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同時刻。圧倒的な力で彰義隊を蹴散らした官軍諸藩は、次の戦いに向けて各々策を練っていた。江戸土佐迅衝隊指令所でも同様に、苦戦を強いられる白河に照準を定め策を講じていた。
ただ総督の板垣退助にはある懸念があった。掃討の際に、迅衝隊の分隊が逆に討ち滅ばされたと報告を受けていたからである。
「一介の町道場主に、銃を装備した隊士二人が殺され、四人が深傷を負ったというのは本当ですか」
板垣は甲州勝沼の戦いで甲陽鎮撫隊を撃破し、宇都宮でも大鳥圭介率いる幕府軍を退けた。今や官軍の中心人物の一人である。急遽江戸へ戻り彰義隊も殲滅させた。そこへ突如、神経を逆なでされる報告を聞かされたのである。
その板垣に、奇怪な敵がいるからと呼ばれた元漁師の佐治は、指令所の別室で叱責を受ける迅衝隊分隊長、山谷の言い分を静かに聞いていた。
「面目ない。如何せん狭い室内での戦いやったき、銃を上手う使うことができず、そんで斬り合いになったしだいです。部下の治療をしてから再度急襲したところ、稽古場はすでにもぬけの殻でした」
「相手は何人ぜよ」
同席する、鬢から顎にかけて髭を生やした一番隊長が問いつめている。薄っすら浮かび上がる別室の光景を見ながら佐治は思う。まだ確信には至らないが、ついに因縁の宿敵を見つけたのだろうかと。
「一人、いや二人です」
「何じゃと。おまんらは七人もいて逃げ出してきたっちゅうか」
一番隊長が激高する。板垣も信じられない表情を見せているようだが、それよりも気になるのが殺された隊士の亡骸だろう。
板垣という男はそういう人間だ。容赦ない戦いを展開するが、そのぶん情けもある。特に味方の情には厚い。
「それで、遺体はどうされましたか」
「顔に晒を被せられて、稽古場に寝かされちょりました」
「ふむ。では、必ずしも残虐な輩ではないのですね」
板垣の声音が落ち着いたのが気に入らないのか、山谷が反論する。だが無駄だ。もしかれらがそいつらならば、分隊長ごときが敵う相手ではない。それは町道場主が単なる剣術家でも同じだ。
「そうやけんど危険な男です。是非とも自分に討伐の命を」
「わざわざ兵を裂くほどの脅威ですかな」
「一人は手練れで、もう一人は奇妙な戦いを仕掛けてきよります。もし戦場であったら、攪乱させられる恐れがあります」
「ほう。奇妙な戦いとはー」
「はっ、まったく姿を見せんのです。しかも気配は小さいのに、暗闇の中で的確に攻撃してきよりました」
「どのような攻撃じゃ」
「釘です。釘を細工した弓矢で首の後ろを射ってきよったのです」
一瞬、佐治はどきっとさせられた。武具の小ささと気配の小ささで、相手が小人と断定できたからだ。
ならば敵は、憎きあいつらだ。佐治の全身に武者ぶるいが起きた。
板垣も危険を察知したのかもしれない。声に警戒感が潜んでいた。
「道場の流派は何でしたかな」
「水鷗流でございます。聞き込みをしたところ、そん男の名は赤間四郎と言いまして、山伏姿に身を変えて板橋方面へ逃げたとのことです」
「山伏じゃと」
板垣と、傍らにいる一番隊長が険しい顔でひそひそ話し出す。しばらくして板垣の意を、別室で待機する佐治へ他の隊士が伝えてきた。佐治は指令所へ入った。
「この者は私の隠し手です。大事を前に兵は出せないので、二人で山伏に化けた道場主を始末してください」
佐治の身体は小さく、威圧感はさほど感じられない。そのため山谷が不満を口にした。
「こん男と二人だけですか」
「佐治を見くびってはいけませんよ。勝沼で新選組の甲陽鎮撫隊を、宇都宮で大鳥圭介率いる伝習隊を壊滅させたのは、この者の働きがあったこそなのですから」
板垣が山谷を静かに威嚇した。「いいですか。私の懸念は、この佐治にも似た能力を持つ者の暗躍です。それこそが近代化された戦いの落とし穴なのです。理解したら速やかに、銃砲局へ行って弾薬を補充してきなさい」
「わかったがか。おまんと、こん男の二人で始末してきとうせ。くるめよったら白河へ合流するがええ。恩賞はそんときまで儂が預かるきに」
一番隊長の蛮声に、山谷が神妙に肯いた。佐治は板垣に一礼して指令所を後にした。
上屋敷を出た。山谷は、順調に功名を上げてきたというのにこのままでは時流に乗り遅れてしまう。恩賞もおぼつかないとこぼし、馬上で苛立ちを募らせている。
「すべて、あの男のせいだ」
佐治はそんな山谷を、もう一頭の馬の手綱を握りながら見下していた。恩賞なんてものはいっときのものだ。弱者がそれをあてにして生きていたら、雀の涙ていどのものに一喜一憂することしかできなくなる。
「山谷様の恩賞は、どの程度であられるか」
「わしは分隊を率いて勝ち戦に貢献してきたがや。じゃから当分遊んで暮らせる金は貰えるじゃろ」
「なら、山伏退治は行きがけの駄賃みたいなものですな」
「ああ斬り合いでは勝ち目はないが、銃で狙撃すりゃ終わる。頭を柘榴にしちゃるぜよ」
「その意気でございます」
と佐治は嘆息し、気を引き締めて笑んだ。板橋方面へ馬首を巡らせた。