隠されているだろうか。

「嫌ですか」

「滅相もない」

 四郎が慌てて頭を振ったとき、戸の奥から細い声がした。

 開けると竹が恥じらい気味に俯き、廊下に立っていた。浴衣姿だ。艶やかな色香が、匂うほどに立ち込めている。

 四郎は狼狽し、如何なされたと声を上ずらせた。

 竹が恭しく顔を上げた。イズミは素早く夜具の中へ潜り込んだ。

  

「朝方の一件で、お話が……」

「二人は、お竹殿が某の部屋へ来られたのを承知なのか」

「もちろんでございます」

 竹は澄まし顔で言う。だが、澄まし顔だけに即座に偽りだとわかった。四郎はどう返答していいのか言葉を見つけられない。まだ亥の刻とはいえ、突然の女人の訪問である。狼狽えないほうがおかしかった。

「まずは入られよ。ただし戸は開けといて頂きたい」

 竹が襟を整えて入り込む。卓の前で裾をただして横座りした。と、いきなり根幹を突いてきた。

「私は戦いの最中に死ぬのですね。そして、お優に頼みごとをする」

 ぎくりとした。

 ぼんやりではあるが、四郎に見えた絵もまさにその通りだったのだ。だからといって絵は絵でしかない。必ず変えられる。運命とは命を運ぶものなのだから。

「何のことでしょう」

「はっきり申し上げます。私の死と、あなたの敵は関連がありますね」

「話を、聞かれたのですか」

「しかと、この耳で」

 迂闊だった。竹は豪気を装っているが本質は依怙地なまで純な女。妙な隠し立てをすればよけいに角が立つ。

「もはや隠し立ては無用。イズミ殿、話されよ」

「いいのですか。お竹殿が取り乱しても、私は知りませんよ」

 イズミが夜具の中から這い出した。と、いきなり敏捷な動作で畳を駆け抜け、跳躍すると卓の上に飛び乗った。腕を組んで竹を睨みつけ二王立ちした。

 竹が身構える。

「四郎殿、錫杖を持ってそこにお立ちください」

 何をするか見当もつかなかったが、四郎は言われるがままに錫杖を持って向き直った。それを見て、竹が慌てる。

「何をなされるおつもりです」

「今から、敵の強さをお見せしようかと思います」

「如何ように」

「こうやってです」

 イズミが飛んだ。竹の胸に飛びついた。襟を掴んで捩じ登り、肩へ乗った。

「何を――?」

 竹が裾を乱して手で払う。その手をイズミは飛び上がって躱した。

「間近で、あなたが見たがっていたものを、お見せしようと思います」

 イズミが両手を広げ気を集め出した。するとたちまち、空気が錫杖に向かってそよぎだす。座布団がめくり上がり障子が破け始めた。

「よもや、それは旋風――」

 竹の顔から血の気が引く。四郎はイズミを制した。

「待たれよ。ここで、その技を使えば旅籠が迷惑する」

「しかし、お竹殿は敵の怖さを知りません。見せなければ無駄死にするでしょう」

「お竹殿」

 四郎は、畳に片膝を突いたまま擦り寄る。竹は、はだけた浴衣から覗く下肢を両手で押さえて隠す。

「おそらくこれは前座段階の単なる風、もう少し集中すると鎌鼬になるかと」

「旋風ではなく、鎌鼬?」

「その通りです。私は魔物と違い災いは起こしませんが、敵は容赦なくこの力を使ってきます」

 鎌鼬はイイズナの血を引く半妖の仕業と伝承され、痛みもなく血も出ないとも聞く。苦しまずに召されるのであれば、むしろ慈悲の業といえるのかもしれない。

「難物と思われても困るので、あなたの聞きたい、導かれた運命の仔細をお聞かせしましょう」

「それは……」

 竹が目を瞬かせる。四郎も身を乗りだしてイズミの顔を見入った。

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