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序3

  序3


 人間の姿になって七年、私は十二歳になっていた。共に暮らす少年らに兄と慕われ、畑仕事や狩りを教え充実した日々を過ごしていた。しかし人間という生きものは気まぐれで、苦難を乗り越えると突然手の平を返してくる。

 人手が足りないからと、預かった少年を勝手に引き取っていったのだ。

 一人戻ると噂は広がり、次々に引き取りにきた。川で助けた一つ年下の少年も、有力者に懇願されて、跡継ぎに恵まれない農家に貰われていった。一人だけいた少女も、父親が目つきの悪い男を伴い、母の前で紙切れを読み上げ連れ去った。

 胸に穴が空き、そこを風が吹き抜ける。

「なぜ、従ったのですか」

 食い下がると、母は背筋を伸ばして立ち上がり荷造りをしだした。

「潮時です、旅に出ましょうか」

 母は、預けられた幼子の行く末を変えようと懸命だった。だが肉親の頼みには、たとえそれがどんなにさもしくとも抗えなかったのだろう。一人去り、二人去り、誰もいなくなると七年暮らした村を去る決意をした。


 大雪の降る日、まず最初に宇曽利湖の周囲にある奇妙な森へ行った。いくつもの険しい山を越え、谷川を渡らなければ辿り着かない難所だった。母は巨木の前でしばらく佇み、不意に空しい溜息を吐いた。

「どうかなされたのですか」

 私が問うと、母は、この森にあなたの兄弟がいたのですが……と、哀しげに伝えた。

 傷心のまま森を去り、流浪の日々を過ごした。何とか雨露を凌げる無人の猟師小屋を見つけ、そこに住み着くまで一年を要した。

 私は狩りが上手で兎や鹿、ときには罠を仕掛け猪も捕獲した。母は山草や魚を好んで口にしたが、鍋にして肉を振る舞うと幸せそうに食べていた。他人とまったく接触することのない隠遁いんとん生活だったが、私には満ち足りた暮らしだった。


 そんなある日、一人の山伏が小屋を訪れた。母がかまどで鍋を煮、私が薪わりをしているときだった。

 二十代半ばの精気溢れる山伏で、雄鹿のように凛として見えた。けれど目の奥に熊を思わせる強さを覗きとり、狐の持つ知性も感じとった。

 その山伏は私を見るなり突拍子もないことを言った。

「そなたの周りに死者の気配がする」

 言葉がなぜか懐かしく響いた。知らず郷愁を募らせていると、小屋の中から母の声がした。

「誰か来たのですか」

 私は惑い、誰もおりませぬと嘘を吐いた。それほど、どきりとさせられた。一つには忘れてしまった大切なものを、取り戻したいという強い思いがあったからかもしれない。

「某は修験者です。声なき声、姿なき姿を求めて流離う身。仔細を、ぜひ教えてほしい」

 山伏が神妙に頭を下げた。その声が聞こえたのだろう。扉を開けて母が出てきた。

「知りたくば、私が教えて差し上げましょう」

 小屋の中へ招き入れ、母は山伏と向き合った。しばらくの沈黙の後、母は意外な言葉を口にした。

「この者から、死者の気配を感じとられたのですね。では反対にお尋ねします。あなたから小さきものの気配がするのは如何に――」

 虚を突かれ、山伏が驚愕する。母は、さらに言葉を重ねた。

「この後、江戸で剣術道場を開かれるべきかと」

「元々武士であった某は、水鴎流の極意を伝授されています。ですが自然の摂理に関心を持ち、今は神道を極めようと思うしだい」

「慈愛の剣であれば摂理を極めることも可能でございましょう。それとこの地でこの者と出会ったことも、崇高すうこうなる死者と、小さきもののえにしでございます」

 縁、その言葉が心地よく私の頭の中を駆けめぐった。


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